Mr.Gは、9月20日で55歳になります。
改めて、55歳を機に残りの人生をどう生きるべきか?いいオトナが悩んでいます。
特に、次世代にお金以外の何を残せるか?みたいな抽象的なことについてです。
同世代の人たちと話していて最近そうだなーと思うのは、我々が残すべきは結局「文化」なのではないかと・・・。
いずれにしてもお金や何か有形のものを残しても仕方がないというのいうのがほぼ共通の意見です。
5年前、50歳になる時を境に弟子を募集してみました。
あのときは、60歳になるまでの10年間に何かを残したいという割と自分本位な気持ちでそのような事を言ってみましたが、あまり多くを残せていないまま既に5年が経過し、残された時間が少なくなったことになんとなく焦りを感じていると言えなくもありません。
この5年間、弟子になりたいという多くの方とお会いしましたが、今でもしっかり繋がっている方もいれば、いちどお会いしたっきりの方も居られます。
まあそれなりに出会いは楽しめました。
おそらく、繋がりきれなかった方々は、私の弟子になることで得られると思っていたことと、私が与えたいと思っていたことが食い違っていたのが原因でしょう。
多くの弟子志願者は、金銭的なメリットをを短絡的に求めている感じがしました。
つまり、私の魔法で投資家として財をなせるとか、少なくとも何かお金が稼げるのではないか?とか、
運用の秘密を教えてもらえるのではないか?みたいな感じです。
所詮、お金が稼げず、お金が無いとどうにもならないという部分に悲しさを感じますが、自分自身ですらそうなので、それが現実なのだと痛感します。
一方、私自身は、おそらく継承者がいない寂しさから弟子募集と言ったものの、実際に求めていたのは魂の繋がりを感じられる「Young Bloods」だったに違いありません。
佐野元春さんの名曲「ヤングブラッズ」。24年前の古い曲ですが知らないひと聴いてみて下さい。
※ちなみに同時期に流行ったスタイルカウンシルの名曲「Shout To The Top」と酷似しているという事実には今気付きました(笑)
https://www.youtube.com/watch?v=7m94ip38UKs
私が自分の智恵(WISDOM)と自由(FREEDOM)を誰かに授けたいなどと思うことは少しおこがましい考えだったのかもしれませんが、この歌にあるように、それを分け合いたいという気持ちはあるのです。
それは自分が単に寂しいからかもしれません。
魂が共鳴するような友と出会えた時に初めてひとは「冷たい夜にさよなら」と言えるのでしょう。
理想論はさておき現実的には、ある個人が持ちうる経験や知識というものは、往々にしてその個人に属していてのみ意味があり、能力として発揮されるのであって、それを汎用化して簡単に伝授できるような代物(コンテンツ)ではないということです。
その、ある種職人の技術のようなノウハウが、DVDか何かにコンテンツとしてまとめられていて、それを使えば誰でもお金持ちになれるといった類の詐欺的な何かでもない限り、その技術を弟子に伝授するといった昔のジャッキーチェンのカンフー映画的なことは利害関係抜きにはなかなか成り立たないということなのかもしれません。
私は商業的な投資サロンをやるつもりも、投資に関わるコンテンツやアプリのようなものを作って売るつもりもなければ、職業セミナー講師になるつもりもありません。
自分の経験や知識に基づいた考え方というものを、商業的なコンテンツにしてしまうことに抵抗があるからです。
それで金儲けをするくらいなら、そんなものは自分と共に消え失せてしまった方がマシだと思います。
(但し、教育というものにはビジネスとしても多少興味があります。)
つまり、私が持っている知識や経験といったものが、商業的なバリューに転換されることは無いということになります。
そもそも、私の知識や経験などというものに商業的価値など最初から無いのかもしれません。
だとすれば、そのコンテンツで稼げるかもしれないと思って弟子になられた方が、その私から得られた知識で食っていけるということはありません。
投資の事を学びたいという方の多くは、当然のことながら投資によって成功して財を成すなり食っていきたいと願っているに違いありません。
しかし残念ながら、投資をすることで誰でも財をなせる簡単なマニュアルやコンテンツというものはこの世に存在しません(あれば私も買っていたでしょう)。
物事の考え方をすべて投資的に見られる投資脳のスイッチを持てば、その結果として何かビジネスで成功することはできるかもしれませんが、それは思考回路の問題であり、そいういう思考ができるかどうかは最終的にその人次第です。
つまり、他人から考え方を学ぶことはできても、それを適用できるかどうかは自分次第ということです。
そういった意味で、ある方向性に対して適応するスイッチを入れる「コーチング」の技術というものがあれば興味のあるところですが、それを突き詰めるとほぼ洗脳というか宗教に近くなりそうです。
私の脳みそは単純なので、いろんな事に対していちどはまると簡単にスイッチが入ってしまいます。
既に20年前の本ですが、ロバートキヨサキさんの「金持ち父さん貧乏父さん」は、当時私の脳にスイッチを入れるのに十分な影響力を持っていました。
また、2000年の9.11テロも、世界秩序が切り変わる警告のアラームとして十分インパクトのあるもので、私のなかのサバイバルスイッチは切りかわらざるを得ませんでした。
50歳を超えてからの自分は、子供がえり(幼児化現象?)が進み青春時代をもう一度謳歌しているかのようです。
若い頃とは異なり、自由になるお金も時間もある程度余裕ができ、欲しかったものや、やりたかったことの経験も多く手にしました。
バブル真っ只中の20代の時よりエンジョイしていると言っても過言ではありません。
しかしながら、自分の肉体や知力や精神が加齢と共に衰えてきていることは確かであり、自分に残されている時間がどれくらいあるのかも分かりません。
私は、この世に生まれて自分にとっては素晴らしい人生を歩んでいますが、世のために大業を成してはいません。
自分の命がまだ残されているということは、それが尽きる瞬間まで何か与えられた使命を全うしなければならないと強く感じ、そのプレッシャーは日増しに募ります。
そういう意味では、5年前には、60歳での引退を考えて弟子を募集し始めましたが、生きている限りは引退するということはないのかもしれません。
もちろんいつ死ぬかは分かりませんが。
弟子は未だに募集していますし、弟子になりたいという方にはこれからもなるべく多くお会いしていきたいと思っていますが、これからは弟子という表現を少し改めなければならないでしょう。
私が求めている仲間は、親友か義兄弟といった表現の方が近いのかも知れません。
得るものが多かった分、これからの私の人生は失っていくものが増えていきます。
お金では買えない絆や、信頼関係、友情、愛情といったものをなるべく残してゆきたいものです。
もし共有できる魂というものがあるのであれば、その魂を共有できるような仲間をこれからは探していきたいと思う次第です。
天下の大将軍や、海賊王になりたい!というような血気盛んな若い方とは、どんどんお会いしたものです。
そのような無謀なエネルギーを感じる事で、私の魂は新たに光を放つことができるかもしれません。