裏社会で、武器の製造と密売を行っていたリチャードは、アジトを転々としていたせいか、生活は質素であったので、250万ドル(約2億700万円)の大金を持っていたとは、コリンは全く知らなかった。
アブラハム・バークレイ弁護士は、コリンに通帳とカードを渡した。
名前を見ると、別人であった。
「表に出ると、まずいからね。」
弁護士は、笑って言った。
そして、リチャードからの手紙を渡してくれた。
『愛しのコリンへ』と書かれた手紙は、コリンへの愛情に満ちた内容であった。
手紙を読んでコリンは、涙を止めることが出来なかった。
特に最後の文面は、涙で読むことが困難になった。
自分が死んだら、足を洗ってくれ。これを元手に、新しい人生を歩んで欲しい。
君の幸せを祈っている。
永遠の愛を込めて
リチャード
日付を見ると、去年の2人が出会った記念日であった。
コリンが身に着けているネックレスを、貰った日でもある。
「金なんていらない。リチャードの側にずっといたかった。」
涙声でコリンは呟いた。
「これから、どうするんだい?」
バークレイ弁護士は、コリンに聞いた。
コリンは目と鼻を真っ赤にしながらも、きっぱりと答えた。
「奴を倒す。新しい人生はそれから考える。」
弁護士事務所を後にしたコリンは、飛行機を使い、サンフランシスコへ戻った。
早いうちに、日本へ旅立とうと決めた。
思い設けぬ事態に戸惑ったが、コリンは前に進むことにした。
新しい人生に使って欲しいと言ってくれたリチャードの遺産は、できれば使いたくなかった。
しかし、偽造パスポート代や渡航の準備で、資金が底を突きかけていた。
背に腹はかえられなかった。
CIAとFBIが影無き男を捜している間に、一刻も早く日本にいる松井節子に会いたかった。
サンフランシスコへ戻ると、裏社会の友人が現れ、依頼していた偽造パスポートを持ってきてくれた。
これで日本には何時でも行ける。
偽造パスポートの写真を見たら、自分の顔写真がいじられていた。
口髭が生え、実年齢の29歳より若干老けて見えた。
「少しは、顔を変えた方が良いぞ。」
知人が付け髭の一式を、コリンに渡した。
数日後、コリンは機上の人となった。
GPSの妨害電波がフライトに悪影響がでるかと不安になったが、飛行機は無事に成田へ着いた。
日本は盛夏を迎えていたが、例年より気温が低く、付け髭をしたコリンにとって過ごしやすかった。
ダーググレイのスーツに、黒のネクタイを着用した姿は、商用で来日したビジネスマンであった。
空港の入り口で、松井節子が迎えに来てくれた。
180センチの長身を白のスーツで包んだ彼女は、周りを圧倒し、正しく白薔薇の如くであった。
黒のハイヤーに乗せられた。
運転手の目が鋭かった。
きっと、ボディガードも兼ねているのだろう。
コリンは、母親が日本人で、家では日本語を使っていたこともあり、日常会話程度なら理解できる。
松井節子は、英仏中と語学に堪能だ。
2人は、英語と日本語を使って、話し始めた。
渋谷区にある松井節子の家と高藤美術館へ向かった。
コリンが、事件現場を見たいとメールで頼んだからだ。
高藤美術館・主任学芸員の小笠原文武が殺された晩、犯人は高藤美術館へ入り、掛け軸を2幅盗んだ。
そのうちの1幅は、コリンの母が大事にしていた小野小町の掛け軸であった。
殺害現場の自宅から、高藤美術館までは、歩いて5分位の距離にある。
犯人は、小笠原文武のIDを使って、高藤美術館に侵入したのだった。
事件当日、小笠原文武の婚約者で、高藤美術館・館長の松井節子は、実家に遊びに来ていた親戚が急性虫垂炎に罹り、付き添いで病院に行くことになったので、事なきを得た。
実家は高藤美術館の隣にあり、松井節子の養父母が住んでいるので、一歩間違えばみんなが、危うい目に遭う可能性があった。
警察は強盗殺人と睨んでいるが、捜査は進展していない。
松井節子は、警察の見立てに懐疑的であった。
そこで松井節子は、伝手を辿り、警察内部の資料を手に入れたのだ。
コリンは、彼女の行動力に驚いた。
松井節子は、犯人とおぼしき男のモンタージュ写真を、コリンに見せてくれた。
まだ、公には未公開のものだ。
写真の人物は、普通のサラリーマンに見えるが、コリンはデイビットの家で見た写真を思い出した。
影無き男が変装した1人と、かなり似ていた。
もしかして、小笠原文武の件も、影無き男が関与しているのではないかと思った。
コリンは武者震いをしそうになった。