【もっとも安全と思われるものが最良の選択でない場合もある】
https://ameblo.jp/saruahi/entry-11179107829.html
このブログ記事を書いて6年が経とうとしているが、最近になって同じような事を改めて感じざるを得ない。
ちなみに、この記事で出てきたASSURED FUND(アシュアードファンド)というケイマン籍の生命保険買い取りファンドは、残念ながら未だに投資家の資金を流動化できていない。
今の世の中で、お金というもので計れる価値に確実なものなど既に存在しないと思える。
人間は、安全と確実を求めて進化を遂げてきた生き物だが、現代における「投資」という、原始時代であれば「生きるための食い物を得るために狩りに出かける」ような行為において、安全性や確実性を追究する意味はもはや理解できない。
そもそも投資は、安全や安心を求めてするものではないだろう。
かつては、狩りに出かけて猛獣と戦ってでも食い物を得なければ死を意味するような時代だったから、命がけで狩りにでなければならなかった。
投資をしてお金を増やさなければ生きていけないのであれば、そこに安全や安心を求める選択肢はないはずだ。
一方、投資をしなくてもお金の腐るほどある人達は投資をする必要がない。
しかし、捨てるほどお金のある人達が、捨てる代わりにその資金を投じる投資先は時に相当リスキーなものとなる。
そして皮肉なことに、それがより強大な富をもたらす。
投資をしなければ生きてはいけないであろう我々庶民には、捨てるほどの資金があるはずもなく、それゆえ本来負うべきリスクが負えず、まやかしの安全や安心といった言葉に騙されてしまいがちだ。
ましてや、仮想通貨(Cripto Currency)の出現によって、今後は我々が今まで慣れ親しんできた日本円やUSD、EUROといった国の中央銀行が価値を保証する通貨の価値も揺らぐ時代を迎えるにあたって、いったいどこに安全で確実な資産運用などというものがあるのか私には全く見えない。
少なくとも、このような現実であるにも関わらず、巷で「最も安全」、「確実なリターン」、「元本保証」などと謳われるものがあれば、何かがおかしいと疑う必要があるのだろう。
「私は安全です」という看板をぶら下げた投資商品がいちばん危険な奴かもしれず、看板こそぶら下げていなくとも、「いかにも安全そうに見える奴」も実は相当危険な奴かもしれない。
「つみたてNISA」とか「iDeCo」あたりが良い例だろう。
常識というエサをぶら下げた大衆向けの投資商品は、本来なら命がけの狩りに出かける覚悟で投資をしなければならない庶民を食いものにしてじわじわ命を奪う危険な代物だ。
そろそろ化けの皮がはがれてきている、庶民に銀行のローンで収益マンションを買わせる手法も同様に、持てるものが持たざるものを食いものにする一般的な手口のひとつである。
海外の不動産案件でも、10年前に流行ったアメリカやカナダのランドバンキングなど、詐欺ではないにせよ10年経った今も出口を迎えられず、出口まで資金の流動性が全くないことは分かっていたものの、結果として資金力のない庶民向けの投資案件ではなかったと思われる。
東南アジアのプレビルドマンションを購入する案件も、ランドバンキングと同じように実在する不動産を購入するという現物の持つ確実性の魔力に魅入られて多くの庶民が購入したが、損をしたか夢が未だ実現していない。
MADISONというカリフォルニアの会社が運営してきた、複数の老人介護施設を投資金で購入し運営することでこの6年間配当を出してきた「プロパティーバンキング」というプロジェクトが昨年にはLLC形態からREIT化され、その後今年になって計画されていた償還成り立たないばかりか配当すら出なくなってしまった。
これなどは、ランドバンキングと比較しても、既に運営されている老人介護施設を買い取って、リーフォームなど改善を施して運営しながら配当を出し、将来はキャピタルゲインも狙えるという、相当安心感の高い案件であったのに、なぜか経営が上手くいかなくなって配当すらでないありさまだ。
海外の不動産に投資をするということの難しさでもあるのだろうが、全ては体裁良くパッケージ化されたものの罠にはまってしまったということが敗因といえる。
ひとは、たとえそれが未開発の荒れ地であっても形のある現物に安心感を覚えるものである。
紙の上に数字と文字しかない証券をもらったところで、現実感がない。
実在する土地や建物は、その所有権さえはっきりしていれば資産としての現実感はある。
ただ、現物があるからといって運用性があるかどうかはわからないし、その価値が不確実であるという点に於いては証券という紙切れとたいして変わりはない。
庶民が命がけの投資をするにあたって注意しなければならない点は、まず投資に際して安心・安全・確実という妄想を捨てることだろう。
投資商品や案件を、庶民をターゲットに、常識という衣で上手く包んで、いかにも安心・安全・確実な商品と見せかけるマーケティングの手法は既に確立されており、その呪縛から逃れることは容易ではない。
安心や安全の度合いを見極める力は、投資の経験によって徐々に身につくが、いくら投資経験をつんだところで、それが投資である限り100%安全な投資商品を見つけることはできない。
リスクの高い劇薬にどんどん手を染めていくことによって、リスクに対する恐怖感は薄れていくが、リスクを恐れない投資ジャンキーになってしまう恐れもある。
この何を信用して良いのかわからない混沌とした時代を、庶民が投資力を駆使して生き延びることは容易ではないが、いくつかの「投資の確実性を高める確実なセオリー」を守り続ける事で生存確率を上げることはできるように思う。
思いつきでランダムに上げておきたい。
*広く大衆に広告されているものは買わない
*営業されて売り込まれるものを買わない
*思わず引き込まれる魅力的な広告に騙されない
*分散投資の概念を決して忘れない
*リスクという毒は口にして初めてわかる
*形のあるものに囚われない
*だれもが信じる常識というエサに食いつかない
*長期に渡るドルコスト平均法は鉄板である
*過去の実績(トラックレコード)は将来を保障していない
*マイノリティー(少数派)の勝率は高い
*プレイヤーとして経験を積め
*投資における運用は不確実だと知った上で、確実な要素を必死で探せ
*投資はギャンブルではない
*リスクのない投資はない
*情報はなるべく生でダイレクトに収集する
*占いに頼らない
*投資商品のスペックにこだわらない
*アドバイザーや投資会社の肩書きや規模に騙されない
*継続に勝る武器はない
*死して屍拾うものなし