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「うそでしょう?!」

母・美賀子は泣きそうになった。

コリンが、そっと後ろから支えた。

コリンも、頭が混乱した。

昨夜のこともあるが、数日前なら小笠原文武とメールを交わしていたからだ。

『7月の半ばに仕事でアメリカへ行くので、会いたい。日時は、君に合わすよ。とても大切な話があるんだ。』

あの文面は、どの様な意味だったのだろうか。

温和な中年刑事が説明した。

「東京都渋谷区にある自宅で、何者かに射殺されたました。外にいた運転手も同じ手口で。深夜のことでした。セキュリティーを備えたお宅でしたが、それをかいくぐった犯人が自宅に侵入し、小笠原文武さんを撃ったのです。幸い、婚約者の松井節子さんは急用で実家に帰っていて、難を逃れました。第一発見者は、隣の犬でしょうか。普段は大人しいのに、しつこく松井さんのお宅に向かって吠え続けるので、気になったご主人が警察に通報したのです。」


「松井さんのお宅ということは。」

美賀子の問いに、刑事が答えた。

「渋谷区の住宅に松井さんが住んでおられて、そこに昨年から小笠原さんが越してきたのです。」

「事件当日は、大きな騒ぎになりましたが、翌日には小さい扱いになりました。それなので、こちらには耳に入るもの難しいでしょう。」


「最近は、地元の新聞しか読まなくて。日本の情報は、あまり入ってこないのです。」

コリンは、顔面蒼白になった美賀子をソファに座らせた。


「小笠原さんの事件は、捜査が始まった所です。さて、彼から、何か聞いておられますか。」

「何を、でしょうか。」

「確か、殺された前日にメールのやり取りをしましたね。」


「それは、僕です。」

コリンが口を開いた。


「7月にこっちへ来るので会いたいとのメールが来たので、会おうとすぐに返信しました。」

「理由はお聞きになっていますか。」

「いえ。又、飲みたいとの意味かと思いました。」

刑事の問いに、コリンは答えた。

「彼とは良く会う仲なのですか?」

「小笠原さんと2回、こちらで会いました。最初は、シアトルで家族と共に会いました。彼は、母の絵を買い取ってくれたのです。2回目は、住んでいるサンディエゴで、偶然道で出会いました。最初にあってから、2週間後のことです。その時は話が弾み、朝まで飲みました。とても話題が豊富な人で、楽しい夜でした。なので、又会えると思って、楽しみにしていたのです。」

両親は、サンディエゴの夜は知っていたので、コリンの話を黙って聞いていた。

「その時に、東京の親族の話は出ましたか?」

「いえ、何も。僕は、日本の親戚とは一度も会ったことがありません。母の結婚に反対したとかで、母と日本の家族は疎遠になったと聞きました。」

美賀子は頷いた。

中年の刑事は、険しい顔つきの若い刑事と目を合わせた。


「調べさせて頂いたのですが、『会って話がしたい。』と、小笠原さんが貴方にメールで伝えてきましたね。それが、何のことか分かりますか。」

中年の刑事に問いに、コリンは「いいえ。」と言って首を振った。

刑事は一呼吸置いて、話し出した。

「小笠原さんが残した資料の中で、美賀子さんのお宅のことが出てきましてね。美賀子さんの実家、伊丹さんと仰いますね。」

「はい。そうです。世田谷区にある伊丹の家は、祖母、母、姉夫婦が住んでいると、小笠原さんから聞きました。」

「実は、106歳になるというお祖母さんは、3年前に病死されたそうです。ですが、お母さんの指示で、その死は隠され、お姉さんとその旦那さんがお祖母さんを庭に埋たそうです。理由は、年金です。年金が止まると、生活が困るからだそうです。」

衝撃的な美賀子の家族の話に、更に皆が凍りついた。

「そんなのおかしいわ!義兄は、大手の銀行員なのよ。姉には息子がいて、高いレベルの学校に通っていたわ。今頃は、いい所の会社に勤めているはずよ。生活に困るわけないわ。」

「いえ。お姉さんの旦那さんは、不況のあおりで早期に退職をして、年金暮らしです。その息子さんですが、彼は名門高校を中退していました。きっかけは、芸能事務所にスカウトされたからです。芸能界に入る時に、ご家族と険悪になり、家を出られていました。一時は俳優として活躍していましたが、現在は落ち目になり、フリーターが主な仕事になっていました。彼は、ご家族と疎遠になっていたので、お祖母様の事は知らなかったと証言しています。我々の調べで、立証されました。お母さんですが、病気がちで、あちこちの病院へ通っていた為、生活費が足りなかったそうです。それをどうやって知ったのか不明ですが、小笠原さんがお祖母さんの件を知り、お母さんの医療費の援助と息子さんの就職先を紹介する見返りに、お母さんは美賀子さんが絵を持っていることを教えたそうです。」

コリンは信じられなかった。

あの明るい小笠原が、脅迫まがいのことをして、絵の在り処を探していたとは。

「母は、祖母の死を隠すために、私のことを話したのね。あの絵は、私が成人のお祝いに祖父から貰ったものでした。父が早くに亡くなり、祖父が父親代わりだったのです。あの絵は、市場ではそれ程価値は無かったようですが、私にとって価値のあるものでした。でも、色々考えて売ることにしたんです。小笠原さんに売った事は、後悔していません。彼は、とても誠実に私達に接してくれたのです。許せないのは、母、姉、義兄みんなです。あの優しい祖母を、庭に埋めるなんて。」

美賀子は、怒りに身を震わせた。

「残された資料から、伊丹さん一家に事情をお聞きしたら、その事実が出てきました。庭から、お祖母さんも発見されました。現在、詐欺と死体遺棄の容疑で逮捕して、取調べを受けている所です。お聞きしたいことは、以上です。お疲れの所、我々の聴取に応じて下さり、感謝します。我々は、これで帰国致します。」

2人の刑事は、皆にお辞儀をして部屋を出た。

美賀子は、泣き出した。

日本の家族に、怒りをぶつけた。

スティーブンも、つられて泣き出した。

コリンは、2人の側に座り、寄り添った。

コリンは、小笠原のことを思った。

小笠原が話したいのは、そのことであったか。

彼も、罪の意識にさいなまれていたのだろう。

両親の様子を見ると、昨夜からの出来事は、かなり重荷になっているようだ。

コリンは、少しでも両親の負担を取り除きたいと思った。

日本の親族は、日本の司法が裁く。

母を苦しめる奴らは、重い罪になればいい。

小笠原の件は、日本の警察に任すしかない。

盗まれたパソコンは、裏社会のコネを使えれば、見付かる可能性はあるが、FBIに見張られている現状では動くことも出来ない。

考えれば、考える程、何も出来ない自分が悔しくてたまらなかった。

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