トレッキング2日目。
僕がコメディアンを目指していることを休憩中に話すと、何かやってみてとみんなに言われた。
「オーケー、みんなの疲れを吹き飛ばすようなギャグをやってあげるよ!」
大口を叩き、当時考えた一発ギャグを簡単な英語にして披露した。
鳥がさえずり、風が木の葉を揺らす。
地を這う虫たちは元気に働き、空に浮かぶ雲はせわしなくどこかに向かって進んでいる。
自然界から取り残されたように僕たち5人の時間だけが止まっていた。
どれくらい時間が経っただろうか。
実際は5秒くらいだったのだろう。
「ブラボー!!」
陽気なヨニが無理矢理な拍手と共に声をあげて、僕たちの時間を進めてくれた。
「グレイト!」
「ファニー!」
「ワンダフル!」
それぞれが自分に言い聞かせるように、思いつく限りの褒め言葉を次々に投げかけてくれた。
1人は皆のために、皆は1人のために。
僕たちは最高のチームだった。
それからしばらく進み、世界中どこまでも見渡せるような景色を見ながら昼食をとる。
タンが用意してくれた、みずみずしい料理たち。
その全てが、食べたそばから体のあらゆる器官に染み込んでいくようだった。
トレッキングによる体の疲れと、ギャグによって受けた心のダメージはタンの料理を食べて完全に回復した。
ぬかるんだ山道を歩くのも慣れてきた。
5人で談笑しながら軽快に歩く。
狭い道を1列になって歩いていると、正面から野生の牛の群れが近づいてくる。
日本でよく見る乳牛ではなく、僕のイメージでは闘牛に近い種類だと思う。
仕方なく僕たちは開けた場所まで後戻りして牛を見送る。
通り過ぎざまに、ありがとよ、という牛からの視線を受け取った気がした。
夕方になってようやく今夜泊めてもらう山岳民族の村にたどり着いた。
最初に迎えてくれたのは外で遊んでいた子供たちだった。
僕はさっそく交流を図り、まず手始めに持っていた輪ゴムで星を作ってみせた。
反応はイマイチだ。
それならと子供たちの写真を撮り、その撮った写真を彼らに見せると物珍しそうにして興味を引くことができた。
並ばせたり、色んなポーズをとってもらったりして写真を撮りながら、僕たちはどんどん盛り上がっていった。
ツィンが今夜泊めてもらう家にヨニたちを連れて行ったが、僕は外に1人残って子供たちと遊び続けた。
いつの間にか、子供たちが僕にタッチしてから走って逃げ、それを僕が追いかけるという遊びが始まっていた。
僕は我を忘れて楽しく子供たちを追いかけていると、1人の子が転んで村中に響き渡る声で泣き始めた。
駆け寄って心配していると、村の人たちが次々に家から出てきて、あっという間に何十人という人たちに僕は囲まれた。
大泣きしている子供のそばに見ず知らずの余所者が1人立っている。
もしかしてこの状況って、大ピンチなのでは・・?
最悪の想定が僕の頭の中に浮かんでくる。
僕は村から生きて出ることができるのか?
ミャンマーの人たちはおもてなしの精神が強くて優しい・・きっと大丈夫だ。
村から追い出される?
日本人は二度とこの村に来るなと言われ、なんだかんだで国際問題に発展し、僕は日本の敷居さえ跨ぐことができなくなるかも・・。
そう考えている間も村の人たちはジッと僕を見ているだけだった。
その時、異変を感じたのかツィンが戻ってきてくれた。
なんだ、ツィンの連れだったのかと安心して村の人たちはそれぞれ家に戻っていった。
た、たすかった・・。
ツィンは笑っている。
ありがとうツィン。
さっきまで大泣きしていた子どもはいつの間にか泣き止み、また笑顔で僕にタッチしてきた。
最初は5人だった子どもが20人ほどに増え、大勢の子どもたちが僕にタッチしては逃げていく。
また追いかけて転ばせるのが恐い。
子どもたちは立ち尽くすことしかできない僕を面白がっている。
とにかく、子供たちには気に入られたみたいだ。
夕食を終えて部屋でヨニとヤエルとゆっくり過ごしていると、村の人たちが集まってるから来なよとツィンが誘ってくれた。
外の開けた場所で、村の人たちが焚き火を囲んで座っている。
大人たちは静かに火を眺め、若者たちはギターを弾きながら何やらみんなで歌い、子供たちはまぶたを擦りながら戯れあっている。
僕は夕方の非礼を改めて詫び、ヨニとヤエルと共に静かに火を眺める大人たちのグループに混ぜてもらった。
村の人たちは僕たちを温かく迎えてくれた。
自己紹介やら何やらしていると、若者が近寄ってきてギターを渡してきた。
「何か弾けるか?」
幸いにも、僕は高校時代に趣味でギターを弾いてバンドを組んだりしていた!
「日本の歌を教えて!」
ギターを抱えた僕に村のみんなが期待を込めた目を向ける。
僕は当時ギターにしばらく触れていなかったこともあって1曲も覚えていなかった。
仕方なく、適当なコード進行にひたすら"ハッピー♪"と繰り返すだけの歌詞を付けた即興オリジナルソングをおそるおそる披露した。
これが意外にも大盛況だった。
さっきまで静かに火を眺めていた大人たちまで"ハッピー♪"と口ずさみ、手を叩いて笑っている。
ハッピーの歌が村に響き渡る。
音楽が、村の大人たちが、若者たちが、仲間たちが温かい火を囲んで、いつまでもいつまでもハッピーの歌は鳴り響いていた。
翌朝、村の人たちに何故かやたらと話しかけられた。
どこで話がそうなったのか分からないが、いつの間にか僕は日本の有名な歌手ということになっていた。
特に訂正もせず、僕は有名な海外アーティストとしてその村を後にした。
あの村では今この瞬間も誰かが、僕の"ハッピーの歌"を口ずさんでいるだろう。きっと。