サラ、青戸猛、そしてコリンは、青戸勲が入院している病院へ向かった。
その車の後ろを、もう一台の車が追っていた。
車に乗っている2人の男達は、自宅にいるアルベルト・ウェルバーに、青戸猛の事を連絡していた。
「分かった。そのまま尾行を続けろ。」
車の男達に指示し、アルベルト・ウェルバーは携帯を切った。
自宅には、彼の配下の者達、ニューヨークからの数名の同志を含め、20名程の人数がいた。
甥のアルベルトは、彼らに食事を振舞っていた。
玄関先には、“老人”と仇名がある男が見張りに立っていた。
“老人”はタバコを吸いに、庭先へ出た。
「今、連中は病院へ向かっていると連絡が入った。画像を送ってもらったが、やせこけた男だ。みんな、見ろ。」
男達が極秘に撮影した画像を、ニューヨークの同志に回した。
「60代に見える。ウェルバーと同じ70代には見えないが、前に見た写真よりも痩せている。」
ニューヨークの同志が言った。
彼らは、定年退官時に青戸猛が仲間の警官達と撮った記念写真しか見ていなかった。
鋭い視線を持った青戸猛は、今は穏やかな顔付きをしている。
現役時代も細身の体だったが、引退生活と病気で余計細く見えた。
ニューヨークの同志は、拍子抜けした。
「ほらな。恐れることは無いと言っただろ。奴は、自己管理が出来ず、糖尿病を悪化させた男に過ぎない。ニンジャの修行をしたと言うが、大した事は無い。」
アルベルト・ウェルバーが言った。
この所、ニューヨークと情報の共有が出来ておらず、関係がギクシャクしていた。
関係の修復と、今後の事を話し合うために、ニューヨークから同志を呼んだのだ。
「それでは、計画を実行するのか。」
ニューヨークの同志は、計画の早期実行を求めた。
「まあ待て。多少変更はしなければ。依頼人には、時間が掛かると伝えてくれ。必要ならば、私が出て説明しても構わない。」
ウェルバーは彼らを制した。
外から、車の音や子供達の喚声が聞こえてきた。
「何だ?」
「通りを挟んで向かい側の家族が、食事から帰ってきたな。あそこは子沢山だから、うるさいんだ。子供達が家に入れば静かになる。それまで休憩だ。」
ウェルバーは諦めた様に言った。
ニューヨークの同志が、カーテンの隙間越しに、向かい側の家を覗いた。
大型のバンから子供達が飛び出して、夜の中をはしゃぎまわっていた。
その内の男の子が、リュックを開けたまま動いたので、中からミニカー数台が飛び出してしまった。
男の子が叫びながら、ミニカーを拾おうとして、道路に飛び出した。
『危ない!』
そう思った瞬間、外でタバコを吸っていた“老人”がスッと道路を渡り、男の子をガードした。
幸い、道路を走っていたのはマウンテンバイクで、運転者は難なく2人を避けて通り過ぎて行った。
慌てた母親は“老人”に礼を言うと、ミニカーを持った男の子を家に入れようとした。
「まだ、1台見付からないよ。」
男の子が母親に言った。
すると、「車の下にあるよ。」と“老人”はミニカーのある方向へ指をさした。
男の子が車の下からミニカーを見つけると、礼を言って、母親と共に家の中へ入っていった。
“老人”もウェルバーの家に戻った。
「夜でも、かなり視力が良いな。」
ニューヨークの同志は感心した。
「いえ、ミニカーが落ちた音を聞いたのです。元々、聴力は良い方なんです。」
“老人”はそう答えた。
「やっと静かになったな。計画を練り直そう。」
ウェルバーが声を掛け、皆は居間に集まって協議した。
=====
その頃、青戸猛は、頭を撃たれ重体となっている次男・勲を見舞った。
病室には、サラの母・ジャックリーンと兄・ルイスが待っていた。
サラから、勲の容態を聞いた猛は、静かに言った。
「急所を外れたこと、救命処置が早かったことが、勲の命を助けたんですね。」
「少しずつですが、手が動き始めました。お医者様は、快方に向かっている兆しと。」
猛が勲の手を撫でた。
勲の手は動かなかった。
「ご存知の通り、勲は6歳の時にも頭を大怪我をして、命の危険に陥ったことがありましてね。それを乗り越えて、ここまで来ました。今回も乗り越えるはずです。」
猛は、皆の顔を見渡した。
サラ達は、「そうよね。」と励ましあった。
コリンは、サラ達の輪には入れなかった。
6歳の大怪我と今回のとは、性質が全く違うからだ。
勲が6歳の時、山道から転がり落ち、頭を強打して、意識不明になった。
祖父と兄・隼と山に登って、走っていたのだが、祖父の監督責任が問われることを恐れた猛は、病院より先に関係各所を回った。
勲が意識を取り戻した後も、看護は祖母に任せ、猛は事態の収拾に当たっていた。
世間体を気にして、子供の命よりも、公務員の祖父を守ろうとしたと感じ、幼い勲は傷ついた。
時の流れによって、心の傷は大分癒えたと、勲はコリンに語っている。
「親父は弱い人だと、思えるようになったんだ。」
コリンの心中は複雑だった。
「夜分に失礼します。」
マックス・カールマン刑事が、病室に現れた。
マックス刑事は、青戸猛に挨拶をすると、コリンを呼び出した。
「コリンさん、遅い時間に悪いのだが、ちょっと時間をくれるかな。イサオさんのことで、もう一度聞きたいことがあってね。昼間電話を何回かかけたけど、留守電だったね。メッセージ聞いてくれたかな?」
「済みません。まだ、聞いていません。」
コリンは、ばつが悪そうだった。
マックス刑事は「気にしなくていいよ。」と笑って許すと、共に病室を出た。
廊下で、ニック・グランド刑事が待っていた。
3人は病院内のカフェテリアに向かい、奥の席に着いた。
この時間、殆ど人はいなかった。
ニック刑事が単刀直入に言った。
「君、FBIに逮捕されたことがあるね。それも、殺人容疑で。」
コリンは顔を引きつらせた。
「2年前の話だ。直ちに釈放された。俺は無罪だ。イサオの件とは関係ない。」
2年前にコリンは、仲間と恋人を奪った殺し屋を日本まで追いかけ、仇を討った。
日本の警察とFBIに逮捕されたが、デイビットや日本の友人の尽力もあり、コリンは国外退去処分だけで済まされた。
ニック刑事は無表情のまま、灰色の目でコリンをじっと見た。
「無実では無いよね。真面目なイサオに、裏社会と関わりがある人間が側にいるとはね。銃を持った強盗に、鉛筆だけで倒した話といい、イサオには色々な顔があるんじゃないか。」
「釈放されてから、俺は足を洗った。今は、裏社会の人間とは一切会っていない。イサオには裏があるもんか。イサオは、人助けしても言いふらさない。彼は、立派な人格者なんだ!」
コリンは語気を強めて言い返した。
ニック刑事の一言一言が棘となり、コリンの心を刺した。
自分が裏社会にいた過去によって、イサオが悪く見られていると感じ、辛かった。
「これは只の確認だ。気にせんでくれ。我々が、イサオの周囲を探れば探るほど、何故撃たれたか分からなくなるんだ。周りも善良な市民ばかりだしね。事件前に、イサオには特別に怪しい動きは無かったことが判明している。コリンから見て、何か気が付いた点はあるかい?君なら、違った視点で見られるからね。」
マックス刑事が優しく尋ねた。
「イサオにずっと付き添っているけど、おかしな所は見付かりません。」
「どんな些細なものでもいいから、見付かったら遠慮なく我々に連絡して欲しい。今日はここまでだ。協力してくれて有難う。」
マックス刑事とニック刑事が席を立った。
サラは、警察に情報が集まっていると言っていたが、実際はそうでも無いのか。
コリンは不安になった。
いきなり、目の前にバンドエイドが飛んできた。
ニック刑事が投げ付けたものだ。
「首の後ろに、大きな噛み傷があるぞ。」
コリンは首に手をやり、顔がカーッとなり、赤くなった。
出かける前にシャワーを浴びた時、体中についた痣を熱いタオルで当てたりして、随分と消したつもりでいた。
まさか、首の後ろに付いているとは思いもしなかった。
「だらしがない。」
ニック刑事がきつく注意した。
コリンはむっとした。
『化け物だけには、言われたくない。』と言い返そうとした瞬間、マックス刑事がニックに文句を言った。
「おい、失礼だぞ。」
「兄と慕う男が、女房の手しか握れないというのに、その時こいつは何をしていたんです。」
ニック刑事の指摘され、コリンはドキッとした。
「兄と弟は別だ。何をしようと、言われる筋合いは無いぞ。」
「そうですね。言い過ぎました。申し訳ない、コリン。」
コリンはニック刑事の謝罪を受け入れると、トイレに直行した。
洗面台の鏡を見ながら、首の傷をバンドエイドで隠した。
iPhoneの着信履歴を見た。
警察から2回、それに青戸隼から3回着信があった。
この時はデイビットに夢中になっていたので、iPhoneが鳴っても気が付かなかった。
『あの刑事の言うとおりだ。俺何していたんだ。』
コリンは自分を責めた。
留守電には、青戸隼から「何時でもいいので返信をお願いします。」と入っていた。
青戸隼の携帯に掛けた。
直ぐに出てくれた。
「初めまして、コリン・マイケルズさん。弟から、貴方のお話はしばしば聞いていました。所で、父はもう病院に着きましたか。」
早口の英語だが、低くはっきりとした声は、父親の猛にとても良く似ていた。
「コリンと呼んで下さい。猛さんは、無事に着きました。今、イサオさんと対面しています。残念ながら、イサオさんはまだ反応が無くて。」
コリンは手短に、イサオの容態を話した。
少し、沈黙があった。
「コリン、お願いがあるのです。メールでも結構ですから、毎日父について報告をして頂けないでしょうか。イサオの弟分の貴方にしか、頼めないのです。父は医者の言うことを聞かず、糖尿病を悪化させた前歴があります。米国でもし病状が再び悪くなって、サラに迷惑を掛けるのではとハラハラしてしまうのです。サラは、弟について毎日の様に連絡をしてくれます。彼女の負担を、これ以上増やしたくは無いのです。出来れば、このことは父には内緒にして下さい。もし知ったら、父は怒りますから。」
2年前に猛が入院した時に、隼は見放していたと聞いていたが、やはり親子の情は繋がっているのだなと、コリンは思った。
「分かりました。」
電話口で、隼は何度も礼を述べた。
コリンは隼のメールアドレスを教えて貰い、iPhoneを切った。
病室に戻った。
青戸猛が、コリンの首のバンドエイドを見つけた。
「さっきは貼って無かったですよね。どうかされたのですか?」
「いえ・・・、虫に喰われたのが、化膿しまして。」
コリンはしどろもどろになった。