「デイビット、オーストリア出身なの?」
コリンは初めて知った。
「そうだ。悪いと思っていたが、コリンに黙っているつもりだった。」
デイビットは、自分の足の上に座るように、コリンに頼んだ。
素直に、コリンはデイビットに背を向ける格好で、彼の足の上に座った。
「気にしなくていいんだ。万が一、君の過去を知っていると、俺の命に危険が及ぶことがある。それ位、俺も分かっている。」
コリンは左手をデイビットの首に回すと、自分の左頬を、デイビットの右頬にくっ付けた。
「コリンは、一番の理解者だ。」
デイビットは、コリンを後ろから強く抱きしめた。
デイビットは、自分の過去を語り出した。
42歳と言っていたが、正確な年齢は不明で、約50年前にオーストリアの田舎町で生まれたらしい。
というのも、生まれて間もなく、教会の前に捨てられたので、両親の顔や、正確な誕生日も知らないのだ。
教会が運営する孤児院に引き取られたデイビットは、厳格な環境で育った。
思春期になり、窮屈な孤児院を飛び出し、首都ウィーンへ辿り着くと、不良仲間のグループに入った。
腕っ節の強いデイビットは、やがてグループのリーダーとなり、裏社会を渡っていった。
10代の後半、親友のサブリーダーが、テロリストに殺された。
テロリストに怖気ついた不良仲間を捨て、デイビットはたった一人でヨーロッパ中を回り、仇を探した。
そんな中、デイビットに声を掛けてきたのが、CIAであった。
CIAもテロリストを探していた。
デイビットの度胸を見込んで、CIAの協力者となれば、手を貸すと申し込まれた。
デイビットは躊躇ったが、親友の仇の為、申し出を受け入れた。
CIAの協力によって、テロリストの行方が分かり、敵を討つことが出来た。
それから、スパイナーとしての訓練を受けさせられ、CIAの手先となって働いていたが、次第に嫌気がさした。
ある任務遂行後、小型飛行機を運転中に墜落死したと見せかけて、CIAから足抜けしたのだ。
裏社会のコネを使い、“デイビット・ネルソン”という北欧系のアメリカ人の出生証明書を手に入れ、整形手術で若くて新しい顔も手に入れて、人生をやり直そうとした。
しかし、裏社会はデイビットを放っては置かなかった。
デイビット自身も、大金につられて、スパイナーとしての人生を再び選択してしまった。
初仕事が見事で、何とCIAから依頼が来てしまった。
CIAは、デイビットの正体に気付いていなかった。
多額の報酬を提示された為、デイビットは何食わぬ顔をして、CIAの依頼を何件も受けた。
CIAでの仕事を成功させたデイビットは、諸外国の情報局や裏社会にも名が知られるようになり、フリーのスパイナーとして、彼らからの依頼も受けるようになっていた。
その時期に、シークレット・サービスに在籍していたブライアン・トンプソンと、対決していたのだ。
スパイナーとして生死の隣り合わせの危険な日々を送っていても、組織に縛られない事はデイビットにとって満足したものだった。
的確なデイビットの仕事振りは、裏社会での地位を確立させ、長年に渡って活躍していた。
数年前、敵対する殺し屋の“影無き男”に、「デイビットは、仕事に失敗した。」とデマを流されてしまい、裏社会でのデイビットの信用は地に堕ちてしまった。
その結果、裏社会から引退せざるを得なかった。
それからは、ネットトレーダーや不動産管理をして、人目を避けて暮らしていた。
その生活も、昨年からコリンと付き合うようになってから変化した。
人と積極的に接したり、外にも出掛けたりもして、活動的な生活を過ごす様になった。
「そうだったんだ。」
「コリンと出会ってから、俺の本当の人生は始まった。」
「話してくれて有難う。俺は自分の身は守れる。何があっても、君のことは決して口外しない。ただ、一つ教えて欲しい事があるんだ。」
「何だ?」
「子供の時の名前を、教えてくれ。」
「・・・。ジークフリードだ。この名前には、良い思い出は一つも無い。」
「分かった。君はデイビットだ。名前が何であろうと、俺の大切な人には変わりない。」
コリンは向きを変え、デイビットに口付けをした。
デイビットはコリンを担ぎ上げると、部屋の電気を消した。
深夜、コリンはふと目を覚ました。
イサオが意識を取り戻したことや、警護の警官が配備されたので、もう深夜の付き添いはいらなくなった。
夜にベットで寝るのは、久しぶりであった。
隣でデイビットは、深い眠りについていた。
今夜は、コリンの手を離さなかった。
『今夜のことは、ニックに感謝しないとな。お陰で、デイビットとの距離が更に近づいた。』
コリンは、目を瞑ったが、少しして再び目を開けた。
『ニック刑事が声を発したり、俺がニック刑事の話をした時に、意識が無かったイサオは動き出した。偶然なのだろうか。』
=====
アルベルト・ウェルバーの自宅で、警察の秘密結社の同志達が集まっていた。
その中には、ホテルでの襲撃で、コリンに射殺された風紀課の警官・カルキンの従兄弟も含まれていた。
彼は、ウェルバーの協力の下、FBIと警察から身を隠していた。
昨夜から、何度も同志達と集会が持たれた。
皆、深刻な顔をしていた。
当然である。
ロシアン・マフィアからの依頼に、失敗したのだ。
病院、ホテル、クラブと、3箇所を同時に、殺すべき人物を狙ったのだが、どれも失敗した。
それに加えて、イサオが意識を取り戻した。
「じゃあ、病院の5人を殺したのは、ニンジャじゃなかったのか?」
同志が聞いた。
「ニンジャは、小型ナイフを投げただけだ。仲間達を撃った銃は、デイビット・ネルソンが持っていたものと同じ型のH&K USPだった。鑑定の結果、デイビットは撃っていないことが判明した。きっと、アイツがやったんだ。」
アルベルトは、苦虫を噛んだ。
イサオの件で、又邪魔が入ったのだ。
初めは、ブライアン・トンプソンが、イサオの自宅を訪問する日を狙って、襲撃の計画を立てていた。
しかし、その3日前にイサオが撃たれ、重体となってしまった。
昨夜、イサオに止めを刺そうとしたら、再び邪魔が入った。
今度は、シカゴ警察の秘密結社の同志が、アルベルトの命を受けたとして、病院へ襲撃した。
不幸なことに、イサオの父・猛とデイビットによって、シカゴの同志は仕事を阻まれた。
挙句、謎の人物が病院にいて、シカゴの同志を射殺したのだ。
『一体何者なのか?』
アルベルトは悩んだ。
初めは、同志の裏切り者かと睨んで、調べに調べたが、同志達の中から裏切り者を見付ける事は出来なかった。
恐らく、我々をよく知っている外部の者、つまり警察関係者だろうと、アルベルトは思った。
あれだけ、手際良くシカゴの同志を射殺し、自分達を疑心暗鬼にさせる手口を見せる付けられ、アルベルトは、秘密結社に入れないのを妬んだ者が、我々の仕事を邪魔していると、推理していた。
他にも、アルベルトは、頭を痛めることがあった。
YouTubeに、若き頃の青戸猛の勇姿が流れ、それを視聴した同志達は浮き足立った。
「ニンジャ相手に戦うなんて、無謀過ぎる。」
YouTubeには、青戸猛が3本の指を使い、手裏剣を的に向かって、的確に打っている姿が写し出されていた。
指を組み合わせて、九つの印結び、精神を集中させる九字護身法を披露する場面で、青戸猛の存在感は、見る者を圧倒させた。
25人を相手に、青戸猛が組み手を行う姿もあり、同志達は益々怯えた。
「25人相手位で、びびるな。極真空手は100人と組み手をするぞ。青戸猛の場合は、真剣試合では無いのだ。相手の流れに合わせて、相手を倒す武術を披露しているだけだぞ。」
アルベルトは、今までは叱咤して、同志達を静めていた。
昨夜の件から、同志達はアルベルトの言葉が耳に入らなくなり、更に弱気になってしまった。
『情け無い。ワシの若い頃は、刑事達は強い者が現れても、きちんと分析して、勇敢に立ち向かったものだ。』
「遅くなって、申し訳ありません。さっきまで、警察で引継ぎをしていましたものですから。」
“老人”という仇名の同志が、入って来た。
「自宅謹慎になったそうだな。どうして、イサオと以前に会ったことを話さなかったんだ?」
ルドルフ・ブラウンが、“老人”を詰問した。
「伯父さんからお聞きになっていないのですか?私は、この仕事が舞い込んで来た時に、ウェルバーさんに報告しました。」
ルドルフは、「えっ?」と顔をして、伯父のアルベルトを見た。
「お前に話さなかったか?悪かったな。こいつは、イサオとは20年近く前に、事件の関係者と刑事として会ったそうだ。それ以降は、何も接点が無い。それだけだ。だが、あの愚かな上司は、こいつが昔の事件を話さなかっただけで、処分にした。まあ、こちらとしては、大いに都合が良い。」
「都合が良いと、おっしゃると?」
「昨夜から、シカゴの連中と連絡が取れない。逃げたのだ。FBIが動き出したからには、腹を据えなきゃいけない。シカゴに飛べ。連中に会って、事の次第を聞きだした後は、口封じをしろ。」
「同志を消すのですか?」
「そうだ。シカゴの連中は、ワシに確認もせずに動いた。言語道断だ。いくら偽の命令を受けたとしても、マイアミに来た時点で、ワシに連絡すれば、今回の不始末は起きなかった。」
アルベルトの言葉に、皆は押し黙ってしまった。
“老人”は尋ねた。
「シカゴの次は、ニューヨークの同志ですか?」
「仕方あるまい。今回の件は、そもそもニューヨークの連中が持ち込んだものだ。あれさえ無ければ、こちらは安泰だった。昨夜の失敗で、ロシアン・マフィアが動く前に、我々が後片付けをしなきゃならん。それと同時に、邪魔した者を、あらゆる手段を使い、我々の前に引っ張り出して、消すのだ。邪魔者は、ルドルフが主導して探せ。」
ルドルフは頷くと、同志から数名を選び出した。
「イサオとブライアンは、如何されますか?」
「もう、ロシアン・マフィアに任せろ。我々は手を引く。暫く、大人しくしなければなるまい。」
アルベルト・ウェルバーは、きつく口をへの字に結んだ。