我々は、自覚していようがいまいが、結局何かの奴隷に違いない。
特に、ビジネスにおいてはそうなってしまいがちである。
会社勤めの方は、特に自分が奴隷化されていると感じる方も多いだろう。
自分自身も会社に勤めていたときは、そうなるまいと思って足掻いてはいたものの、現実には完全に社畜化されていたと思う。
しかし、それから逃れようと独立して自分で事業を立ち上げたところで、その状況がドラマチックに変わるわけではない。
クライアントというものが存在する限り、事業者はクライアントの奴隷に違いない。
誰も雇わずに自分ひとりで事業を行っている人の場合は、自分の奴隷はいない。
自分自身が自分の唯一の奴隷だ。
提携先や、ビジネスパートナーとの関係においては、なかなか100%WIN WINの関係にある場合というのはなく、いずれかが力を持っており、持っていない方は持っている方の奴隷と化する。
恋愛においても、「恋の奴隷」とか言われるが、どちらかが相手より強く相手に惹かれている場合には、恋愛の精神的奴隷化現象が発生する。
女性は適齢期になると、結婚願望というものの奴隷になってしまう場合もある。
恋愛ではなく、結婚を実現することだけがゴールとなる結婚の奴隷である。
同年代の男性は、結婚願望の奴隷になってしまっている女性とは付き合いにくいと感じてしまう。
自分に対する恋愛感情の奴隷になってくれるならまだしも、自分ではなく結婚願望というものの奴隷になってしまっている女性からはなかなか愛情を感じることは難しい。
仮にそれでもその女性のことが好きで好きでたまらない場合においてでも、自分が奴隷化されようとしている相手が結婚の奴隷だと分かると、自分は結婚の奴隷に恋をして奴隷になっていると気付いて冷めてしまう。
本来経済的自由を手に入れるための投資に関しても、社会通念、常識、先駆者のセオリー、自分の過去の成功体験など、色々なものに取り憑かれて知らない間にそれらの奴隷になっている場合というのが少なくない。
投資においては、論理と経験の奴隷になってしまう場合が多いように思われる。
また、トレード系の投資をやっていると感じる事があるが、常にポジションが気になって安心して眠ることすらできないといった具合に、投資そのものの奴隷になってしまう場合もある。
人間という愚かな生き物の相互関係や組織構造において、どれだけ努力して成り上がったところで、常に自分よりも上に自分をマウンティングする人や組織や体制が存在する。
私の近い知り合いで、どんな仕事も相手のことを思いやって全力でやり過ぎるくらいやる男が居るが、殆どの場合、ボクサーの練習用のサンドバッグのようにボコボコに打たれまくって、それでもへこたれない強靱な精神力の持ち主だ。
普通の人間なら耐えられないような扱い・・・まるで奴隷のようにこき使われても、文句の1つも言わず黙々と仕事を遂行する奴隷の中の奴隷。
しかし、人間である限りどれだけ真摯に仕事に取り組んでいたとしてもミスやヘマは起こってしまう。
ミスやヘマが露呈すると、またサンドバッグのようにボコボコにされる。
ボコボコにされても、へこたれずまた仕事を淡々と続けるが、へこたれない分同じような過ちをまた犯すことがある。
そしてまたサンドバッグ状態になり・・・また立ち上がり・・・といった悲劇の無限連鎖を繰り返しているかのように見える。
私ですら、知らず知らずのうちに苛立って彼をサンドバッグ状態にしている事にふと気付かされることがある。
彼がそういったボコられやすい体質だというのもあるが、人間のマウンティング本能が、身近にいるマウンティングしやすい人間を犠牲にするのかもしれない。
しかし、その彼をマウンティングしている自分たちも、所詮誰かや何かの奴隷に過ぎないと分かったとき、その行為はとても空しく、そして悲しく感じられる。
一般的には、自分が受けたマウンティング行為を、自分よりも弱い者を見つけたときに同じようにマウンティングしたり、もしくは成り上がって自分にマウンティングを仕掛けた奴よりも上に上がって仕返しをするとか、そういう方向にいくものなのではないかと思うが、その彼は、やられっぱなしで自分が仕掛ける事はない。
まるで悟っているかのように、“される側”専門なのだ。
自分の能力や努力というものがどうしても及ばないことを、一方的に叱咤されることは屈辱であり、精神的に耐えられるものではない。
しかし、彼は、“耐える”というよりは気に留めずに受け流しているかのようだ。
人間の脳が忘れるという機能を無くしてしまうと、悲しい記憶に埋め尽くされて精神的に崩壊してしまうに違いないが、最初から自分に害のある物事を記憶すらしないといいうのは、パンチドランカーに見えて、実はホセ・メンドーサのように紙一重でパンチを受け流している超高当技術なのかもしれない。
他人からはまるで、何か麻薬のようなものの力でも借りて、痛みを感じない超人のようにも見えるが、実態は単に相手の言葉を受け流しているということか・・・。
わたしは、そういう無敵の彼に敬意を表して、「奴隷の王」=「King of Slave」と呼ぶことにした。
いつか、自分の下には奴隷を作らない彼のような人間が、見方によっては同じように何かの精神的奴隷である我々奴隷仲間を救ってくれることを心から願っている。