エッセイ165「香りについて」
僕は鼻がいいのか、むしろ悪すぎるのか、くんくんとよく香りをかぐ。香りにはちょっとうるさい。今はつけていないが、大学時代は毎日香水をつけて学校へ通っていた。お気に入りはルチアーノ・ソプラーニのソロである。石鹸のような優しい香りである。
男性ものの香水はきつくてだめだった。通信販売で毎月ひとつずつ香水を送ってくるというコースを取っていた。シェアード・フレグランスというもので、その名の通り男女で共有できるような中性的な香水を送ってくるものだった。ジバンシーやジャガーといった有名ブランドの香水を少量ずつ試せていい商品だった。
そのことを思い出すと大学時代の記憶がよみがえる。僕は世田谷にある大学に通っていた。大学に近いようにと成城学園前に兄と共同でアパートを借りていた。彼女がいたこともあってちょっとがんばっておしゃれをしていた。大学は不登校で留年をしていたからあとがなかった。その危機感があって毎日授業に無遅刻無欠席で出ていた。
彼女から女物の香水をわけてもらっていたりした。懐かしい思い出である。
その彼女とは六年間もつき合った。文学サークルで出会い、僕が一年生の時からつきあい始めた。彼女も香水が好きだった。僕らはとても仲がよかった。毎日のように彼女のマンションに泊めてもらった。
料理をつくってもらって一緒に食べた。そこから朝、手をつないで一緒に大学に通った。夫婦のような仲のいいカップルだった。しかし、僕が彼女を養えないということで結婚はせずに別れた。親が結婚相手を見つけろとうるさかったという。今でもソロの香りが鼻に広がってくるような思い出である。今頃彼女は幸せに結婚できたであろうか。その相手が僕ではなかったことが、ほろ苦い思い出と新鮮な香水の香りを思い出させる。いい時代であった。
以前お香に凝っていたことがある。彼女とその姉のカップル四人で横浜の中華街に食事をしに行った。その後で店をあちこち見て歩いて、お香の店に入った。僕はそれを瞬時に気に入ってしまった。三箱ほど買い求めて、ほくほくしながら彼女のマンションに泊めてもらい、お香をたいた。そのエスニックな香りにすっかり魅了されてしまった。それから毎日お香である。
さすがに彼女は部屋に香りがつくのを嫌って、僕は自分の部屋でお香をたくことになった。その頃は会社をクビになったころで、小説家を目指して群像新人賞に応募する小説を書いていた。煙草とお香の煙が部屋中に充満していた。ガラスの灰皿のなかでたいていたのだが、あまりの高温にいきなり割れてしまった。
その頃の小説は書くのがしんどかった。自分の体験をモノローグで語ることしかできず、五十枚の短編部門でも規定枚数まで書くのに精一杯だった。純文学、芥川賞を目指していた。ちなみに今はエンターテインメントの直木賞を目指している。
僕は煙草をめったに吸わない。ときどき吸ってみたりもするが、別段おいしいとも思えない。煙草を吸うと体が汚れる気がしてしまう。嗅ぎ煙草ではないが、火をつけずに葉の香りを嗅ぐのは好きである。
僕が小学校低学年のころだったろうか。父に煙草を買ってきてくれ、と頼まれた。父はパッケージを僕に見せ、セブンスターを買ってこいといった。小学生に煙草の細かい銘柄の知識などはあるはずがない。よく選んで買ったつもりだったが、僕はマイルドセブンを買ってきてしまった。それで怒られるということもなかったが、その日から父はマイルドセブンを吸うようになった。
男性ものの香水はきつくてだめだった。通信販売で毎月ひとつずつ香水を送ってくるというコースを取っていた。シェアード・フレグランスというもので、その名の通り男女で共有できるような中性的な香水を送ってくるものだった。ジバンシーやジャガーといった有名ブランドの香水を少量ずつ試せていい商品だった。
そのことを思い出すと大学時代の記憶がよみがえる。僕は世田谷にある大学に通っていた。大学に近いようにと成城学園前に兄と共同でアパートを借りていた。彼女がいたこともあってちょっとがんばっておしゃれをしていた。大学は不登校で留年をしていたからあとがなかった。その危機感があって毎日授業に無遅刻無欠席で出ていた。
彼女から女物の香水をわけてもらっていたりした。懐かしい思い出である。
その彼女とは六年間もつき合った。文学サークルで出会い、僕が一年生の時からつきあい始めた。彼女も香水が好きだった。僕らはとても仲がよかった。毎日のように彼女のマンションに泊めてもらった。
料理をつくってもらって一緒に食べた。そこから朝、手をつないで一緒に大学に通った。夫婦のような仲のいいカップルだった。しかし、僕が彼女を養えないということで結婚はせずに別れた。親が結婚相手を見つけろとうるさかったという。今でもソロの香りが鼻に広がってくるような思い出である。今頃彼女は幸せに結婚できたであろうか。その相手が僕ではなかったことが、ほろ苦い思い出と新鮮な香水の香りを思い出させる。いい時代であった。
以前お香に凝っていたことがある。彼女とその姉のカップル四人で横浜の中華街に食事をしに行った。その後で店をあちこち見て歩いて、お香の店に入った。僕はそれを瞬時に気に入ってしまった。三箱ほど買い求めて、ほくほくしながら彼女のマンションに泊めてもらい、お香をたいた。そのエスニックな香りにすっかり魅了されてしまった。それから毎日お香である。
さすがに彼女は部屋に香りがつくのを嫌って、僕は自分の部屋でお香をたくことになった。その頃は会社をクビになったころで、小説家を目指して群像新人賞に応募する小説を書いていた。煙草とお香の煙が部屋中に充満していた。ガラスの灰皿のなかでたいていたのだが、あまりの高温にいきなり割れてしまった。
その頃の小説は書くのがしんどかった。自分の体験をモノローグで語ることしかできず、五十枚の短編部門でも規定枚数まで書くのに精一杯だった。純文学、芥川賞を目指していた。ちなみに今はエンターテインメントの直木賞を目指している。
僕は煙草をめったに吸わない。ときどき吸ってみたりもするが、別段おいしいとも思えない。煙草を吸うと体が汚れる気がしてしまう。嗅ぎ煙草ではないが、火をつけずに葉の香りを嗅ぐのは好きである。
僕が小学校低学年のころだったろうか。父に煙草を買ってきてくれ、と頼まれた。父はパッケージを僕に見せ、セブンスターを買ってこいといった。小学生に煙草の細かい銘柄の知識などはあるはずがない。よく選んで買ったつもりだったが、僕はマイルドセブンを買ってきてしまった。それで怒られるということもなかったが、その日から父はマイルドセブンを吸うようになった。