デイビットから繰り出された最初のパンチを、コリンは受け入れた。
道路に倒れたコリンの側へ、松井節子は駆け寄った。
武器にしようとしてハイヒールを脱いだ松井節子に、コリンは「大丈夫。」と日本語で答えた。
口元が、血で真っ赤になっていた。
立ち上がると、コリンはデイビットにタックルして抵抗した。
デイビットは、微動だにしなかった。
まるで、サイボーグと戦っている様だった。
足に蹴りを入れても、デイビットの足は鋼鉄の様であった。
コリンは顔にパンチを当てようとしたが、素早くかわした。
デイビットの左手が、コリンの右パンチを捕らえた。
左手は、強くコリンの右手を握り、コリンは苦痛で顔を歪めた。
そのまま左手を手前に寄せたので、コリンの体もデイビットに吸い寄せられた形になった。
デイビットとコリンは、お互いにらみ合った。
両方共に、野生の肉食獣の様な目をしていた。
デイビットは、右手でもコリンの右腕を掴んだ。
コリンの右手首から鈍い音がした。
デイビットはコリンの右手首をへし折ったのだ。
コリンは痛みのあまり絶叫したが、周りの工事の音でかき消された。
デイビットが手を離すと、コリンは道路にしゃがみ込んだ。
「当分は、銃を持つ事はできない。」
「何てことをするのよ!」
右手首を押さえて苦しんでいるコリンの側へ松井節子が寄ると、デイビットを睨んだ。
「俺は、松井さんを助ける為にしたことだ。小笠原さんから聞いただろう。貴女を助ける為、アメリカで男を依頼したと。」
コリンは非常に驚いた。
小笠原文武が、アメリカに滞在中に、デイビットに依頼していた。
彼は何から松井節子を守ろうとしていたのか。
松井節子は、デイビットを見た。
「あなたが?私は断った筈よ。」
「俺は、それは聞いていない。俺は貴女を守るために、来日した。」
確かに、小笠原文武から、自分を守る人間を依頼したと聞いていた。
しかし、松井節子は断っていた。
警備会社に頼んであるから、問題ないと。
大げさにする必要はないと思っていた。
「こいつは、裏社会の人間だ。自分の復讐の為に、松井さんに近寄ったんだ。貴方や小笠原さんの為じゃない。」
デイビットは、コリンを指さした。
コリンは首を横に振れなかった。
「嘘よ。」
「その証拠がある。」
デイビットは、コリンの上着からパスポート取り出すと、松井節子に渡した。
コリンは痛みの余り、何も抵抗が出来なかった。
パスポートを見た松井節子の顔が青白くなった。
そのパスポートの名前は、全くの別人であった。
「こいつ、武器の不法製造や密売グループにいたんだ。松井さんを殺そうとしている男に、仲間を殺されて、自分も殺されかけたんだ。」
パスポートを持っている松井節子は、コリンを見た。
コリンは、松井節子の目を見れなかった。
「松井さんに近寄って、自分を殺そうとした男を倒そうとしていたんだ。貴女は的にされたんだ。まだ証拠はある。こいつ、FBIに1回捕まったことがあって、GPSを右肩に付けられているんだ。」
デイビットは、コリンのワイシャツの胸ポケットから、電波を妨害する装置を出した。
「これは?」
「これはGPSをかく乱する装置さ。これのお陰で、今迄FBIから逃げることが出来たんだ。」
コリンがそれを取り戻そうとしたが、デイビットはコリンの腹を蹴った。
コリンはうずくまってしまった。
デイビットは、装置を道路に置くと、思いっ切り踏んづけて壊した。
「これで、FBIに追われるさ。」
「追われる?」
「ああ、そうさ。こいつカナダで、殺人未遂を起こして、逃げているからな。今、FBIとCIAがこいつの行方を捜しているんだ。」
松井節子は混乱した。
今までのコリンとは、想像もつかない話であった。
「俺は、松井さんを殺そうとしている男を倒して、小笠原さんとの契約を遂行する。それまで、松井さんはどこかで隠れていて下さい。」
「彼はどうするの?」
「彼から離れた方が良い。じきに、FBIとCIAが捕まえに来る。偽造パスポートで入国しているしな。暫くはシャバに出るとはない。」
松井節子はコリンから離れると、大通りへと歩き始めた。
デイビットもコリンから離れ、松井節子の後ろを歩いた。
デイビットは大通りに出ると、タクシーを止め松井節子を乗せ、自分も近くに止めてあったレンタカーに乗って何処かへ去って行った。
車中で、デイビットは自分に言い聞かせていた。
『これで、コリンを影無き男から守ることが出来る。コリンが影無き男を追わない限り、奴も手を出さない。』
コリンは、一人ぼっちになった。
息苦しい上に、右手首がどんどんと腫れ、激痛が伴った。
肉体的な痛みより、精神的な痛みが強かった。
松井節子に嘘を付いていたこと。
デイビット騙したことを。
遠くからサイレンの音が聞こえた。
逃げなければと思い、ふらふらと立ち上がると、折れた右手をかばいながら歩いた。
胸に痛みが襲い、息苦しくて、呼吸もままならない。
コリンは突然立ち止まり、その大きな目を見開いた。
目の前に、松井節子が現れたからだ。
戻ってきたのだ。
「何故、戻った。」
「私、殺し屋から隠れて怯えるなんて嫌。闘うわ。だから戻ったの。」
「来ないほうが良い。」
「何いってんの。まずは傷の手当を考えましょう。」
松井節子はコリンに寄り添うと、大通りに止めてあったタクシーに乗った。
「神保町の高藤クリニックまで、お願いします。」
松井節子の指示で、運転手はタクシーを走らせた。
「どうして、君を騙した俺を助けたの?」
「怪我人は、黙っているのが一番よ。」
そう言うと、松井節子は携帯で誰かと話を始めた。
神保町の一角にある、コンクリート造りの3階建ての建物の前で、タクシーは止まった。
門に大きく『高藤クリニック 診療科目:内科、外科、肛門科』と書かれた看板が見えた。
2人はタクシーを降り、高藤クリニックの中へ入った。
「ここは、私の異母兄がやっているのよ。この前話した、傷害事件を起こした兄とは別人よ。真面目な人で、6人いる異母兄の中では一番仲が良いの。」
松井節子が説明した。
「やあ、良く来たね。患者さんはその人かい?」
顎鬚を生やした松井節子の兄・高藤仁司医師は、ニコニコしながらコリンを診察室へ案内した。
「兄さん、こんな夜遅くに御免なさい。」
「いいさ。僕は独り身だしね。何時でも患者さんは歓迎するよ。これはひどいな。」
高藤仁司医師は、コリンをレントゲン室へ連れて行き、レントゲン写真をとった。
暫くして、結果が出た。
右手首の他に、肋骨が2本折れていた。
高藤仁司医師は、コリンの右肩にあるモノを見付けた。
「なんだろう、この小さい四角の物体は?」
「GPSよ。兄さん。」
「何で体に埋め込んでいるの?」
「付けられたのよ。FBIに。」
「?!」
妹の発言に、高藤仁司はびっくりした。
「前にFBIに捕まったことがあるんですって。その時に付けられたそうよ。そうよね、コリン。」
「付けられたというより、騙されて埋め込まれたんだ。」
コリンと妹の会話に、高藤仁司は更に混乱した。
この小柄な紳士は一体何者なのかと、高藤医師は疑問に思った。
「兄さん、心配しないで。この人は、小笠原君の知り合いで、私にとっても友人なのよ。だから、お願いがあるの。」
松井節子のお願いを察した、兄・高藤仁司は苦い顔をした。
「大丈夫なんだろうなぁ。警察に捕まって、医師免許を剥奪されるってことはないよね。」
「兄さんは私が守る。約束するわ。」
松井節子は、兄に向かって手を合わせた。
コリンは松井節子の考えに驚きつつも同意した。
「取ってくれるのなら、有難い。これから動き易くなるしね。FBIが、GPSを右肩に埋め込んだのは、俺を捕まえる為じゃなく、泳がせるなんだ。俺のやることに邪魔が入ったら困るんだ。先生、俺からもお願いします。」
今度は、松井節子が驚いた。
「あの男が言った通りなのね。貴方、仲間の敵を討とうとしているの?」
話をしてコリンは息苦しくなってきた。
高藤仁司医師が、コリンの治療を始めた。
「治療が終わったら、全て話すよ。」
コリンが苦しい息をしながら言った。
FBIでは、早速GPSが再び動き始めたことを察知していた。
アメリカ人の殺し屋が東京で殺害された事件で、日本に出張していたキャロライン・マクマーン捜査官とジョン・ヘムスリー捜査官に、FBI本部から連絡が入った。
「コリン・マイケルズが日本に潜伏している。」と。