「ガールズバンドクライ」にみるスキ(好き)とカネ(金)の境界線 | Mr.Gの気まぐれ投資コラム

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香港を拠点に活動する個人投資家であり、自称「投資戦略予報士」Mr.Gがお伝えする海外投資の生情報。
ねだるな勝ち取れ、さすれば与えられん!

 

ロックで、しかもガールバンドの楽曲で泣けるというのは初めての経験かもしれない。

 

最近のロックバンド、ガールズバンド、アイドルバンドは、基本的に売れるものを提供しており、「怒りや喜びや悲しさ」といった人間の感情を全部ぶち込んだ本物のロックではないというアンチテーゼをストレートに熱くぶつけてきており、ロックとは何か?音楽とは何か?について考えさせられる。

 

とにかくアニメ「ガールズバンドクライ」=「ガルクラ」は、アツい。

楽曲的にもストーリーでも圧倒的に面白い「ぼっちざろっく」が良くも悪くも「けいおん!」的であるのに対し、「ガルクラ」はほぼスポ根だ。

ガールズバンドアニメ界の「ハイキュー!!」と言ってもよい。

 

我々の周りで流行っているバンドやその楽曲は、いわゆる大手が売れ線を狙っていて売れるべくして売れているものばかりだ。

そして我々視聴者もファンも、それが分かっていて余り深く考えずにそれが良いと感じ、聴いている。

 

そもそもロックというものがそれでいいわけがない。

 

人間が人間として持つ捻れた感情や不満や悲しさ、哀しみ、ぶつけようのない怒り、喜びといったものをぶちまけていなければロックではないし、強烈な共感や感動を与えることもできないが、必ずしもそれが大衆に受け入れられるとは限らない。

 

大衆に受け入れられないものは集客もできないし、メジャーにもなれないし、事務所にとってもカネにはならず、投資もされず、アーティストは食っていけずに自己満足で諦めるしかない。

 

それでも諦めない面倒くさい奴らを主人公にした作品が「ガールズバンドクライ」だ。

 

 

劇中のバンド「トゲナシトゲアリ」がぶつけてくるものは、アニメの激アツなストーリーとも重なって、純粋に心に響き感動する。

 

これは、スキとカネの戦いを描いた作品であるとも言える。

 

自分のスキ(好き)を追究しても、殆どの場合は食えない。つまりカネ(金)にはならない。

 

しかし、音楽を追究していくアーティストが自分のスキな表現や世界観を強く持ってそれに固執できなければ、少なくともそれはロックではない。

 

トゲナシトゲアリというバンドがリアルで実在するのを知ったのは、アニメを観てからだが、ちょっと驚いた。

 

アニメ「ガールズバンドクライ」の公開は今期4月からだが、実はリアルのトゲナシトゲアリは1年前にメジャーデビューしている。

アニメ「ガールズバンドクライ」は、東方アニメーションと、Aimerが所属する音楽事務所agehasprings、ユニバーサルミュージックの3社がタッグを組んで制作する作品となっており、2021年6月から約1年半にわたって行われたオーディション「Girl's Rock Audition」で数千人の応募の中から選ばれたバンドメンバーが、声優も担当している二次元と三次元が融合した作品だ。

 

つまり、この作品は3年前から仕掛けが動き出しており、今期のアニメ公開と共にリアル「トゲナシトゲアリ」のブレイクが始まったと言える。

 

裏側の仕掛けを知ってしまうと、アニメの世界観と現実とのギャップに多少ゲンナリするものの、大手のコラボレーションによる見事なコンセプトワークだ。

 

現実には相当な予算がぶち込まれているであろうこの企画自体を実現させる為には、相当な決断が必要だったに違いない。

ただ、ここまでやられるとぐうの音も出ない。流石というか1本取られた感は否めない。

 

このプロジェクトは、バンドだけでもアニメだけでもなし得ない究極のコラボを実現している。

 

楽曲やアニメ作品のクオリティーを考えると、この作品やバンド「トゲトゲ」の資本主義的な成功は手堅いように感じられるが、たとえいかなる結果になろうとも、アニメ作品のなかで表現されている純粋にスキを熱く追い求めることの大切さというのは忘れられるべきではない。

 

「カネや成功で心を売り飛ばすなんてロックじゃねえぜ!」と熱く語るこのアニメ作品とトゲトゲが大ブレークし、事務所や制作会社がぼろ儲けするという構造になるとなんとなく詐欺に遭ったような気分にはなるだろうが、それはそれでこの難易度の高いプロジェクトに参画した勇敢な企業やクリエイターたちの労に報いる事にはなるだろう。

 

そして、このパターンが日本が世界に誇るアニメコンテンツと音楽を同時に世界に発信し広める鉄板の手法として今後の日本経済に貢献するかもしれない。

 

スキとカネの境界線は、結局のところどこにあるのか見えないが、自分は自分が本当にスキなものだけに時間と情熱を傾けて、できることならカネは自分のスキなものだけに使いたい。

 

いくら自分のスキを追い求めても、他人のスキを提供できなければ他人にカネを払ってはもらえないので、資本主義的には「自分のスキ」<「 他人のスキ」でなければカネは稼げないという現実を乗り越えることは難しい。

 

「自分のスキ」=「他人のスキ」にしてしまえるカリスマ性というか、魔術のようなものがあれば「自分のスキ」を追究することでお金も稼げるだろう。