清掃作業員が銃を、デイビットと青戸猛に突きつけたので、フロアが騒然となった。
病室の入り口で、遠巻きに見ていた職員達はクモの子を散らすように逃げた。
「ささっと、出ろ!」
清掃作業員は、声を荒げた。
デイビットと青戸猛に倒された、暗殺者3名は覚束ない足取りで病室を出た。
清掃作業員は銃を持ったまま、視線を仲間に向けた。
デイビットはそれを見逃さず、瞬く間の内に、上着のポケットに入っているH&K USPを取り出すと、清掃作業員に向けた。
しまったという表情をしながら、清掃作業員は、銃を持ったまま硬直していた。
すると、何も騒動を知らない患者が、清掃作業員の後ろを通った。
清掃作業員は、患者を人質に取ると、廊下に出た。
廊下は益々大騒ぎになった。
警備員もやって来たが、人質がおり、清掃作業員を通すしかなかった。
デイビットも、病院内でH&K USPを撃つ訳には行かなかった。
清掃作業員は、じりじりと逃げた。
「デイビットさん、腰を下ろして下さい。」
青戸猛が日本語で大声を出した。
日本語が分からない清掃作業員は、一瞬動きが止まった。
反対に、日本語が分かるデイビットはその指示に従い、腰を下げた。
小型ナイフが勢いよく半回転して、デイビットの上を飛び、清掃作業員の銃を持つ右手に刺さった。
清掃作業員は堪らず、人質を掴んでいた左手を放してしまった。
人質の患者は、警備員が手元に引寄せ、保護した。
清掃作業員は走りながら、右手に突き刺さったナイフを取り外した。
デイビットは、男を追いかけるか迷った。
また、新たな刺客が襲ってくるかも知れないからだ。
デイビットは後ろを振り返った。
イサオの病室に、数名の警官が入って来た。
「ここは大丈夫です。私もおります。」
青戸猛が声を掛けてくれたので、デイビットは清掃作業員を急いで追い駆けた。
清掃作業員の姿が見えない。
廊下に、点々と落ちていた血痕は途中で切れていた。
デイビットは、近くにいた職員に聞いた。
「清掃作業員は、何処に逃げた?」
H&K USPを持ったデイビットに、恐れを抱いた職員は、震えながら非常階段を指差した。
デイビットは、非常階段の厚い鉄のドアを開けると、中に入った。
デイビットは数階を駆け下りた所で、非常階段の踊り場の惨状を目の当たりにして、唖然とした。
逃げたはずの3名の暗殺犯と清掃作業員が、射殺体となって横たわっていた。
下のフロアから、悲鳴が聞こえた。
デイビットは屍を越え、階段を走って降り、急いでそのフロアに急行すると、今度は立ち入り禁止の看板が置かれているトイレで、一番先に逃げた暗殺犯の射殺体が見付かった。
トイレの窓から、縄梯子が掛かっていた。
恐らく、そこから降りて、外へ逃げる手筈であったのだろう。
病院の入り口や、イサオのいるフロアで警護に付いていた警官達は、暗殺犯にスタンガンで気絶させられ、別の階の倉庫内で、体中を縛られた上に、猿轡をさせられた状態で発見された。
デイビットは不思議に思った。
失敗した仲間を口封じする秘密結社が、何故警官は縛るだけにしたのか。
デイビットは病室へ駆け戻ると、床に落ちていた携帯を拾い、コリンに掛けた。
出なかった。
「直ぐに連絡をくれ。」とメッセージを残した。
今度は、サラに掛けた。
彼女も出なかった。
デイビットは嫌な予感がした。
=====
地下駐車場で、トラックの荷台で待機していた、マイアミの秘密結社の同志達は、シカゴの連中が来るのを今か今かと待っていた。
しびれを切らした“老人”と仇名を持つ同志が、「様子を見てくる。」と言って、病院の中に入った。
10分後に、大慌てで戻ってきた。
「シカゴの連中は失敗した。病院が、大騒ぎになっている。ニンジャのせいだ。」
マイアミの同志達はざわめいた。
「ニンジャって、青戸勲の父親の猛の事か?」
「その通りだ。奴1人で、5人の男を倒した。」
「何だと?!連中は、捕まったのか?」
「死体となって発見された。ニンジャが殺したようだ。兎に角、急いでここから離れよう。」
「70代の男が5人も殺したのか?今度は俺たちの番か?!」
マイアミの同志達は、恐怖に慄いた。
“老人”の携帯が鳴った。
彼は出て、話をしながら険しい顔をした。
マイアミの同志達は、更に動揺した。
ポーカーフェイスの“老人”が、初めて感情を表に出した所を見たからだ。
「ホテルの同志も失敗した。1人射殺された。カルキンだ。警察も大騒ぎしている。俺は、そっちに行けと命じられた。」
「クラブはどうなった?」
「さあ、分からん。恐らくは、失敗しただろう。今は、お前達だけでも逃げろ。」
トラックの中に重苦しい空気が流れた。
“老人”が降りると、トラックはゆっくりと走り出した。
=====
ホテルでは、多くのパトカーが止まっていた。
沢山の警官、刑事がホテルの内外を行き来していた。
一台のパトカーの中で、コリンは事情を聞かれていた。
ここで、コリンは、病院にも暗殺犯がやって来て、デイビットと青戸猛がそれを阻止したと知った。
『良かった。イサオは助かったんだ。』
コリンは、ようやく安堵した。
「少し、外の空気を吸うか。」
聴取していたマックス刑事が、優しく気を遣ってくれた。
パトカーを出ると、1人の刑事がマックス刑事を呼び出した。
「上司が呼んでいる。今から、署へ行け。」
「まだ、現場は終わっていないよ。」
「コリンを署へ連れて行ったら、後は我々が交代する。上からの命令だ。君とニックは、上司と会えと。」
「上司がなんで、この忙しい時に何で自分達を呼ぶんだ。」
「さあね。2人に、大事な話があるってさ。」
サラが、ホテルから出てきた。
「ちょっと、待って貰えますか。」
コリンがそう言うと、サラの元へ歩いた。
警官が来た後、2人は別々にされていた。
サラは表情を硬いままだった。
「大丈夫?」
「ええ。貴方のお陰で、助かったわ。感謝するわ。」
サラの言葉に力が無く、どこか他人行儀だった。
コリンはサラをハグしようとしたが、サラは手を前に出した。
「ご免なさい。そういう気分じゃないの。」
「俺の方こそ。悪かった。」
コリンは謝った。
「これから、私は署へ行って、事情を聞かれるわ。」
「俺もだよ。」
コリンはサラをパトカーまで、エスコートした。
サラがパトカーに乗る直前、コリンに言った。
「貴方、人を殺すのは、今日が初めてじゃないようね。」
コリンは衝撃を受けた。
「私は、生まれて初めて見たのよ。人が殺される所を。まさか、貴方が殺すなんて。それも、平然と。もう、貴方の事が信じられないわ。」
サラは大粒の涙を流した。
婦人警官が、サラの側に寄り添い、パトカーに乗せた。
コリンは何も言えず、サラを乗せたパトカーを見送るしかなかった。
コリンはしょぼくれ、マックス刑事の元へ戻った。
ホテルにいたニック刑事も戻り、3人はマックス刑事の車で、署に向かった。
「コリンは、事情聴取だけだ。何、君は心配ないよ。正当防衛で人を撃った。警官だけどね。」
マックス刑事は、コリンが落ち込んでいるは、署に連れて行かれるからだと誤解していた。
「警官?」
「ああ、隠してもバレてしまうからね。正直に言うよ。君が射殺したのは、カルキンといって、風紀課の警官だ。もう1人の狙撃犯は、恐らくカルキンの従兄弟の可能性がある。彼は、組織犯罪課の刑事だ。現在、行方不明になっている。」
マックス刑事の告白に、コリンは驚いた。
そして、うつむくと、頭を働かせた。
『警官と刑事が、ジョニー・トンの口封じをしようとした?ということは、彼を、特別捜査本部といって、ビルに連れて行き、嘘発見器に掛けたのは、本物の警官か。デイビットが言っていた、警察内にある秘密結社が関わっているな。やはり、こいつ等がイサオを撃ったんだ。』
「おい、随分と落ち込んでいるな。安心しろよ。お前の彼氏は、無事だ。彼氏も署に呼ばれて、当時の状況を聞かれている。直に会えるぞ。」
「それは、さっきマックス刑事から聞いたよ。人の心配よりも、自分の事を心配しな。上司に呼ばれているんだろ。」
コリンは、1人になりたかった。
サラの言葉が、コリンの心に重く圧し掛かっていた。
署に着くと、マックス刑事とニック刑事は上司と面会しに行った。
コリンは、別の刑事に預けられ、事情を聞かれた。
取調べ室を出たのは、夜遅い時間であった。
署の中は殆ど人がいなかった。
まだ、デイビットは事情を聞かれている様子だった。
コリンは、iPhoneを取り出した。
デイビットの携帯に掛けるが、直ぐに留守電のアナウンスが流れた。
「俺達は無事だ。デイビット達もかすり傷だけと聞いて、安心したよ。済まないが、今夜は1人にしてくれ。明日の朝に会おう。」
と伝言を残すと、電源を切った。
コリンは1人で署を出ると、マイアミの夜の街に消えた。