ウィークリーマンションへ移ったその日、コリンは早めに床に就いた。
明け方近くにコリンは右手と肋骨を折られ、朝には右肩の手術をした。
それから、松井節子に自分の全てを打ち明けた。
痛み止めを貰っていたが、コリンは心身共に疲弊していた。
松井節子も疲れ、早めに別室で眠った。
それから3日間、コリンと松井節子は警備会社の重役の件を探ったり、姿を消した古美術商の行方を追ったが、手掛りは見付からなかった。
そして、嶋村涼一議員まで手を広げたが、彼は党首選挙で忙しく、怪しい動きは見られなかった。
弟で私設秘書の嶋村和一が、事務所からいなくなっていた。
噂では、対立候補のスキャンダルを探すように密命を受けているらしい。
コリンは何か引っかかった。
松井節子を説得して、嶋村和一の居所を探そうとしたが、彼も見付からなかった。
何も進展しない上に、蒸し暑いせいで、コリンの折れた右手首は痛くなった。
食べようとしても、思うようにスプーンを持てず、左手でスプーンを辛うじて持ち、ようやくものを口に運んでいる状態であった。
このままでは何も出来ず、松井節子も守れないのではと、コリンはとても不安になった。
3日目の夜、コリンはリチャードと仲間の夢を久しぶりに見た。
裏社会へ身を投じてから6年もの間、全米を転々とし、仲間達との生活はかけがえの無いものであった。
リチャードからは、人を愛する喜びと悲しみを教えられた。
皆、暖かかった。
コリンは目を覚ました。
目から涙がこぼれていた。
あの頃に戻りたくても出来ない。
喪失感がコリンの心を襲った。
ふと、コリンはリチャード達と武器を製造した時のことを思い出した。
体中から電気が走った。
これなら、影無き男と対決できる。
時計を見ると真夜中であるが、いてもたってもいられなかった。
コリンは服を着ると、松井節子宛に『すぐに戻る。』とメモを残すと、こっそりと外へ出た。
近くの銀行のATMで金を引き出して、タクシーを捕まえ、新橋まで向かった。
新橋には、“おじさん”がいた。
おじさんの住むビルへ到着すると、地下室のドアを叩いた。
すると、上から声がした。
「どうしたんだい。こんな夜中に。」
おじさんがいた。
「おじさん、夜中に申し訳ないが、是非ともお願いしたいことがあるんです。」
コリンは階段を駆け上がると、おじさんに現金100万円を渡した。
「分かったよ。」
おじさんは、コリンを地下室へ招き入れた。
コリンは、目の前にあったチラシの裏に、図面を書いた。
「ほっほー。これは面白いね。」
おじさんは、図面をまじまじと見つめた。
朝になった。
コリンがおじさんの所から戻ると、松井節子は起きていた。
「メモは見たけど、心配したわ。どうしたの。」
「また右手首が痛くなってね。裏社会の御用達の病院へ行って、強めの痛み止めの注射を打って貰ったんだ。」
コリンは嘘を付いた。
額に汗が滲んでいた。
「まだ、痛そうね。ギブスを交換したようだけど、大丈夫なの?」
「時間が経てば、もっと効いてくるってさ。」
コリンは新しく巻かれたギブスを摩りながら、言った。
コリンを待っている間、松井節子も動いていた。
小学校の同級生・田所文也刑事から、FBIの情報を聞き出していた。
コリンの思惑通り、GPSが置かれたビジネス・ホテルで刑事が数名向かった。
フロントで、コリンの写真を見せた。
この人物がチェックインしたと、フロントは証言した。
刑事が部屋のへ行くと、ドアには『掃除はしないで下さい。』の札をぶら下がっており、TVの音もかすかに漏れ聞こえ、中に人がいると思った。
上から踏み込むことを止められているので、刑事達はただじっと外で張り込んでいた。
FBIは警視庁の刑事と共に、裏社会に通じている人物から、小笠原文武の事件について聞き込みをしていた。
その中から、小笠原文武が贋作を扱う美術商のもとで働いていた事実が出てきたと言う。
小笠原文武がそこで働いていたのは短期間であったが、その美術商は彼のことを良く憶えていた。
FBIには、彼がヨーロッパに渡ってからは、連絡をしていないと言っていた。
しかし、掃除のおばちゃんに聞いた所、小笠原文武と似た人物が今年の2月頃から、その美術商の所へ頻繁に訪ねて来ていたとの証言が取れた。
その美術商は裏社会との人脈があり、FBIはそこに注目していた。
FBIは、2月に松井節子がハンティング中で、流れ弾に当たりそうになったとこも掴んでいた。
2月に松井節子が流れ弾に当たりそうになった後で、小笠原文武は美術商と再び接触し、何かしようとして殺されたのではと、FBIは見ていた。
そしてFBIは、松井節子が館長を勤める高藤美術館に、『しばらく休む。』と言って、今朝からコリンと姿を消したことも知っていた。
「この際、全部吐きなよ。俺も協力するから。」
田所刑事は、松井節子の身を案じた。
「何も思い当たらないのよ。コリンがいるから大丈夫よ。」
松井節子は、笑って携帯を切った。
それから1時間後に、コリンが戻ってきたのだ。
コリンは、松井節子からの話しでFBIがかなり近い所まで来ていることを知った。
このままではカモフラージュがばれ、自分達の居所も知られてしまう。
再び、コリンと松井節子は移動した。
今度の移動先は、都内の小さな老舗のホテルであった。
そのホテルの経営者は、松井節子の友人であった。
経営者に頼み、ここへ来たことを従業員に内緒にしてもらい、2部屋を取った。
2部屋は、中の扉で部屋の行き来が出来る様になっていた。
部屋で落ち着くと、コリンは醜悪な気配を外から感じた。
壁越しにそっと窓を覘いたが、上階からだと人は小さく見え、怪しい人物が何処にいるのか分からなかった。
中の扉からノックがして、開いた。
「今、高梁真弓さんから連絡が来たの。君津川が重態で病院に運ばれたって。アメリカから来た殺し屋を探して、その人から撃たれたそうよ。」
コリンの頭の中で、影無き男の姿が浮かんだ。
2人は、病院へ行った。
外の駐車場では、目付きの鋭い男達が携帯で何処かへかけていた。
こっそりと、病院へ潜入した。
夜の病院は静かであった。
君津川の病室へ入った。
命は取り留めたが、意識はまだ取り戻していなかった。
『無駄足だったか。』
2人は病院の外へ出た。
外では、男達があちこちに携帯を掛けていた。
1人の男の声が、コリンの耳に入った。
「気を付けろ。奴は変装の名人だ。どんな人間にも化ける。日本人もお手の物だからな。」
『君津川を襲ったのは、影無き男だ。』
コリンは確信した。
ホテルに戻ると、高梁真弓から連絡が来た。
「とんでもない情報が入ったの。君津川と一緒にいた男が、行方不明ですって。誰だと思う?嶋村和一よ。今、嶋村涼一の事務所は蜂の巣をつついたような騒ぎだってよ。」
2人は、嶋村涼一の許へ向かうことにした。