エッセイ187「勉強ができない!」 | あなたのココロ、治します。

エッセイ187「勉強ができない!」


 予定通り晴れて都立戸山高校に入学した。都立では西、日比谷と並んでトップ校だった。戸山は特別な教科書を使うでもなく、ごく当たり前の授業が展開された。しかしその早さがすごかった。文理志望関係なく社会も理科も四科目ずつ必須だった。

 文系の人は数学で苦労したようだった。僕は理系だったので日本史と世界史に悩まされた。三年生の期末試験まで日本史を勉強せねばならず、テストで九点しかとれなかったことが記憶に新しい。文系理系の区分は三年生になってからで、それも一部の授業にしか適用されなかった。

 新宿区、渋谷区、世田谷区、目黒区から精鋭が集まってきていた。他の生徒の勉強の熱心さはすごいものがあった。一年の一学期の中間試験で僕は漢文で零点をとった。それがクラスメイトに面白がられて今でもたまに飲みに行く高校の友人連中のいいお笑いぐさになっている。中間試験ではクラス四十八人中四十七位だった。

 これが僕の落ちこぼれ人生のスタートであった。それでも三年生の時の実力試験では五十位に食い込んだ。一学年が四百二十人だったので大躍進だった。担任のM先生に「ようやく実力発揮ね」といわれたが、僕はまだまだです、と答えた。もっと上を狙っているという意味だった。

 大学受験本番が始まった。僕は早稲田と東京理科大と武蔵工業大を受験した。あまり解けた感じはしなかった。特に理科大は全く勉強したことが通用しなかった。雪の日で野田の試験会場へ行く途中でちょっと足を滑らせた。まさかとは思ったが落ちていた。

 早稲田はとにかく微分方程式が必ず出ると予備校の直前講座でいわれていたので、そこだけは得点しようと思っていた。早稲田の合格発表の日はちょうど自動車教習のために福島県まで合宿に行っていたので、わざわざ新幹線で自分の目で試験結果を見に行った。落ちていた。近くの電話ボックスで父親に電話を入れた。

 父は怒ることなく、「そうか」と気持ちを汲み取ってくれた。武蔵工大は滑り止めのつもりで受験したのだが、なんとここも落ちてしまった。試験会場ではできたという感触があった。それだけにショックだった。

 浪人が決定した。戸山では文武両道で、高校生活は部活や文化祭にも全力投球して、本格的な勉強は浪人してから、という風潮があった。実際学年の九割が浪人した。女の子でも浪人する子が多く、恋愛をしている人は割と少なかった。


高校での行事

 学校行事に関してはあまりいい記憶はない。部活はアメリカンフットボール部に入部した。中学ではバレーボールが楽しかったが、高校ともなるとネットの高さがぐんとあがるし、百七十センチそこそこの僕では通用しないと考えた。そこで今までやったことのないスポーツをしてみたいと思い、ラグビーにするかアメフトにするか迷った。

 結局防具をつけて安全そうでかっこいいアメフト部に入部した。部では新入生歓迎ということで学校の近くのピザ屋で先輩たちにおごってもらった。大学ではこういったことは珍しくないが、当時の高校ではそれはすごく画期的なことで、ピザもおごってもらったし、という理由で入部したような感じだった。

 防具はすべてそろえて十万円ほどした。当然親に出してもらった。後々僕が部活をやめることになったときに、ただで他の人に譲ったことがあり、父に叱られた。ヘルメットは僕の頭の形がいびつなせいか、サイズを合わせてもきつくて仕方がなかった。練習はそうきついものではなかった。小学校の野球部で培った筋力が功を奏した。

 アメフトは体力も必要だったが、知力も必要だった。ルールも全くわからずに入部した僕にはフォーメーションなども全く理解できなかった。文化祭の表彰委員長を務めたおかげで練習も満足にできなかった。したいとも思わなかった。夏の合宿には参加した。僕はディフェンス側のセーフティーというポジションを与えられた。相手のパスプレーを阻止するのが役割だった。

 秋口になってろくに練習にも参加できないことからキャプテンに辞めさせてもらいたいと申し出た。キャプテンは残念そうだったが「そうか」としかいわなかった。

 部活の練習に参加できなかったのは一年生の時に文化祭の表彰委員長を務めたことが大きかった。委員長を決定する会議でだれも挙手する人がいなくていらついて僕が名乗り出た。それがいけなかった。一年生でなにもかもわからずに委員長を務めたものだから、三日連続で三時間睡眠という悲惨な状態だった。

 勉強する時間もなく、表彰委員長は僕の人生を狂わせた原因であるともいっていい。仕事の内容は文化祭で発表される出し物を公正な目で見て、グランプリを決定するというものだった。うかつに手を挙げなければよかったと今でも思っている。

 一方、クラスの方でも文化祭のテーマが僕の出した案が採択され、クラスメイトの前で何度も案の趣旨を述べなければならなかった。このころはストレスで胃酸過多になっていて学校のトイレで何回も吐いた。つらい時期だった。

 そんな中好きな人もできた。何人もの人にアタックするがすべて却下だった。Hさんというあまり美形ではない女の子を好きになって電話アタックをするが、なかなか首を縦に振ってくれない。それでも一緒に映画を見に行くことができた。別れ際に告白したがあっさりと断られた。勉強のできる子でお茶の水女子大に現役合格している。

 三年間で五人くらいの女の子にアタックしたがすべて断られた。中には相手が僕を知らない人もいて、わざわざ僕のクラスに「賢くんってどんな人?」と聞きに来る人もいた。
 とにかく高校時代は忙しく、辛く、大変な時期だった。