目次

殺し屋に買収された警備会社の重役が、裏カジノから姿を消したと、松井節子に連絡が入ったのは夜中であった。


電話を掛けたのは、裏カジノと同じビルに構える高級クラブの雇われママ・高梁真弓であった。


「トイレに行くと言って、姿を消したのよ。防犯カメラを見ても重役しかトイレに入らなかったし、裏カジノの連中が何処を探しても見付からないのよ。」


高梁真弓は、裏カジノのオーナーから聞いた話を伝えた。


「もしかして、警察の動きを察して逃げたのかしら。」

松井節子は考えた。


「いえ、今日も奥さんと来ていたのよ。仲は良好らしいから、1人で逃げる事はないと思うわ。」


「奥さんはどうしてる?」


「もう、半狂乱よ。警察に行くって言って聞かないらしいのよ。今、オーナーが説得してるらしいわ。彼の提案で、うちのクラブで行方不明にするって話が出ているらしいんだけど。そうなると、今日いらしたお客様に話をしないといけなくなるし、困ったわ。」


高梁真弓がぼやいた。


また何か情報が入ったら連絡すると言って、高梁真弓は電話を切った。


松井節子から話を聞いた、コリンは何かが動き始めたと感じた。



朝になり、松井節子は田所文也刑事の携帯に連絡したが、まだ彼の元には重役の失踪の情報は入ってこなかった。

まだ、警視庁だけが知り得る情報であった。


松井節子の携帯が鳴った。

高梁真弓からであった。


携帯に出ると、高梁真弓から最新の情報が届いた。

妻が裏カジノのオーナーの説得に応じ、警察に行くのを今の所は止めると言ってくれたとのことであった。

今日は、会社に風邪で休むと連絡を入れていたとのこと。

それと引き換えに、オーナーはあらゆる手段を使って、重役を探すと約束した。


高梁真弓は、これからが勝負だと言った。

仮に、見付からないときはどうするのか。

小笠原文武の殺人犯と接触した重役が消えたとなると、警察は黙っていないはずだからだ。


ひとまず携帯を切った。


夜になり、更に動きが加速した。


田所文也刑事から、連絡が来たのだ。


匿名のタレこみが警視庁に入ったと言う。


『裏カジノで、警備会社の重役が失踪し、それに関与したのは裏の仲介人・君津川である。その証拠が、君津川の仲間の山荘にある。』


潜入調査を行っていながら、重役の失踪を見逃してしまった警視庁は、面子を懸けて指定された山荘へ向かった。

場所は、伊豆近辺であった。

そこの山荘には人がいる痕跡があったが、誰もおらず、その代わりに1冊のノートが発見された。

そのノートは、ある人物が裏社会で働いたことを詳細に書いたものであると判明した。

内容からして、書いた人間は殺し屋であった。


ノートの中には、君津川の依頼で警備会社の重役を殺す様にと、命じられたことが書かれてあった。

ノートによれば、裏カジノで重役の首をへし折って殺し、天井裏に遺体を隠して、それを翌朝ここの山荘に移動させて、軒下に埋めた。


警視庁は軒下を掘ると、ノート通りに重役の遺体が出てきた。

遺体の状況もノートの書かれていることと、同じだった。


警視庁は、山荘に捜査員を配備させ、誰か山荘に近づいて来る者がいれば捕まえよと指示を出した。


そして、警視庁と所轄の警察が合同捜査本部を立ち上げ、裏カジノへの捜査を開始した。


田所刑事は、懐疑的であった。

これは何者かの罠だと思っていたが、上層部はノートのことを信じきっていた。


コリンと松井節子も、田所刑事の考えに同意した。


何かあると思った。


同じ頃、高梁真弓から電話が入った。

今警察が雪崩込んで、ビル中は混乱していると。

高級クラブにも、捜査員はやってきて、色々と聞かれたと言う。


大学の同級生の憔悴し切った様子が気になり、松井節子はコリンを伴ってマンションを出た。


松井節子とコリンがビルに到着したが、辺りは野次馬とマスコミが群がり、混乱していた。

当然、ビルの中には入れず、松井節子は苛立った。


ビルの入り口で、警察は君津川を容疑者として、任意同行を求める様子が見えた。

君津川は、翌日弁護士を伴って警察の事情聴取に応じることにした。

警察は渋ったが、まだ捜査令状が取れない段階なので、君津川の言う通りにするしか無かった。


コリンはこの件は、君津川も罠に嵌められたと思った。

これも、影無き男の仕業ではとコリンは勘繰っていた。


影無き男は、警備会社の重役からパスワードを聞き出し、警備会社のコンピューターにハッキングして、松井節子邸の防犯システムを停止させ、小笠原文武を殺した。


次の標的は、その婚約者・松井節子。

しかし、ある事情が起き、松井節子へ魔の手が届かない状況になった。


その原因は何か。

影無き男と君津川との間に何かあるのか。


コリンが考えている間、松井節子に声を掛ける女がいた。

松井節子の手を引いて、1階の高級フレンチレストランの裏口へと案内した。

コリンも後に続いた。


高級フレンチレストランは、この日も混んでおり、警察が来たこと、このビルの最上階に裏カジノがあったことが分かり、大混乱に陥っていた。

中では、パニックになる客や、警察に食って掛る客が出てきて、周りのスタッフが必死に客を宥めていた。


裏の厨房には、数名の見習いコックしかいなかった。

警察は、ここには怪しい人間がいないと分かってから、裏の警備を緩めていた。


女はコックに軽く挨拶をすると、従業員控え室へ2人を連れて行った。


控え室には、高梁真弓がいた。


「せっちゃんなら、ここへ来ると思ったから、女の子に頼んだの。」


高梁真弓と松井節子は、手を握った。


「まあちゃん、大丈夫なの?」


「一通り、取調べが終わったからね。上の裏カジノを知っていたのかと、そればかり聞かれたわ。疲れた。」


「誰かタレこんだのか分かる?」


「全く知らないの。裏カジノのオーナーはしょっ引かれたし、そこで殺人が行われていたのよ。当分は、私のお店には客が来ないわ。商売上がったりよ。誰か知ったら、その首を締め上げてやる。」


怒りを露にする高梁真弓であった。




同じ頃、富士山が見える山小屋。

この山は私有地の為、近づく者はいなかった。

銃声が響いても、それを聞く者はいない。


一晩中、ここで男達の闘いが繰り広げられていた。

明け方になって、影無き男はようやく3人の殺し屋を倒した。


『この感じだ。』


サディストの彼は、強い男達を倒すことに喜びを感じていた。


弱い男をいたぶるのは、軟弱者のすることだと思っていた。

強い男を倒さないと、自分の内側から力が漲ってこないのだ。


今回は、3人の殺し屋である。

強い男を次々に倒していくことで、男達の力を吸い取った気分にもなった。

外からも気を貰った。



小笠原文武の場合は、何時もと違っていた。


『あの男は、銃を突きつけられても平然とし、高級懐中時計と引き換えに、婚約者の松井節子の命を助けて欲しいと言ってきやがった。』


影無き男にとって初めて見るタイプだった。


「無理だ。もう契約済みだ。」

影無き男は拒否した。


何と、小笠原文武は顔色を変えることもなく、高級懐中時計を目の前に翳して、影無き男に頼んだ。


「それなら、彼女を苦しませずにして欲しい。」


「分かった。」


影無き男は、高級懐中時計を手にすると、銃の引き金を引いた。


『今思い返しても、薄気味悪い男だった。』


しかし、今はそんな嫌な気分は吹き飛んでいた。

影無き男はとても高潮していた。


これ程の興奮は、約1年振りであった。

昨年の秋、武器の製造・密売のグループのリーダーであるリチャードを倒して以来であった。


リチャードは、元傭兵として世界中の紛争地帯へ行っており、その腕も確かであった。

尚のこと、リチャードと闘い、蜂の巣にして殺したことは、影無き男にとって興奮の対象であった。

久々に体が震える体験をしたと、満足した。


松井節子は女なので、簡単に殺そうと思った。

高級懐中時計を貰った手前もあるが、弱い女をいたぶっても、影無き男はつまらないと思っていた。

そんな影無き男だが、コリンのことは自分より弱い存在と見ていたが、彼だけはどうしてもいたぶってから殺さないと気が済まなかった。

コリンは、幸運にも彼から2度の襲撃から逃れているからだ。


『あいつになると、俺の手元が狂う。だが、3度目はそうはいかない。』




明け方になり、コリンと松井節子は、裏カジノがあるビルを出て、細い路地を歩いていた。

直ぐ側の大通りで工事が行われ、音がビルの谷間に大きく響いていた。


1人の大男が待ち構えていた。


コリンは大男を見付けると立ち止まり、松井節子に後ろへ戻るように言った。


松井節子は拒否したが、コリンは語気を荒げて、再び後ろへ戻るように指示した。


「後ろへ下がって!」


こんな怖い表情をしたコリンを見るのは、松井節子は初めて見た。


「松井さんがいても構わないさ。俺の依頼人の婚約者だしな。」


英語で語る大男に、松井節子は驚いた。

『依頼人の婚約者?』


「久しぶりだな、コリン。」


「そうだな。デイビット。」


デイビットは、コリンを思いっきり殴った。

コリンは一切の抵抗もせず、デイビットのパンチを受け入れると、道路に倒れた。

続き