コリンは、サウス・ビーチの繁華街に足を伸ばしていた。
夜遅い時間でも、道は人で溢れていた。
ある1件の高級クラブに、パトカーや救急車が沢山止まっていた。
「VIP専用ルームで、銃撃戦があったてよ。」
「強盗がVIPを狙ったけど、返り討ちにあったそうだ。」
「4人組みの強盗を、1人で退治したって話さ。」
色んな噂話をする野次馬の声を背にして、コリンは繁華街のはずれのバーに入った。
そこは、コリンがマイアミに転居して直ぐの頃、イサオが一度連れて来てくれた所であった。
友人の友人が経営していると言っていた。
オーナーの好きなブルーを基調とした照明に彩られ、客は静かに会話を楽しみながら飲む、落ち着いた印象のバーであった。
この店は、デイビットは知らない。
彼と付き合ってからは、バーに行かず、コリンのアパートかモーテルで、2人きりで飲んでいたからだ。
ここなら1人で飲める。
コリンはカウンターの奥の席に座り、手始めにバドワイザーを注文した。
サラに、「平然と人を殺した、貴方は信じられない。」との言葉を投げかけられて、コリンは酷く落ち込んでいた。
今から数時間前、サラの目の前で、銃を撃ち、人を射殺してしまった。
コリンを子供の頃から知っているサラにとって、大きな衝撃の一夜であったのだ。
サラの気持ちは、痛い程分かっていた。
サラに自分の汚れた過去を知られてしまったと、コリンはバドワイザーを口にした。
とても苦かった。
バーテンダーが、入店してきた1人の常連に声を掛けた。
「おい、病院に行ったか?相変わらず、顔色が悪いぞ。」
「大丈夫だと言ったろう。この顔色は元々だ。いつものくれよ。」
コリンは、ちらっと横を見た。
ニック刑事が、バーテンダーと話していた。
署にいた時と違って、お洒落な服装に着替えていた。
『嫌な偶然だ。さっさと、他の店に行こう。』
コリンは嘆いた。
「やあ、コリン。1人で飲んでいるのかい。首の傷は消えたようだな。彼氏はどうした?喧嘩したのか。」
ビールの瓶を手に持ったニック刑事が、コリンに気付くと、話しかけてきた。
「お前には、関係ない。さっき、上司に呼び出されたんだろ。」
「いつものお小言さ。上司は俺の事が嫌いでね。相棒のマックスには、迷惑掛けてしまったがな。」
ニック刑事が、ビールに口を付けた。
コリンは、ビールのラベルを見た。
ブローリー・プレミアムラガー。
オーストラリア産の低アルコール・ビールであった。
「酒に弱いのか。」
コリンは冷笑し、他の店に移るという考えを変えた。
『この刑事を甚振ってやる。』と思った。
「俺と飲みたいのなら、これを飲め。」
コリンは飲んでいたバドワイザーを、ニック刑事に渡した。
「よしてくれ。俺はお前の様に底なしじゃない。確かに、俺は酒に弱い。ビール3本飲んだら、吐いてしまうんだ。」
ニック刑事は困った顔をした。
何時もの無表情で、仕事をこなす彼とは、全くの別人に見えた。
「俺と飲みたいんだろ?」
コリンは、わざと色気を出した。
「俺に粉を掛けても無駄だよ。俺は年上の女しか、付き合ったことはないんだ。まあ、俺も誰かと酒を飲みたくて、ここに来たしな。分かった。飲むよ。」
ニック刑事は覚悟を決めて、バドワイザーを飲んだ。
コリンは、ウオッカを注文した。
「化け物も、寂しい時があるのか?」
バーテンダーが眉を顰めた。
「当たり前だ。化け物だって、血も流れているし、小便だってする。今夜の件で、俺もちょっとしょげているんだ。俺の場合は、自業自得だからしょうがないが、相棒まで巻き込んでしまったからな。マックスは俺の中で、一番の相棒だからな。」
「マックス刑事は、良い人だ。あんまり困らすなよ。」
気が付くと、コリンはニック刑事との会話を楽しんでいた。
少し、気分が晴れてきた。
「お前は、裏社会を引退したそうだが、連中とまだ関わりがあるのか?」
「何でお前に、プライベートのことまで答えないといけないのか?事件とは関係ないだろう?」
「いや、大いにあるぞ。お前は、父親の治療費と弟の学費の為に、裏社会に入ったと聞いたぞ。今回の事件では、兄と慕う男が撃たれている。だから、又お前が、事件の解決の為に、裏社会のルートを使う可能性は大いにあるからな。」
ニック刑事は、コリンの過去の細かい所まで、お見通しだった。
「裏社会に入ったのは、家族の為だけじゃない。前の恋人に誘われたのが、大きな理由だ。今は、俺は裏社会とは一切関わりがない。例え、イサオの為に、裏社会に戻っても、イサオを悲しませるだけだ。それだけは、したくない。だから、この件は警察に任せる事にした。」
コリンは、警察内の秘密結社の事は聞かない様にした。
もしかして、ニック刑事が関わっているかも知れないからだ。
「今回の事件は、うちの警官や刑事が関わっている。病院の襲撃犯は、シカゴ警察の人間だ。FBIが捜査を主導することになる。複数の警察が、殺人に関与しているからな。秘密のネットワークがあるらしい。これから、大変な事態になるぞ。お前も気を付けろよ。」
ニック刑事から、話を切り出した。
「俺は自分の身は自分で守れる。」
「コリンには、複数の守り神がいるからな。」
コリンはムッとして、ニック刑事にバドワイザーを更に飲ませた。
「お前には、守る人がいるか?」
コリンが、突っ込んだ事を尋ねても、ニック刑事は隠すことなく答えた。
「今の俺には、たった1人の妹、そして、親友2人が守るべき人間だ。後は、ロボもいるな。あいつは、自分の身は守れるから、リストには入んないな。」
「ロボ?」
「俺の飼っているシェパードの雑種の雄犬だ。今年で8歳になる。3年前に起きた殺人事件の被害者が、飼っていたペットだった。俺が、その事件を捜査してな。犯人は分からずじまいだったが、縁あって、ロボを俺が引き取ることになったんだ。可愛いぞ。お前みたく、目がくりくりとしてな。」
コリンは、ニック刑事の人間性に触れた気がした。
無表情で、邪悪な気配を発しているが、その奥底には、温かみがあり、愛情豊かなもの持っていると思った。
それから、コリンに聞かれるがままに、ニック刑事は自分の話をした。
実父は警察官で、ニック刑事が物心付く前に、病死した。
母親は、まもなく父親の同僚と再婚し、妹が出来た。
養父との関係は悪くなく、母親が早くに亡くなってからは、親子3人で暮らしていた。
ニック刑事が10代の頃、悪い仲間と遊ぶ様になり、窃盗で捕まった時、真っ先に引き取りに来たのは、義父であった。
これをきっかけに、足を洗い、警官になった。
だが、今度は妹が問題を起こした。
有名大学に入り、弁護士になったものの、無神論者となり、無政府主義者の団体にも入ってしまい、ごく普通のカソリック教徒の父親は激怒して、勘当した。
親子が和解したのは、父親が亡くなる寸前であった。
「妹さんは、改心したんだ。」
「いや、親父が亡くなってからは、益々活動的になり、今はヨーロッパで働いているよ。俺に似て、妹はこうと決めたら梃子でも動かない性格だからな。俺はあきらめているよ。おっと、失礼。」
ニック刑事は、顔を青白くさせてトイレに行った。
「やっぱり、ビール3本飲んだら、吐くのか。」
「あんなに飲んだニックは、初めて見たよ。」
バーテンダーが、コリンに話しかけた。
「ニックは、俺と小学校からのダチでね。あともう1人いるダチ、ジュリアンと言うんだが、この3人でよく遊んでいたよ。さっき言った、窃盗事件も、俺達3人がしたんだ。ニックと俺は、足を洗ったけどね。」
「ジュリアンとかいう人は、どうなったの。」
「ダイナーを経営しならが、情報屋としてやっている。半分堅気で、半分ワルの世界にいるって感じだな。住む世界が違っても、俺達3人の友情には変りは無い。今でも、3人でよく飲んでいるんだ。ニックだけは酒に弱くて、低アルコールの飲み物しか駄目だけど、楽しんでいるね。倒れるから、これ以上は飲ませないでくれ。」
バーテンダーはさり気なく、飲みかけのバドワイザーとノンアルコールのビールを交代させ様としたが、コリンが止めた。
「アイツを酔わせようよ。倒れても良いじゃないか。だって、病院に行かせたいんだろう。」
コリンは、ニック刑事とバーテンダーとの会話を覚えていた。
バーテンダーは、少し考えると、ノンアルコールのビールを引っ込めた。
「君からも言ってくれよ。病院に行くようにと。ニックは、君に心を開いているしね。あの人見知りの男が、あそこまで自分の話をするなんて珍しいよ。」
「アーサー、余計な事を言うなよ。」
ニック刑事が戻ってきた。
「俺は、吐けば元に戻る。何時ものことじゃないか。顔色が悪くたって、仕事はキチンとこなしているし、家に帰ればロボの世話もこなす。心配し過ぎだぞ。」
臭い消しのせいか、さっきは無かったオーデコロンの匂いがした。
「幼友達の忠告は受けろよ。病院に行って、血と尿の検査だけでもすれば良いんじゃないか。結果が問題なければ、それに越した事は無いんだし。」
ニック刑事は恥かしそうに話した。
「俺、白衣を見るだけで血圧が高くなるんだ。それに、注射器も怖い。想像するだけで、寒気がくる。」
ニックは、シャツの袖を捲り、鳥肌が立った腕を見せた。
「ガキみたいだ。」
コリンは大笑いした。
「本当だ。いい大人がな。これも、初めて聞いたぞ。ジュリアンに言いつけてやろう。」
バーテンダーも大いに笑った。
「それはそうと、彼氏はいいのか?ここにいることは、知らないんだろ。」
ニックはさり気なく、話題を反らした。
「1人で飲むと言ってある。理解してくれているさ。ニックは、年上の女しか付き合っていないと言っていたけど、現在はいるのか?」
「いないよ。すっかり、性欲が無くなったしな。」
話題が、恋愛になった。
コリンは、デイビットとは会っていく内に、お互いを想う様になったことを話した。
「お互いに、一目惚れじゃなかったのか。」
「そうだ。向こうは、俺に対して好印象を持っていたようだが、俺は違っていた。怖い印象だった。ナイフの様に、近づいたら切られそうな感じだったな。ニックは、一目惚れの経験はあるのかい?」
この話題でも、アーサーは、親友ニックの過去の一ページを、初めて知ることになった。
「あるよ。今から20年位になるかな。さる殺人事件の関係者の写真を見た時だった。いきなり、俺の頭をハンマーで叩きつけられた感じがして、雷が俺の体を走った。写真を持つ手が、震えたな。俺は、一目惚れをしたと思った。」
「どんな人だった?」
「ティーンエイジャーの娘だ。幼い弟に、本を読み聞かせている写真を見た瞬間、雷が落ちたんだ。大人びた綺麗な人だったな。俺は戸惑ったよ。生まれて初めて、年下の娘に恋をした。何よりも、事件の関係者に惚れるなんて、プロの刑事としてあるまじきことだからな。それを押し隠して、一心不乱に捜査したよ。」
「事件はどうなったの?」
「もみ消された。犯人が金と権力をもっていてね、上に圧力を掛けてきた。それでお仕舞いさ。」
「その娘さんは?」
「その娘は、犯人の知り合いだったが、事件の後に、そいつと離れてね。それからは、何事も無く、家族と幸せに暮らしたよ。それで、俺の片想いは終わった。片想いと言っても、一言も言葉を交わしていないがね。」
「声を掛けなかったのか?俺だったら、事件の後に、声くらい掛けるよ。」
「声を掛けたら、その娘は事件のことを思い出してしまう。嫌な思いをさせたくは無かった。諦めることも愛だ。偶然にも、5年前にボーイフレンドといた所を目撃したことがあった。幸せそうだった。これで良かったんだ。」
「まだ、恋している様だね。」
コリンが核心を突いた。
「もう忘れたよ。相手の幸せを祈ることが、俺に出来る唯一の事だ。」
結局、コリンはニック刑事と朝まで呑んでしまった。
勘定を払おうとすると、バーテンダーが「今日は、俺の奢りだ。色々と話して楽しかったよ。」と言った。
「お礼を言いたい所だけど、俺は沢山飲んだし、オーナーに怒られるんじゃないか?」
コリンは心配したが、ニック刑事が言った。
「アーサーが、オーナーだよ。」
コリンはびっくりした。
『イサオの友人の友人が、彼か。』
店を出た。
繁華街なので、朝から人や車が行き交い、賑やかであった。
「タクシーを止めてやるよ。」
ニック刑事が手を上げたが、何かに気付いた様で、すぐに手を引っ込めてしまった。
「どうした?」
「もう、お迎えが来ている。彼氏が、お前を探しているようだ。」
コリンは、四方を見渡した。
デイビットは何処にもいなかった。
「いないよ。」
「ここじゃない。店の裏だ。」
「えっ?店の裏だと?何故分かる。」
「足音だよ。俺は耳が良いんだ。そっちの角から来るぞ。」
コリンは、ニック刑事が指差す方向へ向いた。
角には、通行人が歩いているだけで、デイビットはいない。
「あと、30秒で来る。」
ニック刑事はカウントした。
「3、2、1、0。来たぞ。」
デイビットが、角を曲がって来た。
「凄えな。耳だけで分かるのか。」
コリンは、後ろを振り返ったが、ニック刑事の姿は消えていた。
コリンは、キョロキョロとニック刑事の姿を探している内に、デイビットがコリンを後ろから抱きしめた。
「探したぞ。iPhoneにも何度も掛けたんだ。」
「済まない。ちょっと1人になりたくって。」
「イサオが、意識を取り戻したぞ。」
「何だって!何時だ!」
「明け方だ。それに、サラがコリンに会いたがっていたぞ。彼女は酷いことを言ってしまったと、反省していた。コリンに詫びを入れたいと言っていたぞ。」
「サラが?俺はサラに怖い思いをさせたんだ。俺の方こそ、悪いんだ。」
「馬鹿言うな。病院に行こう。昨夜の件で、大騒ぎになっている。」
コリンとデイビットは、デイビットが借りているレンタカーで、病院へ向かった。
「猛さんの映像が、YouTubeに流れていたらしい。それが昨夜の事件で、更に広がって、ニンジャが悪徳警官を退治したって、マスコミが大騒ぎしているんだ。」
「昨夜、ジョニー・トンからも言われたよ。サラは、映像は家の棚に置いてあると言っていた。一体誰が、流したんだ。」
「サラの家に滞在している、ジャックリーンやルイスに聞いても、心当たりな無いそうだ。第三者によって、流出した可能性が高い。」
信号が赤になり、車を止めると、デイビットは右手をコリンの左手の上に置いた。
「コリン、お願いがある。」
「何だい?」
「これからは、辛い時は1人で何処かへ行かないでくれ。コリンは、何かあると1人で抱え込む癖がある。もう、一緒に暮らしているんだ。辛いことも、分かち合いたいんだ。」
コリンは胸が熱くなった。
「分かった。そうするよ。」
信号が青になり、デイビットは右手をハンドルに戻すと、車を発進させた。
コリンは、左手をそっとデイビットの右足の上に置いた。
「心配掛けて、済まなかった。これからは、辛い時もそうだが、健やかなる時も病む時も、ずっと君の側にいる。誓うよ。」
病院に着くと、辺りは沢山のマスコミごった返していた。