目次

コリンと松井節子は、上機嫌で有楽町の近くにある寿司屋をでた。

真夏の夜風が涼しかった。


松井節子の案内で、路地裏のバーへ行くとになった。


この所、調べても仲々手掛かりが掴めず、詰まっていたので、良い気分転換になった。


コリンは、こんなに明るい松井節子を見るのは初めてであった。

気丈に振舞っているが、毎朝晩は仏壇の前に置かれている遺骨に手を合せ、小笠原文武の冥福を祈っているのを知っている。


その時の彼女の顔は、とても憂いを帯びていた。

コリンは、彼女の気持ちが痛いほど良く分かっていた。


彼が殺されたのが6月の下旬で、それから約1ヶ月半が経とうとしている。

今週末、四十九日の法要が執り行われる予定で、コリンも招待されていた。




10分程歩き、路地裏へ入った。

路地裏は小さいバーが連ねていた。


すると、一軒のバーから、スーツを着た5~6名の集団が酔っ払って出てきた。

2人は酔っ払いを避けるように歩いていたが、その中の痩せた男が松井節子を見つけると近寄ってきた。


「高藤の雌犬が!」

罵声を浴びせてきた。


コリンは男を睨みつけ、松井節子をガードした。


「あれは、嶋村和一私設秘書よ。」


「そこをどけっ!」


嶋村和一はコリンの両肩を掴んだが、コリンはすぐに振りほどいた。

仲間は、遠巻きに見ていただけだ。


コリンと松井節子は、後方へ下がった。


嶋村和一は、コリンに殴りかかった。

コリンは、彼の右パンチを、両手を胸の前に構えて、防いだ。

更に殴りかったが、嶋村和一は酔っており、コリンは難なく避けた。


今度は、嶋村和一は近くにあった鉄パイプを拾うと、コリン目掛けて振り下ろした。

コリンは辛うじて避けた。

さっきのパンチと違い、嶋村和一が振り上げている鉄パイプは勢いがあった。


『こいつ、剣術を習っている。』

確かに、嶋村和一は小学生から剣道を習っており、有段者であった。


このままでは危ない。

そう思った時、ガラスの割れる音がした。


後ろにいた松井節子が、リサイクルボックスにあったビール瓶を割って、その割れた瓶の先を嶋村和一に向けたのだ。


嶋村和一の動きは止まった。

野次馬が路地裏に集まり、仲間が急いで嶋村和一を止めに入り、鉄パイプを取り上げた。


仲間は嶋村和一を宥めると彼の囲み、「行きましょう。」と言って、コリンと松井節子の脇を通った。

仲間からの必死の謝罪を、コリンと松井節子は受け入れた。


仲間に囲まれた嶋村和一は、2人を睨んで通り過ぎた。

彼等は、再び頭を下げてお詫びをした。


事が終わり、野次馬も引いた。


落ち着くとコリンは、松井節子の手から割られたビール瓶を受け取ると、リサイクルボックスに戻した。

「もう大丈夫。有難う。助かったよ。」


「本当に可哀想なワルね。」

松井節子は嶋村和一に同情したので、コリンはびっくりした。


「君のこと雌犬と言ったんだよ?」


「嶋村和一って、不倫の子なの。それを世間に知られ、幼い頃から好奇な目に晒されたから、あんなにグレたのよ。」


「えっ?」


「嶋村和一の母親は、国会議員の一人娘なの。その父の命令で、政治家と政略結婚したのよ。愛の無い結婚生活に嫌気をさして、使用人や他の男と奔放な恋愛をして、あの人が生まれたって訳。父親候補の中には、うちの祖父も含まれているのよ。当時、マスコミに随分と書かれたの。だから、あの人は高藤の人間が大嫌いなのよ。」


「君のお祖父さんって、約45年前に85歳で亡くなった人だよね。」


「そう。最晩年に出来た子じゃないかって、色々と言われたわ。まあ、祖父も人妻が大好きだったしね。当時は、お祖母様を亡くしてやもめになって、寂しかったのよ。」


コリンは、嶋村和一には同情出来なかった。

過去を引きずっている、大きな子供にしか見えなかった。


「今夜のことは、思いっきり飲んで忘れましょ。小笠原君から聞いたわよ。あなた、底なしなんですってね。私もそうなの。」




松井節子はコリンを、お目当てのバーへ誘った。


路地裏の奥にあるバーは、店内は広いが客は静かに話しており、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。

2人は、奥の席に着いた。


松井節子は自分で酒に強いと言っていたが、真実であった。

底なしのコリンも驚くほど、よく呑む。


話が一段落して、コリンが松井節子に問うた。


「夜、眠れないとこはある?」


「どうして、それを聞くの?」


コリンが、しばしば夜中に台所で水を飲んでいる所を、松井節子は見ていた。

汗ばんだ背中は、夏のせいだけではないことを物語っていた。

悪夢に魘されていることを、彼女は知っていた。


「自分が恋人を亡くしてから、そうだったから。」

コリンは正直に、自分のことを話した。


「確か、事故で亡くなった方ね。」


「そうなんだ。一昨年、2人が出会った記念日にこれを貰ったんだ。」

コリンはネックレスを見せた。


「この1年後に亡くなったんだ。昨年の秋のことだ。ずっと、その時の夢を見て、飛び起きることがあるんだ。」


「私もあったわ。でも、直ぐに眠れるようになったわ。」


「どうやって?」


「自分を奮い立たせたの。何で犯人がのうのうとしているのに、自分は何でこんなに苦しんでいるのかって。そうしたら、冗談じゃない、負けてなるものかって思いが生じて来たのよ。それから、眠れるようになったの。」


「強いんだね。」


「そう。負けず嫌いなの。小笠原君は、私の強さに惚れてくれたのよ。だから、ここまで強くこれたんだと思うわね。」


松井節子は、小笠原文武との思い出話をした。

婚約者を語る彼女は、とても輝いていた。

まるで、今も生きているかの様に話した。


コリンは、そんな彼女が羨ましかった。

自分は、恋人・リチャードの死を嘆いていたかと思えば、その数ヶ月後には自分に優しくしてくれた男に心が揺れている。

そんな自分を責めた。



時間が経ち、松井節子が席を立った。


1人になったコリンは、ちらっとカウンターを見た。


カウンターには、中年のサラリーマンとマスターが会話をしていた。


中年のサラリーマンによれば、自分が利用している近くのビジネスホテルで殺人事件があったと言う。

事件は、2日前のこと。

被害者はアメリカ人で、射殺されたという。


この言葉に、コリンはグラスを持つ手を止めた。

コリンの耳は、中年のサラリーマンの話に集中した。


本来ならニュースで大きく報道されるのに、今までされていないのは、野党の党首選挙にマスコミが集中しているからと言われていたが、実はギャングがらみの事件らしく、アメリカから報道自粛の要請があったからだとの噂が囁かれているという。


何でもその被害者は、偽造パスポートを所持し、FBIからマークされていた人物だったらしいのだ。

「何でも、殺し屋らしんだよ。」


中年のサラリーマンは、小声でマスターに伝えたが、コリンの耳に届いていた。

『アメリカ人の殺し屋か。』

気になった。


中年のサラリーマンはビジネスホテルで、日本の警察に混じって、屈強のアメリカの女刑事が捜査しているのを見たという。

マスターはそれを聞いて、「この近くのホテルで、銃犯罪が起きるなんて怖いですね。」と、苦い顔をして言った。


コリンの頭の中には、キャロライン・マクマーンFBI捜査官が浮かんでいた。

できれば別人であって欲しいと思った。



松井節子が戻ってきたので、コリンはグラスに口を付けた。

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