エッセイ191「死ぬ思いの社会人時代」 | あなたのココロ、治します。

エッセイ191「死ぬ思いの社会人時代」


 僕はS特許法律事務所に就職することになった。スーツを二着兄に買ってもらった。ワイシャツとネクタイは兄のものを借りた。靴は父が履いていたものを使った。ネクタイが首を絞めるようでうっとうしかった。靴も革靴で疲れやすかった。

 入社式の日が来た。僕はとても緊張していた。案内された部屋には女性ばかり十名ほど、男性は僕を含めて四名しかいなかった。女性陣は事前にアルバイトという形で仕事をすでに始めていた。だから仲のいいグループができあがっていた。工学系の男性陣三名は初顔合わせだった。もうひとりの男性は事務職でやはりアルバイトをしていた。

 全員がそろった段階で一階の職場にならばされた。事務所は特許庁のすぐ横のビルをほとんど借り切っていた。社長からひとりずつ名前と学歴と配置部署を読み上げられた。ひとり一言ずつ挨拶をした。僕は緊張のあまり声が出ず、低い声でもぞもぞとしゃべった。挨拶が終わると自分の机が用意された。部長と向かい合って座らねばならず、パーテーションもなかった。机にはT社のノートパソコンがおかれているだけだった。S事務所では仕事の約七割をT社からもらっていた。

 机に座らされて何もやることがなかったので辺りを見回してみた。広いフロアの半分に事務職、もう半分に技術職が座っていた。技術職は七部まであり、僕は五部に配属され、同じフロアには四部と六部が入っていた。

 新入社員と中途採用者は熱海へ行って合宿をすることになっていた。僕はそれも嫌だった。合宿の席で新入社員は芸をすることになっていた。少ない時間の中で技術者五人は芸を披露した。先輩にはつまらないといわれた。

 週五日の通勤電車での行き来はとても体力的につらく、ストレスがたまるばっかりだった。三カ月の研修期間で僕のストレスは爆発寸前だった。

 そんな状態である日、レイコの夢を見た。レイコは中学と高校でつきあっていた彼女で、僕が奥手だったためにキスくらいしかしていなかった。自然消滅してずっと忘れていたある日、レイコの夢を見たのだった。それで無性にレイコにあいたいと思い、飲みに誘った。レイコは見違えるほど魅力的な女性に変わっていた。僕はレイコにHをしたいといった。しかし断られた。レイコは
「今年の九月に結婚するんだ」
といって婚約者の名刺を僕に見せた。

 僕は絶望した。なぜレイコの夢なんかを見たのかわからなかったが、会社でのストレスが最高潮に達していたときだったので、自分の人生はもう終わったと思った。

 三カ月の技術者研修が終わった。僕はその日に自殺するつもりでいたのでぐびぐびと酒を飲み、先輩の女子社員にセクハラまがいの言葉を投げかけた。飲み会が終わり、南北線でノリコの家に泊まることになっていた。赤羽で降りてさあ、どうやって死んでやろうと思った。憎いネクタイをはずしてこれで首を吊ってやろうと考えた。

 赤羽公園で木にくくりつけて死のうと思っていたが、予想外に明るく、人もいた。僕は仕方がないのでトイレの個室に入り、荷物かけにネクタイをくくりつけた。ああ、本当に死のうとしていると思った。怖くて手がふるえた。しかし全体重をかける前に金属のフックがおれてしまい、それと同時に僕の気持ちも醒めてしまった。

 ノリコに電話をかけた。駅前のカラオケ屋で姉やその彼氏と歌っているという。僕もそれに合流してがなり立てて歌を歌った。

 ノリコの部屋に入ってすぐベッドに横になった。そしてノリコにさっきしてきたことを話した。ノリコがどんな反応をしたかは覚えていない。

 月曜日は会社を休んだ。火曜日も休んだ。僕は自殺未遂の話を兄と母に話した。
「のりちゃんとつきあっているのにどうしてレイコの事なんて出てくるの?」
そう母はいった。僕は
「だから所詮キチガイの戯言なんだよ」
といった。二人とも黙ってしまった。

 火曜日にいつも通っている大学病院の精神科へ行った。自殺したいことを医者に話した。その日のうちに入院することになった。母とノリコが毎日見舞いに来てくれた。特にノリコは電車の定期券まで買って遠いところをわざわざ来てくれた。

 病院生活は快適そのものだった。食事もまあまあだったし、そこに集った人々も楽しかった。談話室で机を並べてみんなで食事を食べた。うつのUさんとGさん、耳鼻科のIさんとFさん、外科のKさん。毎日五、六人で食事をともにした。

 家からパソコンを持ってきてもらって僕はS事務所の同期や友人たちにそううつ病で自殺未遂をした、会社を首になった、などとあからさまにメールを送った。たばこを吸うことも覚えた。喫煙室での談話は相手との距離を近くした。楽しくて仕方がなかった。

 しかし、ある日僕がパソコンを使っているのを精神科科長が見て、そろそろ退院してはどうかといってきた。まだ入院して二週間ほどだった。もっと入院していたいと申し出たが結局受け入れられず、一時退院を含めて三週間で退院することとなった。

 退院したらやりたいことがいっぱいあった。その中でも家庭教師や塾講師をしたいと思っていた。
 ノリコとつきあって六年になっていた。ノリコは
「ねえ、お嫁さんにしてくれる?」
とよく聞いた。僕も実感がなかったから
「お嫁さんにするよ」
と答えていた。

 しかし、僕の病気は治るのに五年から十年かかるといわれていた。病気の状態では仕事をしてノリコを食べさせてやれないし、そんなに待たせていられなかった。ノリコは親から二十七歳までに結婚しろといわれていた。タイムリミットが近づいていた。

 僕はレイコの件で一度ノリコを裏切った。だからノリコも一度裏切ったという。北海道のメル友がわざわざ東京まで飛行機で会いに来たという。ノリコが他の男と接触したということで僕は絶望的な気持ちになった。無職で病気で彼女に裏切られた男。

 その話を聞いたとき、死のうと思った。実家の二階のベランダに結びつけてあるロープを使って首吊り自殺をしようとしたのである。しかし痛いばかりで死ねそうになかったのでやめてしまった。やけ酒を飲んだ。母に首を吊った事を話した。

 次の病院の日に医者にまた未遂をしたことを話した。新米の女医にひどく怒られた。精神科へ行ってなんで気分が悪くなって帰ってこなければならないのだろうと思って大学病院へ行くのはやめた。近くにあるA病院という精神科がメインの病院へ通い始めた。W医師はベテランで信頼できた。いい病院に巡り会えたと思った。

 ノリコは二十六歳になっていた。僕はノリコに心身共に寄りかかって生きてきた。しかし別れの時が近づいていた。ノリコと姉が借りているマンションの契約更新日が近づいていた。姉は何もせず東京で遊んでいるだけだったし、ノリコもT大学の大学院で宗教学を学んでいたが、三年間で修士論文を書くことができず大学を辞めていた。マンションを引き払ってノリコは実家に帰り、姉は川口に旦那と住むことになった。

 今でも覚えている。一月十四日に契約が切れる。その日を境に別れることになった。それでも月に一度、ノリコは矯正歯科に東京に来ていたし、そのたびに僕らは会っていた。

 そんなある日、ノリコを自室に招き、二人でのんびりしているところ、ノリコの携帯にメールが来た。ノリコは僕をそっちのけにしてメールを読み、返事を書いていた。ひどく失礼だと思った。しかしノリコは「今はあなたよりこっちの人の方が好きだから」といってメールをやめなかった。僕はノリコを最寄り駅まで車で送った。最後のキスをした。いつもならハザードをつけて見せるのだが、もう僕にはそんな愛情は残っていなかった。愛情は憎しみに変わった。

 その件を母に話すとノリコの悪口をいった。母は毒舌だなあと思いつつ、もう少しわきまえるべきだ、との文章を日記に載せたところ、ノリコとは音信が途絶えてしまった。きっと姉が僕のサイトを見てノリコに告げたのだろう。電話をしてもメールを出してもいっさい返事がなかった。こうして僕らは七年の歳月を共に歩んできたが、後味の悪い別れになってしまった。今頃ノリコは恋人を見つけられただろうか。

楽しい現在

 今はいろいろなことをやってみている。家庭教師、Kデンキ、三Kのバイト。ホームページの運営もしている。最初に作り上げるときは設定などがわからずに苦労した。今もう一回やって見ろといわれてもたぶんできないだろう。サイトはメインの日記とメイン掲示板と本や音楽についての掲示板と、詩を書く掲示板を用意している。

 そのほかコラムと称して日頃思うことなどを書いてみたり、デジタルカメラで撮影した画像やへたくそなパステル画を公開したり、やりたいと思うことはどんどんやっている。自己表現の場所なのである。毎日数十人の方々が僕のしょぼいサイトを見に来てくれている。毎日日記を書くことがライフワークになっている。それを見に来てくれる人がいることがうれしい。今日も数十名の方々のために日記を書くであろう。