目次

翌朝、コリンと松井節子は、新宿の閑静な喫茶店へ向かった。

昨日話題に上った刑事に、会う為である。

朝なら、時間があると言われたのだ。


目立つからと、車を使わず、電車に乗った。

朝のラッシュ時より少し前なので、松井節子は空いていると言うが、コリンにはかなり混んでいると感じた。

風景を見る振りをして、電車の窓で後ろを見ると、昨日の運転手がいた。

やはり、彼はガードマンを兼ねていたのだ。


昨夜も、銃を突き付けられる夢を見たコリンは、時差ぼけも重なり、少し寝不足であった。

松井節子はというと、朝から活力が満ちていた。


電車を降り、雑居ビルの中を少し歩いた。

ビルに囲まれた煉瓦造りの建物が見えた。

木製のドアに『COFFEE SHOP OPEN』と書かれてある看板が掛けてあった。

重い木製のドアを開けて入った。

店の中は、朝なのに薄暗く、客も2~3人しかいなかった。

松井節子は店主と顔馴染みらしく、短い挨拶を交わすと、『予約席』のプレートが置かれた奥のテーブルに着いた。

奥のテーブルの前に大きな柱がある為、入り口からは誰かいるかは見えない。


5分後に、刑事が店に入って来た。

40代前半で、面長の顔に無精ひげを蓄え、天然パーマの髪はひどい寝癖を作っていた。

黒のスーツに、サングラスのいでたちは、周囲を威圧感を与え、刑事といわれても誰も信じないだろう。


刑事は、への字眉を動かした。

「知り合いを連れてくると言ったけど、随分と色気のある兄ちゃんじゃねえか。もう、新しい男をくわえ込んだのか。」


コリンはムッとした。


「失礼ね。彼は兄ちゃんじゃなくて、きちんとした会社員よ。小笠原くんと知り合いで、今回の件で仕事を休んで日本に来てくれた方なのよ。それに、日本語分かるのよ。謝って頂戴。」


松井節子は反論した。

コリンは、少し良心が痛んだ。

彼女には会社を辞めたことは言っていなかった。


「おう、そうか。それは失礼。」


刑事が椅子に座ると、松井節子は側にあった灰皿を、刑事の方へ差し出した。

刑事は頭を下げると、タバコに火を点けた。

箱は赤色で、「GARAM(ガラム)」と印刷されていた。

コリンは初めて見る銘柄であった。


刑事は、タバコをコリンに勧めたが、コリンは「喉が弱いんで。」と断った。

事実、コリンは小児喘息に罹っていたことがあり、タバコは苦手だった。


「せっちゃん、よく禁煙続けているねぇ。前回の頃は、ピースをガンガン吸ってたじゃん。」


コリンは、松井節子が元喫煙者と知ったからでは無く、刑事が彼女を仇名で呼んだことが気になった。


「よして。昔のことよ。前に言ったでしょう。小笠原君がタバコを吸わないから、私は禁煙したって。一生続けるわよ。彼のために。勿論、私のためにも。」


「何時まで持つかね。それはそうと、彼を紹介してくれない?」


「こちらは、コリン・マイケルズさん。さっき言った様に、小笠原君の知り合い。アメリカからいらしたの。お母様が日本人なの。彼女を持っていた掛け軸を、小笠原君が買い取ったのがきっかけで、知り合ったのよ。」


刑事は、眉間に皺を寄せた。

「もしかして、世田谷でおばあさんを埋めた所の?」


「そうよ。でも、彼のお母様は、結婚を反対されて、世田谷の実家とは縁を切っているの。だから、関係ないわ。今回は、小笠原君のことでいらしたの。」


「コリン、彼は田所文也。小笠原君の事件を担当している刑事よ。因みに、私の小学校の同級生。」


だから、彼女と親しいのか。


「同級生というだけで、色々とたかられているけどね。6年前の事件もそうだったよな。」


「6年前って?」

コリンが尋ねた。


「せっちゃんの親戚が、女を巡って傷害事件を起こしてね。その時、俺が裏で手を回して、親戚は証拠不十分で不起訴になったんだ。」


「もう6年か、早いわね。親戚と言っても、私の義母兄なのよ。せっかく手を尽くして、ようやく落ち着いたと思ったら、それがろくでもない女でね。又、苦しんでいるわ。」


「浮気して、三行半突きつけられたんだろ。子供の親権を取られたのも当たり前だよ。」


「むこうが先に浮気したのよ。可愛そうなお兄様。」


「お話の最中悪いけど、今日会うのはどの様な用件なの?」

コリンが口を開いた。


「悪いわね、コリン。今日は、田所君が警察の最新情報を持ってきてくれるの。」


田所刑事は、A3サイズの封筒を松井節子に渡した。

松井節子は封筒を開けた。


「せっちゃんが小笠原文武に贈った懐中時計が、質屋で発見されたんだ。」


紙には、懐中時計の写真が印刷されていた。

スイス製で、時価800万円する代物であった。


別の紙には、防犯カメラの映像が印刷されていた。

粗くはあるが、中年の男が写っていた。


「この男の身元は。」


「調べたけど、まだ分かっていない。身分証明書から割り出たけど、この男は10年前に会社を辞めてから、行方不明で、家族も居場所を知らないんだ。」


「他には?」


「家族や、前の会社の人間の話しと、画像の男が合わなくてね。どうも、別人らしんだ。質屋の店主によれば、懐中時計を持ってきた男は大阪弁を話したが、身分証明書の男は京都育ちなんだよ。今、そいつを追っている所だ。」


田所刑事は、辺りを見渡した。

先程いた客は店を出ており、店の中には誰もいない。


「小笠原文武が殺された時、お宅の防犯システムが作動しなかった理由が分かったよ。」

田所刑事の話に、松井節子は身を乗り出した。


「犯人は、警備会社にハッキングしたんだ。ハッキングして、お宅の防犯システムを止めたんだ。」


「何ですって。警備会社だから、セキュリティーは厳重にしているはずよ。」


「それが、落とし穴があったんだ。ギャンブルで借金を作った、会社の人間がいてね。金と引き換えに、警備会社のコンピューターにアクセスするパスワードを教えたんだ。」


「何て事!今、私や両親の警備をその会社に頼んでいるのよ!今すぐにでも、キャンセルしないと。」


「今はまずい。これは、警察と会社の上層部しか知らない情報だからさ。もう少し待ってくれ。」


コリンの考えと一致した。

やはり、犯人は外から防犯システムを止めていた。


「どうしてなのよ。私や両親の命が関わっているのよ!」


「せっちゃん、落ち着いてくれよ。今、その社員を泳がせているんだから。」


「泳がせている?」


「ああそうさ。そいつ、裏カジノの常連なんだ。犯人は、そこから会社員に接触した可能性が高いと、捜査本部は見ている。だから、警視庁の捜査員を裏カジノの場所に潜入させて、調べている所なんだよ。俺は下っ端で、近所や質屋の聞き込みに回っていたから、情報が入るのが遅かったんだ。」


田所刑事は時計を見た。

「時間だから、俺はここで。また何か分かったら、電話するよ。」


「有難う。」

松井節子が現金の入った封筒を渡した。

結婚指輪をはめている左手で受け取ると、田所刑事はサングラスを外し、席を立った。


去り際にコリンの肩をポンと叩いた。

コリンは田所刑事を見た。

目で、松井節子を頼むと言っていた。

続く