どうも、外見と内感の違いにつくづく嫌気がさす。
外見のイメージがどうも ほどなくいい感じに映るらしい。
自己開示の上で、いやこうなんですよ。と否定すると どん引きする世間。
親戚には、「強いね~~」と言われ、職場では「一生懸命」プライベートでは「しっかりとした人」
ん~~~~。まるでま逆だ。
ギャップに惚れるっていうのもあるけれど、
ん~~どうなんだろう。
たしかに信念はある方だと思う。
それに遂行していくと、他人から見た自分が、しっかり者で強い新しい何かを求めているという
一般的にはいいイメージなんだろうな~。
今の職場において、なんて自分より弱いというか無知な人間がいるんだろうと痛切感じる。
私こそ、一番無知なのかもしれないと思っていた矢先の衝撃に、何とかしてあげたいという気持ちが芽生えると同時に
自分の言語による説得力がない自分に気づかされる。
無知がゆえ突き進む自分にとって、動けない人がいること。
思い知らされる。
できれば、自分で突き進むしかない、私は背中を押す役目と割り切って行こうものならば、
言語が足りないよ・・・。
気持ちは、わきあふれているのに・・・。
日本語がいかにあいまいで難しいってこと、突きつけられながら、日々あっという間に流れて行くことに
無常の響きを感じずにはいられない.