イサオは、意識を取り戻してから、順調に回復した。
口から食べ物を摂取したり、会話も少しずつ出来る様になった。
担当医師の許可も降り、刑事が病室へ訪問した。
「日に日に顔色が良くなって、安心しました。さて、事件当夜の事をお聞きしたいと思います。」
サラに付き添われて、イサオは視線を上に向けた。
必死に、撃たれた状況の記憶を思い出そうとしている様に、皆は思った。
「申し訳・・・ありません。どんなに思い出そうとしても、・・・当日のことは・・・覚えていないのです。」
弱々しい口調で、イサオは答えた。
刑事は記憶が飛ぶのは想定していたので、それ程落胆しなかった。
サラは、落ち込んでしまった。
事件の真相は、又見えなくなったと思った。
サラは、事件当夜に着ていた服を見せたりしたが、イサオは悲しい顔をした。
「ご免、サラ・・・。どうしても・・・・思い出せないんだ。・・・。」
コリンも、イサオが意識を取り戻した後も、引き続き看病を手伝っていた。
「サラ、俺とデイビットが調べるよ。もう一度、現場を回ってみるよ。」
「コリン。助かるわ。私とお父さんが動けなくなった今は、あなた方が頼りよ。」
イサオが回復してきたので、サラの母・ジャックリーンと兄・ルイスはそれぞれの家に戻った。
一時、サラの妹もお見舞いに来てくれたが、幼い子供を抱えている為に、直ぐに帰宅してしまった。
現在、イサオの側にいるのは、サラ、青戸猛、デイビット、そしてコリンであった。
サラは、看病の他、今後の対応を医師と相談したり、家のこと、マスコミへの対応を、一人で行う事っていた。
事件を調べようにも、手が回らなくなった。
青戸猛も動きたかったが、マスコミが家と病院で張っている今は、看病と家事手伝いをする他は無かった。
コリンとデイビットが、率先して事件を調べることにしたのだ。
マスコミは、2人に余り関心を示していない。
好都合であった。
2人は、犯行時間に合わせて、現場の裏路地にいた。
直ぐ近くに大通りがあって、人の行き交う声が、裏路地まで響いていた。
裏路地は、外灯が照らされているが、それでも暗く、寂しい場所であった。
「イサオ、どうして何もない所に来たんだろう。」
コリンは辺りを見た。
何度もここへは、足を運んでいるが、今夜も手掛りになるものは、発見出来なかった。
「近くの何でも屋には、行っていない。この周辺は、アパートや安ホテルが多く建っている。きっと、誰かを訪ね、この裏路地へ来てしまったんじゃないか。」
デイビットは、現場に来るのは2回目だった。
犯行時刻に来たのは初めてで、真面目なイサオがこの様な薄暗い場所にいたのか、さっぱり見当が付かなかった。
2人は、付近を見て歩いた。
何でも屋の前を通った。
店から、一人の痩せこけた男が出てきた。
デイビットと目が合い、嫌な顔をした。
この男は、デイビットが過去に、イサオの件で頼んだが断った、情報屋の一人であったからだ。
「久しぶりだな。」
デイビットが、男を睨んだ。
男は怯えた。
「許してくれよ。あんたはもう使い物にならないと、皆が噂していたんだ。まさか、病院で5人の男と闘ったなんて、思いもしなかったよ。それに、ジュリアンから、『何があっても断れ。』と、きつく言われていたんだ。」
「その話は、後で連絡する。お前はもう行け。」
デイビットは、男の話を制した。
コリンには、情報屋のジュリアンの名前まで言っていなかったからだ。
コリンは、バーのオーナーのアーサーから聞いた話を、思い出した。
「待って。ジュリアンって、ダイナーを経営している情報屋のことだろう。」
コリンは、立ち去る男を止めた。
男は、「そうだ。」と肯いた。
「コリン、知っていたのか?情報屋の名前を。」
デイビットは、驚いた。
「知っているよ。ジュリアンは、ここのマイアミでは有名だからな。元泥棒で、表向きはダイナーの経営者。実は、裏社会に顔が効く男だとね。彼には世話になったよ。ジュリアンの親友の店で、呑んだ事があるんだ。」
コリンは、男に鎌を掛けた。
デイビットから聞いた『元泥棒の情報屋』と、アーサーが語ってくれた『親友』の話を、結び付けたのだ。
デイビットは、瞬時にコリンの企みに気付いた。
「君、アーサーを知っているのか?」
男は、まんまと引っ掛かった。
「ああ、知ってるよ。何回か、彼のバーに行った。先日、彼と話をしたんだ。小学校の頃から、ジュリアンと親友なんだとね。」
「アーサーは、そこまで話しているのか。俺もジュリアンに連れられて、そのバーに行ったことがあるよ。」
今度は、男がびっくりした。
「ねえ、もう一人ジュリアンには、親友がいるよね?」
男は、デイビットとコリンの顔を見て、目をぱちくりさせた。
「何だ。堅気そうなのに、結構知っているんじゃないか。デイビット、この人は?」
「元は裏社会にいた人間だよ。銃の密売と販売を手掛けていたんだ。」
男は更に、落ち着きを無くした。
「そうなのか。金さえ呉れれば、協力したいよ。でも、ジュリアンに怒られると、俺はここでは生活出来なくなるんだ。彼は、情報屋の親玉なんだ。許してくれ。」
男は、そそくさとその場を走り去った。
「何だ、そんなにジュリアンが怖いのか。あの男は役には立たない。コリン、ジュリアンのもう一人の親友というのは、やはりあの男か?」
「その通りさ。ニックだよ。」
コリンは、デイビットに言った。
2人は、ニックが自分達の過去をかなり知っていたのは、ジュリアンからもたらされたのだと結論に達した。
裏社会に精通しているジュリアンなら、イサオの事件で何か掴んでいる可能性が高いとも思った。
「俺、ジュリアンに会いに行く。その前に、何でも屋に寄ってくれないか。買いたい物があるんだ。」
=====
ルドルフ・ブラウンの自宅マンションに、一人の同志がやって来た。
「邪魔者は、見つかっていない様だな。」
「マイアミ警察や地元を洗いざらい調べても、出てこなかった。そこで、周辺の地域や州外まで手を広げているんだ。そこの裏社会の連中に聞いても、見覚えがないそうだ。一体、どこに消えたのか。」
「もしかして、南米に逃げた可能性も否定出来ないぞ。」
「フーッ、そこまでは調べるには容易なことでは無いな。お前、いよいよ、シカゴへ行くのか。」
「これから発つ。全く、シカゴの同志は、病院でうちの警官を殺さずにしてくれたんだ。なのに、俺はそいつらを片付けなければならないとはね。流石の俺でも、罪悪感があるよ。」
“老人”は無表情のままで言った。
「寧ろ、我々、マイアミの同志が冷血だ。あの馬鹿なカルキンは、目出し帽を被っているのに、平気で見張りの警官を射殺した。俺達の同僚だぞ。」
「伯父さんも言ってたじゃないか、『小さな穴からダムが決壊することがある。』って。カルキンは、後々のことを考えてのことだよ。もう、奴は死んだんだ。気にするなよ。」
「そうだな。報いは受けたな。」
「それよりも、お前は大丈夫なのか。以前よりも、もっと顔色が悪くなっているぞ。」
ルドルフ・ブラウンは心配した。
「ルドルフも、周りと同じ事を言うのか。俺は平気だよ。それよりも、俺は疑問に思うんだ。ルドルフ、君だけに言う。ウェルバーは、シカゴやニューヨークの同志の口を閉じさえすれば、FBIと警察に見付かる事は無いと見ているが、俺はそうは思わない。」
「やはり、FBIと警察は我々を嗅ぎ付けるか。」
「きっと、奴らならやる。我々は、何度も失敗したからな。もう前の様には、騙し通せない。」
「ニンジャが原因だ。まさか、あそこまで能力があるとは、我々の予想を遙かに超えていた。」
「ニンジャだけじゃない。今回の件は、確かにニューヨークの同志が、この依頼を持ってきた。ウェルバーは、あいつらが悪いから、失敗したと言っている。しかし、俺は、ウェルバーの力が衰えたことも大きな原因だと思っている。」
ルドルフは固まった。
「今回の不手際を見ろよ。イサオの周りには、ニンジャだけじゃなく、元シークレット・サービスや、裏社会の人間がいるんだぞ。ウェルバーが、その連中を甘く見ていたから、この事態になった。」
「俺も、伯父さんに忠告したんだ。でも、伯父さんは、『恐れるな。』の一点張りだった。どうして、真面目な看護師の周りに、怪しい人物がいるんだろうな。これも、俺達の予想を超えているよ。」
「誠実だからだろう。忍術の修行しても、人前では使わず、例え人助けしても、人には言わない。ウェルバーから借りた忍者の本に書いてあった、『知名なく、勇名もなし』を実践している男だ。忍者として正しい行いをしてるからこそ、色んな連中が集まるのだろう。まるで、俺達がウェルバーのカリスマ性に惹かれたように。」
「伯父さんは変った。以前は、悪人しか手を下さなかったのに、今じゃ金を貰って人殺しをしたり、仲間を簡単に消そうとしている。」
「ルドルフ、次のことを考えなければ、ならないぞ。」
「次とは?まさか・・・。」
「そのまさかだ。ルドルフに対して、ウェルバーは冷たい。前々から、君に任すと言っているが、全然その気配が無いじゃないか。我々が生き残る為には、次の世代にバトンタッチしなければならない。ウェルバーの力じゃ、この事態を乗り越えるのは、無理だ。ルドルフの様な、正義感が強く、柔軟で、幅広い視野を持った者が、指導しなけば、難しいぞ。」
ルドルフは、体をガタガタと震わせた。
「時間をくれ。俺の伯父さんなんだ。」
「待つよ。だが、そんなに余裕は無いんだ。汚いことは俺がやる。君は、我々を導いてくれ。君しかいないんだ。」
“老人”は、シカゴへ旅立った。
=====
翌日、デイビットは、コリン一人でジュリアンと会いに行くのを、非常に心配した。
「銃は持ったか?俺も行こうか?」
「大丈夫だよ。ベレッタM92FSも持ったし、一人で行けるよ。先日行った何でも屋で、盗聴器を買っただろう。あれを付けるから、何かあったら、店に飛び込んでくれ。」
デイビットは、ジュリアンのダイナーの近くに、レンタルしてきたフォード・エクスプローターを止めた。
コリンは車を降り、ジュリアンのダイナーのドアを開けた。