【紙幣と銀行】

先回のブログでは、インが
できるまでのお話しをしました。

このコイン(お金)の生により、
人類は大きく進歩することになります。

コインは、初めて会った人とでも
物品と交換できる、信用ある
段になり、

人々の交は一気に加しました。

また、コインは、商取引において、
平等であるとリストテレスが
言うように、人級などの
違いは、

商取引では完全に要になって
いったのです。

そして、価値を保存できるコインを
蓄えることで、高価な物品はもちろん、
権威や地位までも買えるようになって
いったのです。

そして、人々はインを多く持とうと、
あらゆるところで競をするように
なり、文も一気に加速しました。


■紙幣と銀行

銀行の起源はタリアと言われています。
12世紀後半から14世紀、スラム商人が
支配する地中海世界では字軍運動を
契機にイタリア諸都市の業活動が
活発になりました。

商業が活発になると各国のコインや
金銀と交換する替が必要になり、
替商が誕生します。

これが、銀行の起源といわれています。

この当時は、会により利子の
取得を禁止されてので、

その代わりに為替数料として
利益を得る方法がとられていました。


そして、近代銀行の形は1640年
イギリスではじまります。

従来、ロンンの商人たちは金貨や
銀貨の貴金属を、当時造幣所があった
ンドンに預けていました。

ところが、議会と対立して財政難に
陥っていた国王ャールズ1世が、
13万ポンドにおよぶ貴金属を
差し押さえてしまいます。

王は4万ポンドのし付けを条件に
貴金属を返還したものの、
貸し付け分は返済されなかったのです。


政府への信をなくした
ロンドン商人たちは、

長い間シティで両替商を行っていた
ールドスミス(金匠、金細工師)に
貨幣を預けるようになります。

ゴールドスミスは貨幣を預かると
預金証書を発行しました。

そして、預金証書を同じ額の
金匠手形」という補助券に
分割します。

この「金匠手形」がのちの紙幣に
変化していくのです。


ゴールドスミスは、預金者が
請求すれば「お金」を返済しましたが、
沢山のお金が手元に残ることが
常だったのです。

そこで、ゴールドスミスは、
手元に残された「お金」を
期で貸し付けたり、

手形で引したりするように
なります。

ゴールドスミスが保管する「お金」が、
預金と貸し付けの保証として作用する
ようになります。

これが近代銀行の元になっています。


そして、18世紀後半、大西洋世界の
覇者になったギリスは、国際的な
銀行業務が必要になり、
銀行の機能を拡大させました。

その際に活躍したのが、
ヨーロッパから移住してきた、

ベアリング、ロスチャイルド、
シュローダーなどのヨーロッパ各地に
広い情報ネットワークをもつ商人たち
でした。

さて、このように銀行と紙幣のできる
経緯をお話ししましたが、
その当時の政治的背景や宗教が
当然のように関係しています。

12世紀のころ地中海世界を
支配していたイスラム商人たちは、
イスラム教の教えにより、
利をとることが禁止されていました。

その為、両替手数料という形などを
使って利子にかわるものを得ていました。

また、キリスト教の世界でも
同じように利子をとることを
禁止していました。

また、お金を扱うこと自体を
劣な行為と考えられていたのです。

しかし、経済が発達すると下劣な
行為と考えていた職業も必要になり、
教会はその行為の多くを、

人間と認めていないダヤ人に
やらせるようになります。

それが現在の経済社会でも
受け継がれています。

今現在も、イスラムの世界では
利子を取ることを禁止しています。

ですから例えば個人で車を買うのに
銀行でお金を借りる必要がある時には、

銀行が車を買い、手数料を上乗せして、
その代金を個人が分割払いで払うと
いう具合に、金利ではなく売買手数料
して扱います。


また、世界の銀行の多くで活躍して
いるのは、ダヤ人を先に持つ
人達で、

現代社会でも、金融を支配している
のはユダヤともされるのは
このためです。


★さて、ここで豆知識。

世界初の紙幣はどこの国で
出来たかというと、

10世紀~12世紀、中国の、
の時代といわれています。

中国では銅銭が使われていたの
ですが、銅の産出量の少ない宋は、
深刻な地金足に陥ります。

その為、ある地域では鉄銭が
使われるようになるのですが、
銅よりい鉄銭は、

高額な商取引には向きでした。


又、お金の標準化が遅れていた
中国では、歴代のコインをはじめ
多種多様のコインが流通していて、
これも大変不便なことでした。


そこで成都の金融業者は「交子
という手形を発行することで、
鉄銭の不便を避けようとしたのです。

やがて「交子」の便利さに
気がついた宋は、商人組合から手形の
発行権を奪い、紙幣として「交子」を
発行するようになります。

もともとは銅銭の価値を示し、
銅銭と交換することができると
された手形を、

時の皇帝が価値を保証する紙幣に
かえたのでした。


その後、ジンギス・ハーンの子、
ビライ・ーンが、宋を引き継ぎ、
元帝国を創設します。

その元では、コインの使用が
され「お金」は元帝国が
発行する「交鈔」という幣に
統一されます。

「東見聞」で有名なマコ・ポー
フビライ・ハーンの宮廷の豪華さや
富の大きさより、フビライが行する
紙幣に驚いたと記されています。

イタリア商人のマルコ・ポーロは、
紙切れが、金や銀と等に扱われ
るのが信じられなかったのです。

まるで錬術をフビライは
習得しているようだとも
マルコ・ポーロは述べています。

絶大的な権力があると、その証の上、
幣が価値を生みだすことを
したのです。


はい、今日の帝王学はこれまで。
次回は、金本位制度と
信用創造をお送りします。


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