この1週間、コリン・マイケルズはサンディエゴに移り、建設作業員として働いていた。
現場から離れたところに、安アパートを見つけ、そこで暮らしている。
治安が悪いが、裏社会で生きていたコリンにとって大したことではなかった。
日雇いで、高賃金を貰えるので、コリンは助かっていた。
夜になると、強い孤独感に襲われていた。
寝ていても、拳銃を突きつけられた夢を見てしまい、夜中に何度も起きてしまい、眠りが浅い状態が続いていた。
FBIの施設を出る時に、医師から睡眠薬を貰ったのだが、FBIにいた頃を思い出すのも嫌で、クローゼットの奥に仕舞われたままになっている。
鏡の自分を見ると、目の下に隈が出来ていた。
小笠原文武がシアトルの実家を訪問する前日の金曜日に、コリンは帰省した。
夜に到着したのだが、既に弟のケビンが実家に戻っていた。
ケビンは、コリンより10年下の19歳。
東部の大学に進学し、米国認定会計士を目指している。
ケビンとは、高校の卒業式で会って以来の再会であった。
「兄さん、髪伸びたね。」
ケビンはそう言った。
10代の頃から、コリンは坊主頭だったが、撃たれてから髪の手入れをする暇がなくなり、10センチほど栗色の髪を伸ばしていた。
お互い話が弾んだ。
子供だったと思ったケビンが、同級生のガールフレンドをつくり、会計事務所でインターンとして働いていた。
ケビンの父親代わりをしていたので、コリンはケビンの成長に目を細めた。
数年振りに家族4人がそろい、賑やかな団欒となった。
翌日の土曜日。
午後の約束の時間通りに、小笠原文武は弁護士を連れて現れた。
髪をワックスでビシッと固め、紺色の細身のスーツを着て、沢山の資料が入った鞄を持ったを姿を見ると、学芸員というより、学校の教師を思わせた。
コリンは自分の勘が外れたことに、ほっとした。
『この人は、怪しい人ではなかった。大丈夫だ。』
母の美賀子が、居間に掛け軸を広げた。
見事な小野小町が描かれていた。
小笠原文武は口にハンカチを当てて、じっと見ている。
静寂な時間が流れる。
「保存状態も良いですね。早速、買い取らせて頂きます。」
小笠原文武の言葉に、コリンの家族は喜んだ。
早速、弁護士から渡された書類に小笠原と美賀子が署名すると、小笠原は4,100ドル(約50万円)が書かれた小切手を、美賀子に渡した。
コリンはもっと価値があるのかと思っていたが、美賀子によると日本では無名の絵師なのだそうで、色々調べてみたが、これでも相場より少し高めの金額なのだそうだ。
無事に契約も済み、美賀子は日本の家族のことを尋ねた。
美賀子は、反対を押し切って結婚したので、家族とは殆ど連絡を30年近く取っていなかった。
陰で応援してくれた祖母とは、親族を通して数年前まで文通していた。
今年で106歳になる。
祖母の消息だけは知りたかった。
小笠原によれば、美賀子が掛け軸を持っていたのを教えてくれたのは、85歳の母だと言い、祖母は部屋で寝たきりで誰とも会いたくないといっていたので、現在の状態は分からないと言う。
東京世田谷区の自宅では、祖母、母、姉夫婦が暮らし、甥は独立していると聞き、美賀子はまだ自宅があるのと家族が元気なのを知り安堵した。
その後、小笠原の招待で、コリンの家族は寿司屋で夕食を取り、楽しい一時を過ごした。
日曜の午後には、コリンはサンディエゴへ戻った。
家族の温もりを改めて感じた週末であった。