夜も更け、サラやその家族、そして青戸猛は、サラの家に帰った。
青戸猛もサラの家に泊まる事になっていた。
サラは、10年前からマイアミのモデル会社でエージェントとして働き、家族が泊まれる程の大きな一軒家を購入できる収入を得ていた。
家には、猫のバーミーズ1匹と柴犬1匹が待っていた。
今晩も何時もの様に、コリンがイサオの付き添いをしていた。
コリンは刑事とのやりとりがショックで、うな垂れていた。
病室のドアをノックする音が聞こえ、スライド式のドアが開いた。
デイビットだった。
「気になってな。イサオの具合はどうだ?」
コリンは首を振った。
デイビットは、入り口近くにあった椅子をコリンの脇に移動して座った。
「どうした、切ったのか?」
デイビットは、コリンの首の後ろに貼ってあるバンドエイドを見付けた。
「噛まれたんだ。」
コリンは恥かしそうに、デイビットを見た。
「悪いことをした。」
デイビットはコリンに詫びのキスをしようとしたが、コリンは拒否した。
「よして。イサオが見てる。イサオはサラの手しか握れないんだよ。」
その目に悲しみが篭っていた。
「何があった?」
何かを察知したデイビットが聞いた。
「さっき、刑事が来てね。僕がFBIに逮捕された過去を知って、『裏社会にいた人間が側にいるイサオには、裏があるんじゃないか。』と言われたんだ。俺のせいで、イサオが疑われたんだ。」
「嫌な野郎だ。コリンは堅気になったのに。昔のことを蒸し返すなんて。」
デイビットはコリンを抱きしめた。
コリンは解こうとしたが、今度はデイビットが拒否した。
「他にも何か言われたんじゃないか?」
デイビットは、勘が鋭い。
首の噛み傷が見付かり、『みっともない。』と刑事ニックに注意されたことは、どうしても言えなかった。
言われて当然と、思ったからだ。
コリンは話を変えた。
「俺達が付き合ってから、1年と1ヶ月になるね。早いもんだ。俺が裏社会にいた頃は、君と生活を共にするとは思いもしなかった。当時は、君はスパイナーで、氷の様な印象だった。」
コリンは、裏社会にいた頃の話をし始めた。
捨てたはずの世界を愛おしむ様に。
デイビットはコリンの話を、相槌を打ちながら聞いた。
その中で、コリンは刑事ニックが5年前、自分が所属していた武器密売・製造グループに、殺人犯を探す目的で近づいたことを話した。
「だから、ニック刑事は俺の過去を知っている。君のことも調べているかも。」
ふと、イサオの体が動いた。
「動いたぞ。」
デイビットが言った。
「又だよ。ちょっと動くけど、再び動かなくなるんだ。」
寂しげに、コリンがイサオの手を握った。
すると、イサオは握り返してきた。
コリンの大きな茶色の目が、カッと開いた。
「イサオ。もう一回握って。」
イサオはコリン声が届いたらしく、手を握り返した。
嬉しさの余り、コリンは涙ぐんだ。
デイビットがコリンを強く抱いた。
翌朝。
担当医師の説明を聞くために、サラ、その家族、青戸猛が病室に集まってきた。
コリンが、昨日のイサオの状態を話すと、皆が喜んだ。
サラがイサオの手を握ると、イサオは握り返した。
サラの目に涙が溢れた。
「コリン、何かしたの?」
サラが聞いた。
「いや。昔の話を、デイビットにしただけだ。そうしたら、イサオの体が動いたんだ。」
「昔の話ね。」
皆が言った。
「結婚前の話はどうかしら。」
サラは、結婚前のエピソードを話した。
サラと青戸勲が大学生だった頃、デートを楽しんでいた。
ダイナーを出て通りを歩いている時、いかつい男性2人が青戸勲に絡んで来た。
青戸勲は、サラを連れてその場から逃げようとするも、男達はサラまで絡んできた。
青戸勲はサラを庇い、前に出た。
男達が襲ってきた。
しかし、青戸勲は男達のパンチを流すようにしてかわすと、投げ飛ばした。
驚いた男達は、逃げ去った。
かすり傷一つ負っていない青戸勲は、何事も無くサラを自宅まで送り届けた。
この件で、サラは益々青戸勲に惚れた。
この話には後日談があった。
男達は、サラの兄・ルイスの友人であった。
国際結婚に反対していたルイスは、空手が得意な友達に頼み、青戸勲を倒す様に頼んだのだ。
青戸勲が男達に殴られた所を見れば、強い男が好きだと言ったサラは諦めてくれるだろうと思っていたのだ。
しかし、倒されたのは男達の方だった。
人伝で、兄のルイスの企みを知ったサラは、兄を鍛えたパンチで叩きのめした。
激高するサラを制したのは、青戸勲であった。
彼は許し、ルイスもサラとの交際を認めたのだった。
コリンは、初めて聞く話だった。
堪えきれず、デイビットは噴き出してしまった。
ルイスは、短期間ではあるが元はプロのアメフト選手である。
屈強の男を、細いサラが叩きのめしたことを想像すると、笑いを止められなかった。
「妹は、キックボグシングを習っているから、強いんだ。奥歯が折れたよ。」
ルイスが歯を見せると、皆が大笑いした。
青戸勲が動いた。
寝返るをうとうとしているのか、体を横に振ったり、足を少し曲げたりした。
「昔話が良いんだわ。良い方向へ向かっている。コリン、貴方のお陰よ。」
サラが礼を言うと、コリンの手を握った。
医師の説明があった。
最善を尽くしたので、青戸勲が意識を回復するのは、時間の問題だとの明るい見通しであった。
説明の後、サラと青戸猛は自宅に戻り、サラの母・ジャックリーンとルイスが青戸勲の付き添いをした。
コリンは、デイビットと共に自宅アパートに帰る。
デイビットが車を出している間、コリンの側に刑事ニックが現れた。
「青戸勲の状態は、良くなっているそうだな。」
「何の用だ。」
コリンは刑事ニックを睨んだ。
「いい加減、機嫌直せよ。これから、お前は彼氏とご帰宅か?」
「だから何だ。俺達は一晩イサオの付き添いをしたんだ。これから休んで悪いか。」
「悪いとは言っていないさ。お前の様に逃げる者がいれば、サラの様に闘う者がいるんだなと、そう思っただけだ。」
「逃げる?俺はイサオの側にいるんだ。逃げてなんかいない。」
「じゃあ、何故男が側にいる。お前がしょげて、一人では何も出来ないと思ったからだろ。」
「俺は、お前の様な“化け物”じゃない。人間だ。辛い時は、恋人に頼ることだってあるんだ。」
コリンは嫌味を返した。
「俺の仇名を知っていたのか。」
“化け物”と言われても、ニック刑事は表情を崩さなかった。
「ああ、知っているさ。3年前、このマイアミを騒がせた連続殺人鬼を逮捕した時、お前が奴をボコボコにしたんだろう。それを根に持った連続殺人鬼が、裁判でお前のことを『アイツの方が化け物だ。』と罵った。それから、周りに“化け物”と陰で呼ばれるようになったことをね。」
コリンは冷たい視線を、ニック刑事に送ったが、彼は平然とそれを受け入れた。
「連続殺人鬼の言っている事は、間違っていない。俺の中には、恐ろしい化け物が住んでいるんだ。」
コリンはぞくっとした。
「彼氏の車が、そろそろ玄関口に到着するぞ。アパートで、冷えた心を温めて貰え。」
ニック刑事は、コリンに再び嫌味を言うと、その場から立ち去った。
コリンは横を向いて、玄関口を見た。
丁度、デイビットの車が到着する所だった。
アパートに帰ると、デイビットはコリンを求めた。
コリンは応じた。
しかし、コリンは集中することが出来なかった。
刑事ニックの言葉が、コリンの頭から離れなかったからだ。
デイビットがコリンの左の太腿を甘噛みした。
「くすぐったい。」
コリンは我に返った。
「気が付いたか。どうしたんだ、ずっと天井ばかり見て。」
「ご免。病院で会った刑事の言葉が、ずうっと引っかかってね。」
「さっき言っていた白髪の刑事のことか。」
「そうだ。そいつが『俺の様に逃げる者いれば、サラの様に闘う者がいる。』と言ったんだ。」
「お前は逃げてなんかいない。今度会ったら、そいつを叩きのめしてやる。」
「いいんだ、そんなこと。俺が気になったのは、『サラが闘う者』という言葉だ。もしかして、サラはイサオの為に何かしているのかも。」
「もしかして、犯人探しか。」
「そうだと思う。デイビット、悪いんだが・・・。」
「気にするな。協力すると言っただろう。」
コリンとデイビットは着替えると、サラの自宅へと向かった。