コリン・マイケルズと松井節子が、酒を酌み交わしている時、影無き男は青山にあるビルの前に着いた。
ビルの1階は、美術商の店が借りており、この時間はカーテンが閉められ、普段だったら閉店していた。
ビジネスマンに変装した影無き男は、チャイムを鳴らした。
店に明かりが付き、中からガマ蛙の様な風貌の男が出てきて、ドアを開けてくれた。
「ようこそ。いらっしゃいました。」
バリトン歌手のような声で迎えた。
影無き男は中へ入った。
ここの古美術商も盗品を扱っていて、先日松井節子が訪れていた所でもあった。
「貴方さんも大胆なお人ですな。私が高藤家と家族ぐるみのお付き合いと知っていながら、連絡してくるなんてね。」
「だから、ここへ来たんです。」
影無き男は、とても流暢な日本語で言った。
影無き男は、盗んだ掛け軸を広げた。
1幅は、小野小町が描かれてあった。
「松井鞠子さんに、よう似てますなあ。噂通りや。」
古美術商が感嘆した。
そう言えば、あの婆さんに似ていると、影無き男は思った。
彼がこの掛け軸を盗んだのは、前の持ち主がコリンの母親だと知ったからだ。
これを餌にして、あの小僧を時間を掛けていたぶろうと最初は思っていた。
しかし、アメリカでCIAが動き始めたので、早めにあの小僧を潰そうと思い、ロスの実家からパソコンを盗んだり、裏社会と繋がっている質屋にそれを売り、小僧をカナダへ導き出したのだ。
思惑通りに行くはずが、あの小僧は逃げてしまった。
小僧は今日本にいる。
ここで倒さないと、これからCIA、FBI、そしてデイビットとの闘いに支障がくる。
影無き男は、先を見ていた。
「どうして、高藤家がこの六歌仙の掛け軸を求めたのかお教えしましょう。」
古美術商がそう言うと、1冊のアルバムを見せた。
アルバムは、殆どが美術商の幼年期の頃で、白黒写真であった。
まん丸とした少年の写真を指さし、「これが、ミーね。」と言った。
その次の頁に、高藤太朗とその妻、一子の小太郎、それに美術商一家との写真が張ってあった。
「小太郎とミーが4歳の頃ね。」
高藤太朗が亡くなる1年前であったので、病魔が進行し、頬はこけてやつれていた。
さらに次の頁をめくった。
「これは、まだ小太郎とミーが生まれるちょっと前。」
高藤太朗と美術商の父親が写っていた。
その頃は、まだ高藤太朗は元気で、切れ長の目から鋭い気を発し、前途洋々の青年であった。
美術商は、1枚のカラー写真を取り出した。
高藤美術館で、僧正偏昭の掛け軸を撮ったものだ。
掛け軸の僧正偏昭は、ほっそりとした顔に、逆ハの字眉毛をし、切れ長の目は遠くを見据え、スラリとした鼻筋、薄い唇はきつく閉じ、緊張感を漂わせていた。
僧侶というよりは、武士を思わせた。
「この掛け軸のお坊さんと、高藤太朗は似てますね。」
影無き男は言った。
「その通りです。太朗さんの元気な頃と、生き写しなんですわ。既に、太朗さんは自分の死期を悟ったようですな。自分の元気な頃を憶えて欲しくて、この掛け軸を大切にしていたんです。それで、残りの掛け軸も見てみたいとの思いが出てきて、太朗さんは集めるようになったんです。」
古美術商は遠くを見つめた。
「太朗さんが亡くなった後は、お父さんの高遠正次郎と、末娘の高藤鞠子さんが、残りの掛け軸を集めてきました。まるで、太朗さんの面影を追い求めるかの如くに。」
影無き男は理解が出来なかった。
どうして、そこまで故人を追い求めるのか。
「太朗さんは、引く時は引き、攻める時は攻める、ということが的確に出来たお方でした。もしも太朗さんが今も生きておられれば、高藤商事はもっと大きくなっていたでしょう。」
そんなの仮定に過ぎない。
影無き男は思ったが、口にはあえて出さなかった。
「高藤家の人間は、太朗さんの影がいつも側にいるのでしょうな。太朗さんの後に高藤商事社長になった弟の浩次さんは、太朗さんを追い越せず、潰れました。末弟・光三さんは、それに怯えて高藤家から逃げ出しました。そして、太朗さんの子供・小太郎さんは、高藤商事社長になった今でも、『亡くなった父ならどうするのか。』とよく考えるそうです。」
生きている人間が、死んでいる人間の幻影に縛られている様に見えた。
「亡くなれば、その人のいい思い出しか残りませんからね。」
影無き男が言った。
今夜来たのは、そんな話を聞きに来た訳じゃない。
古美術商は、「そうですなあ。」と言って肯いた。
影無き男は、在平業平の掛け軸を古美術商に見せた。
本題に入った。
「この掛け軸は、国会議員の嶋村和比呂から買い取ったと聞いたのです。経緯を教えて下さい。」
「ああ、これね・・・。」
古美術商が掛け軸を見た。
「48年前の話ですが、貴方が仲介したから覚えていますね。嶋村議員には、まだ子供達が生まれていませんでしたね。」
影無き男は、古美術商に1000万円の小切手を渡した。
「分かりました。全てをお話致しましょう。」
嶋村涼一議員の自宅。
応接間で、議員は嶋村和一の仲間に大声で怒鳴った。
「お前達がついていながら何だ!この大事な時に。今回は、何事も無かったから、良かったが、もしも万が一のことがあったらどうするんだ!」
仲間達は、ひたすら頭を下げた。
「こいつらは、悪くないよ。悪いのは俺だ。松井節子の顔を見た途端、カーッとなったんだ。兄さん、申し訳ない。」
嶋村和一は、兄に頭を下げた。
「自重しろよ。」
嶋村議員は弟を諭した。
仲間が家を出た後、嶋村和一が持っている携帯のバイブが振動した。
彼は、急いで取った。
相手は、君津川であった。
「いくら急いでいるからって、あんまり派手なことはするなよ。困るのはこっちだぞ。これから、あの3人組が動く。先生に伝えてくれ。」
「分かった。」
嶋村和一は携帯を切った。
「兄さん、いよいよだ。」
嶋村涼一は、大きく頷いた。