2泊3日のトレッキング旅を終え、束の間の旅の仲間ともお別れした。

僕たちにはそれぞれの生活、新たな旅が待っている。


僕はまた1人になった。


苦労して辿り着いたこのインレー湖周辺で、一目惚れした写真の子を探すのを再開した。

いくつかの寺院を巡る。

相変わらず何の情報も得ることができない。


なんだか息が苦しい。

体が重い。

疲れが出てるなと思っていると、日本料理屋を見つけた。

日本の食事で元気を出そうと思い、中に入ってカツ丼を注文する。

箸が進まない。

異常なほど冷や汗が出てくる。

ミャンマーで食べた料理で唯一不味く感じたのはこのカツ丼だった。


何とか食べきり、おぼつかない足取りで宿に帰る。

視界が歪む。

すれ違う人たちが心配そうに僕をジッと見てくる。


やっとの思いで宿にたどり着き、持っていた水を一気飲みしてベッドに倒れ込んだ。

高熱が出ているようだった。

こんな海外では病院はおろか、薬を買うこともできない。

天井が形を変えて何度も何度も僕に襲いかかってくるような感覚に陥った。


それからどれくらい時間が経ったのか、ぐっしょり濡れて居心地悪く僕を包む布団の中で静かに目を覚ました。

熱は下がっているようだった。


ボーッとしたまま天井を見つめる。

もう日本に帰ろうか。

ふとそう思った。

僕はもう十分頑張った。

そうだ。

帰ろう。


Wi-Fiが繋がる宿のロビーに行き、帰りの便の日時を変更できないか調べた。

便の変更にはさらに数万円払わなければいけなかった。

そんなお金は無い。

すでに日本に帰りたい気持ちでいっぱいになっていた僕はひどく落胆した。

その日は何もする気が起きず、どこにいく気にもなれず、部屋のベッドで一日過ごした。


翌日。

なんとか気を持ち直そうと、気分転換にマーケットに向かった。

マーケットには出店が立ち並び、様々なものが売られていた。

お祭りに来たみたいで楽しかった。


そしてあれこれ見ながら歩いている内に、いつの間にか路地裏に迷い込んでいた。

戻る道を探しながら歩いていると、見るからに怪しげなフードを被ったおばあさんが話しかけてきた。


「あなた日本人でしょ?珍しいだろうからこれを買わないか?」


そう言って差し出してきた手の中には干し草のようなものがあった。

おそらく麻薬か何かだろう。

ニタリと笑うそのおばあさんの顔が恐くなった僕は、ヒッヒッヒと甲高く笑う声を背にして足早にその場を立ち去った。


マーケットや路上で押し売りをしようと話しかけてくる人たちの顔が、さっきのおばあさんのように見えてくる。

それを振り切るように走って宿に戻った。

僕はまた部屋にこもっていた。




その日の夜、僕は夢を見た。



ミャンマーでレンタルサイクルの店に来ている。

しかし店主は自転車は無いと言う。

そこを三輪車に乗った子どもが通りかかる。

店主はその子どもから三輪車を奪い取り僕に渡してくる。

僕はその三輪車に跨って漕ぎ始めた。

大人が三輪車を必死に漕いでいる姿を見て街の人は後ろ指を差して笑っている。

それでも僕は漕ぎ続けた。

次の街で一つ車輪が取れ、さらに次の街でまた一つ車輪が取れた。

一輪車となったその乗り物に跨るのは、僕ではなくピエロだった。

皆がピエロを指差して笑う。

それでもピエロは漕ぎ続け、どこへ向かっているかも分からないまま進み続けた。




窓から差す優しい光で目を覚ました。

気分はすっきりしている。

ミャンマーで過ごすのも残り数日。

あと少し。

あと少しだけ頑張ろうと思えた。

次の街で最後だ。

最後まで足掻こう。

もうその頃には、一目惚れしたことなど忘れて意地だけで写真の子を探していたかもしれない。

それでも探し続けた。


僕はミャンマーで最後に訪れた街、バガンに向かった。





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ここまで、辛抱強く僕の拙い文章を読んでくださりありがとうございます。

諸事情により、一目惚れした写真の女性を探したこのミャンマー放浪記は第一章完ということで一旦ストップします!

まだまだ続くこの後の話は、少しだけ日を改めて必ずお届けします!

そのときにはまた読んでいただければ幸いです。


それまで皆様、良い旅を!