コリンは、マイアミの情報屋を束ねているジュリアンが経営しているダイナーに入った。
店内は広く、清潔にされ、ジュリアンの趣味でクラシックのレコードが、壁に飾ってあった。
昼のピークを過ぎているので、客はまばらであった。
カウンターに座り、コーヒーとアップルパイを注文した。
一番年上のウェイターに、経営者のジュリアンがいるか、それとなく尋ねた。
50ドルのチップを添えて。
それが、裏社会の人間が、情報屋・ジュリアンと接触する合図であった。
少し時間が経ってから、ウェイターが、一番奥のテーブルの脇のドアを開け、2階の席へコリンを案内した。
丸顔の顎鬚を生やしたジュリアンが、2階の奥の席で待っていた。
コリンをじっと見ると、にこやかな笑顔になり、向かいの席に座らせた。
「初めまして、ジュリアンさん。」
「コリン・マイケルズ君だね。リチャードの所で、武器の製造・密売をしていたよね。」
やっぱり、ジュリアンは、コリンの正体を見破っていた。
「俺の事を知っているのなら、話が早い。青戸勲さんの襲撃事件を調べているんです。警察は当てにならない。逆に、青戸勲さんを殺そうとした。貴方の情報を、是非買いたいのです。」
「残念だけど、何もないよ。撃った犯人も、助けた男の情報は、全くこっちに入ってこないんだ。まるで、『音もなく、匂ひもなく』の如くだよ。」
「何の事です?」
「忍術の秘伝書の『万川集海』に、書いてある一説さ。」
「古い日本の書物が、読めるのですか?」
「昔のガールフレンドが、日本人でね。それが縁で、日本語を習得したんだ。」
「その書には、有能な忍者は、人間が探知出来ないとも書いてあった。2人もそれに似ているよ。全く足跡も、残さないのだからね。警察の秘密結社も血眼になって捜しているけど、あれじゃ無理だよ。」
ジュリアンは、コリンに50ドルを返した。
「君はもう足を洗った。今は、青戸勲さんの側にいて、彼の回復の手助けをした方が良いんじゃないか?もしかして、再び秘密結社が青戸勲さんを襲わないとは限らない。病院で看護を続け、彼を見守ることが、一番だよ。ここには、もう来ない方が良い。」
コリンは不満だった。
50ドルの上に、大金を乗せて、ジュリアンに渡そうとした。
「いくら積まれても、出ないものは、出ないんだ。」
ジュリアンは、金の受け取りを拒否した。
「君は、昔から人の為ならば、自分を犠牲にするね。折角、パートナーも出来たんだ。これからは、自分の為に動きなさい。」
ジュリアンは、悲しそうな目付きで言った。
「何もかもお見通しですね。あえて、お聞きします。何故、デビット・ネルソンの依頼を断ったのですか?それも、周りの情報屋にも、断るようにと言っています。何故ですか?」
「彼は、裏社会では負け犬だ。彼に関わると、ろくな事は無い。だからだよ。私は、仲間を守る義務がある。」
「病院での彼の活躍は、ご存知でしょう?彼は、まだ一流の腕を持っているスパイナーですよ。」
「コリン、君はパートーナーを、再び裏社会に戻したいのか?」
コリンは、言葉に詰まった。
盗聴器を通して、車の中で聞いているデイビットも、ドキッとした。
「君は、帰るべき所へ帰りなさい。パートナーが、近くの道で待っているよ。もう、暗闇の中に飛び込む真似は、止めなさい。」
ジュリアンは、コリンが盗聴器を隠し持っていることや、デイビットが車で待機していることも、知っていた。
「まるで、父親みたいな口振りですね。」
コリンはジュリアンを睨んだ。
「そうだね。君と同い年の息子がいるから、尚更その様な口調になるのだろう。」
ジュリアンは、深呼吸をした。
「俺に、『青戸勲さんの側にいなさい。』と言う事は、まだロシアン・マフィアと秘密結社が、イサオを狙っていると言う事ですね。尚更、教えて下さい。」
ジュリアンは沈黙した。
「貴方は、俺の事を熟知している事は、汚れた過去もご存知の筈です。イサオは、俺を暗闇から救い出してくれました。それも、見返りを一切求めず。今回、イサオは、ロシアン・マフィアに雇われた秘密結社の人間に、撃たれました。だからこそ、俺はイサオの為に、体を張って守りたいのです。勿論、俺も見返りは求めません。」
コリンは、再び大金をジュリアンの前に差し出した。
ジュリアンは、まだ答えを渋っていた。
「折角、危険を冒してまでも君を助けたのに、自分の為に裏社会に手を突っ込んだ事を知ったら、イサオは悲しむんじゃないのか。」
「これだけは約束します。犯人を見付けても、決して危害は加えません。正当防衛で、弾を撃つ時があるかもしれませんが、殺しはしません。必ず、警察に突き出します。俺とデイビットは、裏社会に戻ることはありません。」
ジュリアンは、しばし頭を抱えた。
「分かった。教えよう。」
決意を固め、ジュリアンは大金を自分の手元に引いた。
「ロシアン・マフィアの残党が、昨年のハロウィンに、ブライアン・トンプソンを襲撃をして、返り討ちにあったことは、君も知っているね。その襲撃に参加していないかったのが、2人いた。彼らは、ヨーロッパ中に隠していた資金を引き出しに回っていた。」
「その2人が、アメリカに来たのですね。」
「うん。その2人が、ニューヨーク市警内の秘密結社に、ブライアンと青戸勲さんの殺害を依頼したんだ。ニューヨークの連中は、マイアミの同志の協力を得て、青戸勲は撃ったようだ。」
「ようだって?確かじゃないのですか?」
「確証は得ていないんだよ。噂の範疇だが、撃ったのは別の人物らしい。」
車で待っているデイビットの携帯が鳴った。
『くっそ、こんな時に。』
画面を見たら、ブライアンの名前が表示されていた。
出るのを我慢した。
コリンは、信じることが出来なかった。
「秘密結社じゃなければ、誰がイサオを撃ったのですか?」
「あくまで噂だ。秘密結社の連中が、現場にいたカップルをしつこく尋問したのは、イサオを助けた人を探して、撃った男の手掛かりを得ようとしていたからじゃないかとね。」
「だから、自白剤まで使って、助けた人の人相を聞き出していたのか。」
「2人は行方知れずな上に、青戸勲さんは奇跡的に命を取り留め、回復しつつある。ロシアン・マフィアに突っ突かれた連中は、再び彼を襲ったが、失敗した。それで、ロシアン・マフィアの一人が脱落し、アメリカを出た。」
「残りの一人が、イサオを再び襲うと?」
「その確率は高い。何故なら、ロンドンで逮捕された幹部の末弟で、ブライアンの手で司法の手に突き出された男の弟でもある。私が得た情報では、秘密結社と仲違いをして、一人でブライアンと青戸勲を狙っている。私が知っているのは、ここまでだよ。気を付けなさい。」
「大いに助かりました。有難うございます。」
「一つ、こちらから、君の事で聞いていいかな?」
「はい、いいです。何でしょうか?」
「君は14歳の時の体験を、穢れた過去と言ったね。その事で、今も苦しんだり、夢に出てくる事はないのか?」
デイビットは怒った。
何で又、過去を持ち出すのかと。
「いいえ、ありません。」
コリンは、きっぱりと回答した。
「俺は、確かに筆舌に尽くし難い経験をしました。しかし、親父はそれで、当時の最新の治療を受ける事が出来て、回復しました。それに加えて、金持ちの家で、イサオと出会い、ブライアンとも交流を深める事が出来たのです。だからこそ、俺は自分の選択を後悔せず、前向きに考えられるのです。」
ジュリアンは、コリンを見詰めた。
「コリン、君は明るい方向を見て生きているのだね。」
「そうです。過去の選択によって、俺は多くの人との出会えたし、何よりもデイビットと知り合えました。だからこそ、今の暮らしを精一杯生きたいのです。」
デイビットは胸が一杯になった。
「辛い質問だったけど、答えてくれて感謝するよ。」
コリンは席を立った。
階段のドアを開けようとした時に、脇の壁に掛けられている鏡を、チラッと見た。
ジュリアンが映し出された。
彼は、紙ナプキンで目を拭いていた。
『泣いているのか?』
コリンは疑問に思いながらも、そのまま1階に降り、コーヒー代を払うと、ダイナーを出た。
デイビットが待つフォード・エクスプローターに乗り込んだ。
「疲れただろう。」
「いや、平気さ。それにしても、どうして俺達を遠ざけ様としたのか?」
「コリンと同い年の息子がいるんだ。きっと、その子とコリンを重ねているのさ。」
「そうだな。それにしても、話がややこしくなったな。」
「本当だ。イサオを撃ち、且つ秘密結社とロシアン・マフィアを混乱に陥れている男がいたとは。」
デイビットは、ブライアンから携帯に連絡があったが、出られなかった事を伝えた。
「この話もしてみよう。彼は、別の情報を手に入れているかも知れないしな。」
デイビットは携帯を取り出し、ブライアンに掛けた。
直ぐに、ブライアンは出た。
電話口で、ブライアンは、これからパリに旅立つと言って来た。
アメリカを脱出したロシアン・マフィアの一人が、逃亡先のパリで逮捕されたからだ。
顔の広いブライアンは、パリ市警にも知人がおり、彼から逮捕された男の情報を聞き出すと言う。
「他所の組織だから、ニューヨークやマイアミの秘密結社に関して、ぽつぽつと吐いているようなんだ。男の言っている事が、本当か確かめたくって、パリに飛ぶんだ。」
デイビットは、コリンがジュリアンから買った情報を、ブライアンに伝えた。
「信じ難いな。イサオを殺したい程、恨んでいる奴などいない。俺がらみで撃たれたのか。俺を狙っているのは、今の所ロシアン・マフィアしか思い浮かばないんだ。パリに行って、その事も確認する。それじゃ。」
デイビットは携帯を切り、フォード・エクスプローターを発進させた。
病院に着いた。
以前よりも、警備が厳しくなっていた。
「やはり、連中はイサオを襲うだろう。」
コリンは険しい顔付きになった。
裏社会にいたせいで、警備の若い警官達が頼りなく感じていた。
警察内の秘密結社なら、警官の配置を熟知している。
警備の目を掻い潜って、イサオに銃を向けることは朝飯前である。
「ああ。気を引き締めて、イサオの看病をしよう。」
2人は車を降りて、イサオの病室へ向かった。
「やあ、コリンとデイビット。今日は体調が良いんだ。サラに支えられて、ベットから離れることが出来たよ。」
イサオは、ベットから起き出していた。
話し方もはっきりしてきた。
誰かの支えがあれば、立てる位までになっていた。
コリンは、イサオの笑顔を久しぶりに見て、ジュリアンと会った疲れが飛んだ。