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松井節子は、コリンに去年の出来事を話した。


去年、1人の若い女性が、松井節子を訪ねて来た。

彼女は、国会議員・嶋村涼一の事務所の事務員をしていた。

話によると、嶋村涼一の弟で、私設秘書・嶋村和一の身の回りの世話を長年していたと言う。

早い話が、愛人である。


その愛人が、2つの古い書類を持ってきて、松井節子にこれを買い取って欲しいと言って来たのだ。


松井節子の従兄弟が、国会議員をしていて、嶋村涼一とは反対の勢力にいることを知ってのことだ。


直接、彼女の従兄弟の所へその書類を持っていきたかったのだが、嶋村涼一の監視があり出来なかった。

ここへ来たの時も、監視の目を盗んで、ようやくたどり着いたのだ。


松井節子は、その書類を見て仰天した。


それは、高藤正次郎が嶋村佐知子に宛てた手紙と嶋村和一が雇った探偵の報告書であった。


嶋村和一は、探偵の報告書によれば、故・嶋村和比呂国会議員の親戚が父親であった。

噂通り、不貞行為で生まれた子であったのだ。


だが、2つ目の書類が松井節子を驚かせた。

48年前に、祖父の高藤正次郎が書いた手紙であった。


宛先は、嶋村涼一の母親・嶋村佐知子。


手紙には、嶋村佐知子から妊娠したとの手紙を受け取って、驚いたと記されており、もし望むのなら認知する意志がある旨の内容が書かれていたのだ。


嶋村涼一も不貞行為で生まれた子であり、高藤正次郎と嶋村佐知子との間の子供であった。


つまり、松井節子と嶋村涼一は、姪と伯父の関係なのである。


高藤正次郎の娘婿は元総理で、嶋村和比呂は元総理と対立していた派閥に所属していた。

嶋村和比呂にとって、高藤正次郎は政敵の義父にあたる。


昭和30年代後半は、アメリカはケネディ大統領の時代で、ベトナム戦争やキューバ危機等があり、混沌としていた。


いち早くアメリカの動きを知りたかった嶋村和比呂は、アメリカに太いパイプを持つ高藤正次郎の力が欲しかった。


そこで、嶋村和比呂は在原業平の掛け軸を古美術商から手に入れ、それを餌に高藤正次郎を自分の陣営に引き入れようとしていたのだ。


しかし、高藤正次郎は強かであった。

嶋村和比呂が脱税していた証拠を握り、掛け軸をただ同然で手に入れ、妻まで篭絡したのだ。


「祖父は、人妻が好きだったからね。」

松井節子は、ため息混じりに言った。


その結果が、嶋村涼一であった。


「だけど、これが公表されると高藤家も困るわ。特に、祖父を尊敬していた私の養母が悲しんでしまう。それで、その女性にお金を渡して、その2つの書類を譲ってもらったのよ。」


コリンは、松井節子の話に衝撃を受けた。

嶋村和一が彼女を見た途端、襲ってきたのか理由が分かった。

自分達の出生の秘密を握っていると知り、彼女を恐れたのだ。


「で、その書類はどうしたの?」


「燃やしたのよ。あんなもの、お互いに災いをもたらすだけですもの。このことは、私と小笠原君の胸に仕舞ったの。従兄弟には、一言も言っていないわ。」


「焼却されたと知らずに、この世には無いものを、嶋村涼一議員は取り戻そうとしているかもよ。」


「それはないわ。一度、嶋村涼一議員が私に接触して来たことがあったわ。でも、私は『書類を見ずに、その女性を追い出した。』と言ったから。だからそれっきりになったわ。」


「その女性は?」


「雲隠れしたわ。噂では、北海道の妹の所へ行ったそうよ。可愛そうな人。愛した男性に捨てられて。その怒りが、あの様な形に出てしまったのよ。これと、今回の件は全く関係ないわ。」


嶋村涼一議員が自分の出生の秘密を隠匿したければ、去年に松井節子と小笠原文武を消そうとした筈であると、彼女は思っていた。


「去年、何かおかしなことは起きなかった?」


コリンが尋ねた。

コリンは、今回の件と去年のことが繋がっている様に思えてならなかった。


「無いわ。おかしなことが起きたのは、6ヶ月前からよ。」


「6ヶ月前?」


「ええ、今年の2月に、私と小笠原君や、友達と狩猟をしに行った時が最初ね。」


「狩猟?君、銃が撃てるの?」


「私、大学生の時に射撃部に入ったのがきっかけで、銃の免許を取ったのよ。今でも時々うちが所有している山へハンティングしに行くのよ。」


松井節子の趣味に、コリンはびっくりした。

この女性には何時も驚かされている。


「今年の2月、皆で狩猟をした時のことよ。1発の流れ弾が、私に命中しそうになってね。小笠原君が、とっさに私を守ってくれたから、何ともなかったけど。でもおかしいのよ。流れ弾が発射された方向には、誰もいなかったの。怖くなって、警察を呼んだけど、何も見付からなくて。結局、警察は仲間が誤って撃った弾が、私に当たりそうになったのだろうと、捜査を打ち切ったのよ。私や小笠原君は、違うと思っていた。それで、警備会社に警護を頼んだの。」


「そうだったのか。小笠原さんは、それでデイビットに君を守るようにと依頼したのか、分かったよ。」


コリンは、6ヶ月前の件は影無き男の仕業ではないと見ていた。

影無き男なら、きっと狩猟に来ていた全員を殺す筈であるからだ。


まず、別の人物が松井節子を何らかの理由で狙って失敗した。

次に、依頼人は影無き男を使って、松井節子を殺そうとしている。


6月の終わり、影無き男が現れて、小笠原文武を殺害した。

急用で家を空けた松井節子は、命拾いをした。


8月に入って、車に細工をして松井節子を殺害しようとして失敗した。

近い内に、何かが起きる。


依頼人は何故、複数の殺し屋を使ってまで、松井節子の命を狙っているのか。

松井節子には、思い当たる人物はいなかった。


そして、どうして小笠原文武は、影無き男が彼女を狙っているのを知ったのか。

やはり、小笠原文武は裏社会と繋がりを持っていたのだと、コリンは確信した。

その繋がりで、自分のことや、奴のことを知ったのだ。



松井節子の携帯が鳴った。

田所文也刑事からであった。


「変ね。この時間なんて。」

松井節子は疑問に思いつつも、携帯に出た。


「せっちゃん。大変なことになったよ。小笠原君の事件に、とんでもない連中が関わってきたよ。」


「誰?」


「聞いて驚くなよ。FBIだよ。何でも、連中が関わっている事件と類似しているからとかで、捜査資料を見ているんだよ。それがおっかない女の捜査官でさ。それと、せっちゃんには悪い知らせがある。」


「何かしら?」


「コリンは側にいるか?」


「いるわよ。何故?」


「直ぐに離れろ。奴は裏社会の人間で、武器の製造や密売に関わっている危険な人物なんだそうだ。FBIが奴を追っている。武器を所持しているらしいから、見つけたら何もせずに報告しろと、上から言われたんだ。道理で、目が堅気の人間と違うと思ったんだ。」


FBIが、既に動き出している。

ここを離れなければならないと、2人は思った。


その前に、松井節子は田所刑事に言わねばならなかった。


「コリンは何も持っていないわ。それに危険な人物なんかじゃない。田所君だけには言うけど、彼は小笠原君を殺した犯人を追っているの。」


田所刑事は絶句した。


「犯人を知っているのか?」


「まだ、確かな証拠は無いから言わないわ。後で連絡するわね。」


松井節子は携帯を切った。


「とうとう、日本でも俺は追われる身になった。」


コリンと松井節子は、急いで高藤クリニックを出た。


コリンの提案で、シティホテルで部屋を借りた。

そこの部屋にGPSを置いた。

これで暫くは、FBIの目をごまかせると思った。


2人はそこを出て、マンションへ戻り、荷物を纏めると別の場所へ移動した。



その夜。


国会議員・嶋村涼一の家に一本の電話が掛かって来た。

妻が出た。

「ニック・オクトーバーさんと仰る方から、お電話です。」


嶋村涼一は固まったが、妻から子機を預かると、電話に出た。


「お久しぶりです。困りますね。私の他にも殺し屋を雇うなんて聞いていませんよ。」


「お前が姿をくらましたからじゃないか。」

嶋村涼一が怒った。


「私には私のやり方があるんですよ。それに、あの3人が松井節子を殺した後は、私を消す予定だったそうじゃないですか。だから、私はあの3人を倒したんです。この次は先生ですよ。」


男は冷静だった。


「俺を脅そうとしたってそうはいかない。」


「脅しじゃありません。先生が私を消そうとしたから悪いんです。そうそう、先生の過去を聞きましたよ。非常に興味深いですな。一度、先生の本当のお父様からの手紙を読んでみたいですね。今日は、これ位にしておきましょう。」


電話が切れた。


嶋村涼一は、全身から冷や汗が出た。

こいつも知っている。


『何とかしなければ。』


嶋村涼一は、弟・嶋村和一と君津川に電話を掛けた。


君津川は、警備会社の重役殺しの重要参考人として警察の事情聴取を受けていたが、嫌疑不十分で自由の身になっていた。

嶋村和一と君津川は、男の探索を開始した。

続き