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高層マンションの最上階に、高藤輝の所有する部屋があった。

ここは投資用に買っていたもので、本人は別のマンションに住んでいる。

事件後、松井節子が借りている。


下調べをしていたが、コリンは高藤家の財力に圧されていた。

コリンの為に用意した部屋も広く、大きな窓から見える辺りの夜景がとても綺麗であった。


松井節子に案内されて、和室へ入った。

小さな仏壇の前に、遺影と遺骨が漆の机の上に置かれていた。


遺影の小笠原文武は笑っていた。

サンディエゴで飲んだ時を思い出した。

あの時も良く笑っていた。


コリンは合掌した。



「せっちゃん。お腹空いたろう。」

甥の高藤輝が、マンションに入って来た。

両手には、デパートで買ってきた食料品が入った紙袋を持っていた。


「あっちゃん。有難う、来てくれたのね。嬉しいわ。」

松井節子は、コリンに甥を紹介した。


「彼は、甥の高藤輝。甥と言っても、1歳しか違わないけどね。小さい頃は、一緒に暮らしていたの。現在は、エンジニアとして、自動車会社で働いているのよ。」


「こちらは、コリン・マイケルズさん。小野小町の掛け軸をを譲ってくれた、持ち主の息子さん。今日、サンディエゴから来日したの。」


サンディエゴと聞いて、高藤輝はびくっとした。

コリンは高藤輝の表情を見不思議に思ったが、何事も無かったかの様に握手をした。



3人は、高藤輝が持ってきた食料を頂いた。

ワインも持って来てくれたが、3人は殆ど口に付けず、事件の話をした。


高藤輝は、松井節子が警察の内部情報を手に入れていることに心配していた。

「せっちゃん、いい加減にしないと、大火傷をするよ。あんな人から情報を聞き出すなんて。」


「あの人は、お金で動く人だから心配ないわ。こっちが、お金を渡せば、危険は無いわ。」

「だからだよ。お金次第の人だろう。もしも、犯人がお金を渡したらどうするの?逆に、こっちが怖い目に遭うんだよ。」


はっきりとは言わないが、高藤輝の話振りからすると、松井節子はかなり危険な人物と接触している様だ。


「明日、また会う予定なの。コリンも一緒なの。」


コリンは肯いた。

迎えのハイヤーの中で、話は聞いていた。

明日は、刑事と会うとしか聞いていなかったが。


「もうやめなよ。何度も言うようだけど、小笠原さんはせっちゃんに前向きに生きて欲しいはずだよ。復讐なんて、これっぽっちも望んでいないよ。」


コリンはびっくりした。

松井節子は復讐を企てているとは、思いもしなかった。


松井節子は、慌てて訂正した。

「復讐なんて、大げさよ。私は、只 犯人を捕まえて、警察に突き出したいだけ。明日は、コリンも一緒だから大丈夫よ。」


話が続き、夜も更けた。

コリンは一番風呂を進められた。

湯船に入って一息することにした。


リビングでは、松井節子と高藤輝が話を続けていた。

彼女の携帯が鳴った。

高藤美術館の事務員からであった。

松井節子が話をする為、席を立った。


今だ。

高藤輝はトイレに行く振りをして、隣の風呂場へ行った。


風呂から上がったコリンは、脱衣所にいた。

高藤輝はドアをノックした。

急いで付け髭を付け、タオルを腰に巻き、バスタオルで体の傷跡を隠すとコリンは、高藤輝を入れた。


高藤輝は非礼を詫びると、コリンに頼んだ。


「日本に来て早々で大変だろうけど、節子をお願いします。彼女、犯人を捜すと言って、危ない橋を渡っているんだ。僕が止めても聞かない人だから。君の話なら聞いてくれると思うんだ。」


「どうして、僕なら聞いてくれると思うんだい。」


「小笠原さんから聞いたんだ。サンディエゴで酒を酌み交わした人は、昔 裏社会に居たことがあるけど、とても思いやりのある人だって。それって、君のことだね。その君なら、節子の行動が如何に危険かを、知らせることが出来ると思うんだ。このことは、節子は知らないから安心して。ここだけの話だから。」


コリンは衝撃を受け、動悸がした。


「分かった。節子は守る。」

「有難う。」


高藤輝が浴室から出ても、10分以上も動悸が収まらなかった。

小笠原文武は、自分の過去を知っていた。


自分を落ち着かせ、コリンは服を着て脱衣所を出た。

居間に行くと、高藤輝が遅くなったからと、自宅に帰る所であった。


その後、簡単に明日の予定を松井節子から聞いた。


明日会う刑事のことが、気になった。

松井節子から、彼は元々汚職に手を染めており、金次第で何でも言うことを聞いてくれる男で、決して自分達に害を加える男でな無いと教えてくれた。


時間も夜中近くなったので、就寝となった。


部屋に入ったコリンは、事前に入手した資料をトランクから出して読んだ。



高藤商事の創立者で、高藤美術館を立ち上げた高藤正次郎には、六人の子がいた。

長男の太朗は、帝大(現:東大)を主席で卒業後、父の跡を継ぐべく高藤商事で働いていたが、昭和15(1940)年に30才で亡くなる。
太朗の子・小太郎は、まだ5才であった。

あの僧正偏昭の掛け軸を手に入れたのは、小太郎が生まれた頃であった。

次男の浩次が父の跡を継いで、2代目高藤商事社長に就任したものの、会長の父の言うがままであった。
仕事では何も出来ない捌け口を、女性に求めた結果、三回離婚し、子供を7人も生した。

松井節子は、三番目の妻の子である。
浩次が60に手が届く年齢であった。


三男・光三は、そんな兄の苦労を見て、父の影響が及ばない厚生省(現:厚労省)の高級官僚の道を選んだ。

2人の子も官僚になり、高藤商事とは関わりのない人生を送っている。


長女・定子は財閥の一族に嫁ぎ、次女・華子は首相夫人になり、それぞれ子が3人いる。


三女・鞠子は、兄の紹介で、官僚の松井孝彦と結婚。
昭和40(1965年)年に、鞠子が父から高藤美術館を継ぐと、夫・孝彦は厚生省を辞め、妻を支えた。
二人の間には子がなく、次兄の娘・節子を養女にした。

現在、高藤正次郎の子で生存しているのは、87歳の鞠子だけである。

松井鞠子は、高藤商事からの援助を受けず、父からの遺産を運営しながら、高藤美術館を守っていた。

21世紀に入り、養女・松井節子が高藤美術館を受け継いだ。


高藤商事は、3代目の小太郎が会長で、その長男・正太が社長になり、切り盛りしている。

しかし、75歳になった今でも小太郎は、松井鞠子には頭が下がらない。

松井鞠子は、多忙な小太郎夫婦に代わって、2人の息子をを育て上げてくれたからだ。

高藤輝は、小太郎の次男である。

そうした環境なので、松井節子と高藤輝は、叔母と甥の関係であるが、実の姉弟のように仲が良かった。


その松井節子は、40歳。

美大を卒業すると、米国へ留学し、美術館で働いてキャリアを積んだ。

20代半ばで、外交官と結婚したが、1年もしない内に離婚した。

5年前、六歌仙の掛け軸を買い取るため、フランスで知り合った小笠原文武に猛アタックの末、去年ようやく婚約が、悲しい結末を迎えてしまった。



コリンは資料を閉じた。


ベットに入ったが、なかなか眠れなかった。

来日初日に、いろいろなことがあり過ぎた。


小笠原文武が自分のことを知っていたことが、一番のショックだった。

掛け軸を手に入れる為、彼は持ち主のことを徹底的に調べたようだ。

東京に住む母・美賀子の実家や、シアトルにいた母の家族のことも調査したのだ。


コリンは、周囲にはカナダの軍事工場にいると伝えてあった。

リチャードのペーパーカンパニーだが、きちんと登記はされており、嘘のホームページも作成して、素人には気付かれないようにしていた。

会った時は、微塵も感じさせなかったが、もしかすると小笠原文武は、裏社会と繋がりがあったのではと思った。


それに、松井鞠子と高藤輝から松井節子を頼まれた。

初対面の人間を信用するなんて、高藤家の人間は人が良すぎる。

だが、約束したからには、彼女を守らなければ。


ふと、コリンは自嘲した。

自分も人が良い。


目を瞑った。

周りは静かであった。


愛する人を失った松井節子は、夜になると悪夢にうなされることはあるのだろうか。

続く