自分や家族が生きてる事を感謝しなければいけないって
繰り返しくりかえし感じ,そしてそう思う事を自分に強いた一年だった。
命があるのに贅沢だと承知の上で。
区切りなんて付けられない現実だけど
気持ちにはつけなければ。そのために自分が思ったこと,感じたこと,綴ってみます。
一年後に読むときはどんな風に変わってるのか,3年後はどうか
それとも変わることはないのか。
震災後,
まさかの原発爆発で,いろんなことを自分で調べて,膨大な情報の中から正しいもの,信じられるものを選ぶことができる目を養う事から初めなければならなかった。
放射能の単位から始まり,どのくらいのレベルの線量ででどんな病気になる可能性があるのか,そして確実にヤバいのか。水は飲んで大丈夫?
何歳以下から影響がひどく出るとか。
チェルノブイリと同じくらいやばいのか,スリーマイルなんて初めて聞いたし。
冷却水の電源が切れてからどのくらいで水素爆発するのか,なんでベントしないのか,それともできないのか,
爆発して逃げた方が良いのか,どの方向に逃げればいいのか。
被ばくってうつるのか?逃げた方が良いのか,それとも逃げちゃだめなのか。
ただちに影響はないっていつかはあるってこと?
除染なんてほんとに出来るの?
てか,そもそも国がいってることってそのまま鵜呑みしてよいの???
今でもわからないことばかりだ。
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今日の新聞から引用で
中間貯蔵施設に保管する汚染土などを30年以内に県外で最終処分することを法制化すると表明。用地は国が買い上げ、立ち退き費用や店舗営業などに対する補償もするとした。富岡町の管理型処分場には、放射性セシウム濃度が1キログラム当たり8千ベクレル超10万ベクレル以下のがれきや汚泥などを収める。
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え?
中間貯蔵って?いくらなんでもあとからよその県に持ってくなんてありえないでしょ。
汚染されたところに収めるしかないって福島県民だって気付いてるわ!!!
2011,自分ってちっぽけだなって生まれてからいちばん感じた年になった。
さっき,NHKの震災特集を見ていてあの話は本当だったんだ。と思いだした事が。
私の数少ない親友の父は浪江町の出身。従姉妹は車に乗っているところを津波にのまれて亡くなった。とはいえ溺死ではなく餓死だったそうだ。原発から5キロの警戒区域だったため震災翌日から捜索ができなかった場所。助けを求める数多くのクラクションや人の声が3日目くらいまで聞こえてたそうだ。
震災,津波で亡くなった方の魂がどうかどうか安らかに鎮まりますように。