目次

コリンと松井節子は、青山の古美術店の前に到着したのは、電話をして40分後のことであった。

店は開いており、中で息子が待っていた。

一日中、両親を探して憔悴しきっていた。


古美術商の店は、いつも通りのままであった。

何か争った形跡も無かった。

コリンと松井節子は店内を見て回ったが、不審な点が見あたらなかった。


ここへ戻ってから、息子は再度ビルで働いている人達から、昨日の店について尋ねていた。

先程、日帰り出張から帰ってきた会社員が、閉店後に来客が現れたのを見たと、教えてくれたのだ。


松井節子は、息子に防犯カメラの映像があれば、見せて欲しいと言った。


息子は、店には設置していないが、ビルの入り口ならあると言って、ビルの管理人に問い合わせてくれた。

ビルの管理人は、息子の頼みに応じてくれた。


管理室で、管理人、古美術商の息子、松井節子、そしてコリンが、昨夜の映像を見た。

昨夜、サラリーマンが古美術商の店の前に立っている映像が出てきた。


松井節子は、男の大きな布カバンを指差した。

布カバンから2つの箱の先端がはみ出していた。

「これ、掛け軸よ。」


管理人は驚いて、防犯カメラの映像を止めた。


松井節子の発言に、コリンと古美術商の息子は、ぎくりとした。

それだけで分かるのか。


「私には分かるわ。この箱に掛け軸を入れていたのよ。」


「この映像を警察に持って行きましょう。」

古美術商の息子は、高藤美術館から掛け軸が盗まれたことを知っていたので、松井節子に問いかけた。


「もう少し待って。映像を全部見てからにしましょう。」

松井節子が答えた。


映像を続けて見ることにした。


古美術商が出てきて、男を店内に入れた。

その後、数時間店には明かりが灯っていたが、誰も出てこない内に消えた。

どういうことなのか。

映像を続けて見たが、朝になっても男と古美術商は出てこなかった。


「裏口から出たのでしょう。」

ビルの管理人は、裏口の防犯カメラの映像を出した。


夜中に、男が大きなトランクと一緒に出て来た映像が残っていた。

男の肩には、大きな布カバンを掛けていた。

布カバンの先には、2箱の先が少し出ていた。


映像を見終わった、4人は暫く黙っていた。

男が美術商を殺して、トランクに詰めて、裏口から出た可能性が高かったからだ。


「警察に行こうと思います。」

息子の意見に、松井節子は同意した。


管理人が防犯カメラの映像をDVDにコピーして、息子に渡してくれた。


管理室を出たら、古美術商の店の前で、先程の会社員が待っていた。


「夕べのことをじっくりと思い出していたんです。何かの助けになればいいのですか。」


「どんな些細なことでも構いません。思い出したことを教えて下さい。」


古美術商の息子の懇願に、会社員は昨夜見たことを話してくれた。


「帰り際、店が明るかったんで、ふと中を見たんです。綺麗な掛け軸が見えたんです。壁に掛けて鑑賞されていた様子でした。十二単を着た女性が描かれていた掛け軸でした。側で、男の方と店主が話をしていたのを見ました。多分、商談だったかと思うのですが。」


コリンと松井節子は、目線を合わせた。

これはきっと、あの小野小町の掛け軸だと。


古美術商の息子は、深々と頭を下げて礼を言うと、警察へ向かった。



あの男は、変装した影無き男だと、コリンは確信した。

映像では、どこからどう見ても日本人であった。

影無き男の変装は巧みで、油断ならないと思った。


「君も警察へ行くか。」

コリンが尋ねた。


「いいえ。今回は息子さんに任すわ。それに、会社員が見た掛け軸と盗まれた掛け軸が、同じという確証はないんですもの。今日の所は帰りましょう。」


こうして、2人は帰途に着いた。



翌日になり、松井節子は、小学校の同級生の田所文也刑事に頼んで、古美術商の件を探った。

所轄の警察署が違うため、細かいところまでは掴めなかった。

息子から話を聞いた所轄の警察署では、事件性があると見て、捜査をしているものの、何も進展が無いと言う。


不審な点と言えば、店の中に古いアルバムが置いてあった位で、店で何か盗まれた形跡も無く、担当の刑事達は頭を抱えているらしい。

古美術商が見た掛け軸は、盗まれた掛け軸とは別の可能性もあり、まだ田所刑事のいる警察署まで連絡が来ていなかった。


コリンは、松井節子がいない隙を狙って、プリペイド式の携帯で、おじさんに連絡を取った。

おじさんは、最近不審な男の情報は入っていないと答えた。


コリンは、影無き男の狙いが分からなくなった。

松井節子を狙っていると思っていたが、掛け軸を古美術商の所へ持ち込み、古美術商を殺している。


何故だ。

真っ直ぐに、松井節子を殺せなくなった理由が出来たのだろうか。

それとも、撹乱させる目的なのか。




週末になった。


小笠原文武の四十九日の法要が、千葉にある菩提寺で執り行われた。

参列したのは、松井節子、松井鞠子・孝彦夫妻、高藤輝、コリン・マイケルズと、小笠原文武の妹夫婦であった。

小笠原文武の両親は既に亡くなり、小笠原家は妹だけが残された。


法要が終わり、納骨を済ませた。

松井節子の表情は、とても寂しそうであった。


コリンは、影無き男を倒すことを墓前に誓った。


近くの中華料理店で、食事をとることになった。


その席で、妹が兄との思い出話をしてくれた。


「人は前を向いて歩くしかない。」

それが、兄・小笠原文武の口癖であったと言う。


昔、失恋して泣いていた妹に対して、兄は妹を慰めもせず、「新しい人を見付けなよ。」とさらりと言ったのだ。


妹は怒ると、兄はこう答えたと言う。

「人生は短いんだ。こうしている間にも、時計の針はどんどんと進んでいるんだよ。色々と体験しないと損じゃないか。」

不思議とその言葉が心に響き、失恋から立ち直り、今の夫を見つけたと言う。


松井節子も、小笠原文武から同様の言葉を聞いたと話した。

そして、婚約者の分までこれからの人生を、一瞬一瞬大切に味わって生きたいと語った。



コリンは小笠原文武と飲み明かしたサンディエゴの夜を、思い出していた。


「時計の針は戻せないんだから、前を向いて歩くしかないよ。人は後ろへ歩くことは出来ないからね。」


彼の言葉が蘇ってきた。

『俺は復讐に生き、復讐と共に死のうとしている。』

前を向いて歩く日はこないと、コリンは思った。

それ故、2人の女性には幸せになって欲しいと切に願った。


和やかに会食は進み、そして解散となった。



松井節子とコリンは、黒塗りのハイヤーに乗り、帰宅しようとしていた。

ハイヤーは千葉から東京まで、高速道路に乗った。


高速は比較的空いていて、ハイヤーもスピードを出していた。

一台のシルバーのボルボがハイヤーの脇を通った瞬間、パーンと大きな音がし、ハイヤーがガタガタし始めた。

パンクしたのだ。

運転手兼ボディガードは、ハンドルを取られないようにしていたが、スピードが出ていたので、思うようにいかなかった。

ブレーキを踏んだが、効かない。


運転手兼ボディガードが、ハイヤーを側壁に寄せた。

側壁の方に、松井節子が座っていたので、コリンは彼女の上に被さる様にしてカバーした。

松井節子は、体を折り曲げた状態になった。


側壁にぶつかったハイヤーは、少しずつ減速した。

ライトの柱にぶつかり、ようやくハイヤーが止まった。

エアーバックが膨らんだので、松井節子とコリンは傷一つ負わなかった。


後ろから、警備会社の車が止まり、警備員がハイヤーの元へ駆けつけた。

運転手兼ボディガードも無事であった。


後から、警察が来て、実況見分となった。

パンクして、ハンドルが効かなくなったとの見方であった。


自動車修理工だった自身の経験で、パンクした上にブレーキが効かなったことが引っかかったのだ。

コリンは車の下を見ようとしたが、「危ない。」と言われ、警備員に止められてしまい、別のハイヤーに乗せられてしまった。


遠くの歩道橋から、目付きの鋭い男は下の様子を見ていた。


「失敗した。」


男は、携帯でサービスエリアにいる2人目の男に報告した。


納骨の時、運転手兼ボディガードが松井節子の側へ行き、車から離れた。

その時を狙って、男は黒塗りのハイヤーのブレーキを細工した。

そして、高速道路、2人目の男がシルバーのボルボを運転し、さらに3人目の男が、ボルボが黒いハイヤーを追い越した時に、弾を撃ってパンクさせたのだ。


「急いで、別の手を講じなければならないぞ。いつもの所に集合だ。」


男は携帯を切ると、近くに置いてあったカワサキ・バルカン900クラシックに乗り、その場を後しにした。


2人目と3人目の男達はボルボに乗った。

1台の車に跡を付けられているとは知らずに、いつもの集合場所へ向かった。



どうにか家に着いた。

松井節子は、只のパンクだと思っていたので、動じていなかった。


謝罪に来た警備会社の担当者に、このことは養父母の松井孝彦・鞠子には決して口外しないように言い渡した。


コリンは、担当者にさりげなくブレーキのことを聞いた。

担当者は「只今、調査中ですので。」としか答えなかったが、表情を見ると何かあることを物語っていた。


やはり、読みは当たった。

影無き男の仕業だと、コリンは誤解していた。




その夜、金で買収された警備会社の重役が、裏カジノのトイレから行方不明になった。


ビル中を探したが、何処にもいない。

裏カジノは通常通りであったが、裏ではてんてこ舞いになった。


裏カジノのオーナーから話を聞いた、同じビルで高級クラブのママをしている高梁真弓から連絡が入ったのは、その日の深夜のことであった。

続き