最近オジイの事をめっきり書かなくなった私😓。


前みたいにオジイが『面白いこと😆』『笑かすこと🤣』『いらんこと😖』が、めっきり減ってただただ、

『ぼーーーー😮』ってしてるだけになってきたから『つまらない😞』って思っているのかも…。

今は、精神的肉体的にめちゃくちゃ大変😖から解放されて、いいんだけどね~。この心がポッカリ空いたような『つまらない感』は、なんだろ~🤔🤔🤔



今日は、そんなオジイの話ではなく、私の妹から

「いつも行ってる神社で気になる映画上映会があるから一緒に行こう!」

って誘われて、行ってきたドキュメンタリー映画の


『いきたひ』


漢字で書くと、

生きるの『生』の下線と、死ぬの『死』の上線を重ねて書いた『造語』だそうです。




『どう死なせないかでなく
    どう生き切るか』

私も、大人になってから4人の祖父母。
そして私の父を17年前に、義母を4年前に亡くしている。

仕事人間だった父は、働き過ぎたせいか10年間いろんな病と戦って亡くなった。
私達家族には、愚痴ひとつ言わずに…。
私は、

「今は何の病気でお父さん入院してるんやった?」

って言うぐらいいろんな病気で入院してて、死んで初めて主治医の先生から、

「長年あれだけ強い薬を沢山飲まれていたので、もう体の中がボロボロだったんでしょうね。お父さんは、よく頑張りましたね。」

って言われて事の大きさを知った。

入院中は、痛いだの愚痴も言わなかった父。
最後の入院は、第2子を出産して仕事を辞め暇ができたタイミングだったので、
義母に
「孫の顔見せてあげりよ。お父さん元気出るで!」
って言ってもらえたので、しょっちゅう次男を抱いて連れて行った。

「よぉ~来てくれたのぉ。」

と、無口な父がボソって言ってくれた言葉を映画を見て思い出した。

普段から会話をしていなかったから、何を話たらいいのかわからず、ただ病院に顔を見に行くだけだったけど、会話はそうなくても嬉しそうな父の顔。
その顔だけを見に病院へ行ってた。

この最後の入院がなかったら、私は父の記憶が『仕事』しか、なかったかも知れない。
この入院で、父は、私に『生きざま』を見せてくれたのだと思う。



また、義母は認知症の義父の事を心配しながらの入院だった。

義母が入院するまで、徘徊が始まってた事は知っていたけど、徘徊の事以外は認知症の義父をひとりで見ていた義母。

どんなに心寂しく不安だっただろうか…。

『迎えに行く』事以外をお願いされなかったので、認知症の症状がどれだけ大変か知らなかった。

今まで愚痴ひとつ言わずにいた義母。

病院で、寝たりになって動けない義母が、ただ一つ言った言葉が

「家に帰りたい。」

だった…。

その頃、私は認知症初期のオジイを見てるだけで精一杯で、『寝たりの義母と認知症の義父。二人も介護なんて到底出来ない!』って思っていた。

でも、亡くなる少し前には、リハビリを頑張って寝たり状態から一人で歩けるようになった義母。

「家に帰ろうね~。」って
言っていた矢先の急変だった。

再び寝たりになってからも、認知症のオジイの心配をしていた義母。
自分の体の方が大変なのに。

最後は、
「いけるいける!
私、お父さん(オジイ)と、上手いことやってるからぁ~😆」
って私からと、

普段ほとんど喋らない旦那(息子)からの

「お父さんの事いけるよ。
心配しいな。(しないでいいよ)」

の言葉で安心した顔で亡くなった義母。

亡くなってから家に帰ってきた義母。
帰って来たかったんだろうなぁ~。
せめて2日間だけでも…。
座敷でみんなで雑魚寝してお線香の番をしてからのお葬式となりました。



今回この『いきたひ』を観て、

『私は、この二人(父と義母)から、
【愚痴を言わない】
を、見せてもらった。』

そして今、認知症のオジイが身をもって

『愚痴の見方を変える方法。』
『どんな状況でも、楽しむ事を見つける方法。』

を、教えてくれている。

そう強く思った。


介護をしているって事は、普通の人より
『看取り』に近い場所にいると思う。

でも、今日この映画で、

死は、
『共に、ありがとうを言う時』
と、いう私の感覚が、間違ってなかった。と確信出来た。

『死を怖い』と、思っている人達に
大丈夫だよ。
『命のバトン』で、いつまでも続く。


『終わりのようで始まりでもあり
誰もが経験する通過儀礼なのだろう』

この言葉が、スッと心の中に入ってきた。


今日、この映画に出会えてよかった。
長谷川ひろ子監督に、出会えた事に感謝です🙏

ありがとうございました🙇‍♀️💕