エッセイ159「僕が会社を首になった理由」
就職活動は出版社や学習塾を中心にしていましたね。あと公務員試験も。理系だったけど、自分の理系的才能の無さにうんざりしていたので、学科にとらわれずに受けたいところを受けようと。でも全部おちて結局大学の就職課に相談に行った。
成績だけはよかったので、「こりゃもったいない、あんたにいいところを探してあげよう」って職員の人がいってくれて、特許事務所を紹介された。特許なんて興味なかったし、仕事も難しそうだったのであまり気乗りはしなかったけど、職員の顔を立てるつもりで行ったらすんなり受かった。もうひとつ受かっていた小売業の仕事よりは体力的に楽かな、ということで特許事務所に行くことにした。
特許については何も知らなかったし、興味もなかったけど、内定がでてからは指定された本を読んでレポートを送れとか、直の上司となる人から勉強ビデオと宿題が送られてきたりして。卒研のクライマックスの時と重なったけど、一生懸命課題をこなしました。液晶ディスプレイの仕組みを理解しなさいとか、工業所有権法の概略を理解しなさいとか、全然興味のわかない内容でした。でも世の中の皆さんは自分の興味と関係ない仕事をしている人がほとんどでしょうね。
この会社を選んだ理由として「転勤がない」ということが大きいです。大学の推薦枠を使えば、なんせ成績優秀だったんで大きな会社に入ることはできたと思います。でも大企業は必ず地方転勤がある。かれこれ七年も一人暮らしをしていたのでもう嫌だったんです。精神的にも落ち込むし。父が生きていたらどっちを選んだかわかりませんが、大学三年の時に他界していたので実家で居心地よく暮らしたいという想いがありました。だから小さい会社、転勤のない会社を選んだわけです。
しかし、実家から通えるといってもかなりしんどい。行きも帰りも立ちっぱなし。世の中そんなのは当たり前なのだろうが、なんせ僕は体力がない。病気だからすごく疲れやすいのだ。僕の場合、往復三時間の通勤は「通勤範囲」とか「自宅から通える」とは呼べない。通勤だけで既に疲れ切っているのだから、仕事のクオリティーも上がるはずもなく、モチベーションもとびきり低い。要は仕事にならないのである。
就職活動の時に買ったのはスーツだけ。ネクタイとシャツは兄に借りた。この辺で既にやる気の無さが伺える。シャツの首周りがきつく、肩と首がすごくこった。これ自身がストレスになってやっぱり仕事にならなかった。仕事の最中にしょっちゅう首周りを気にしていた。ネクタイも大嫌いだった。なんで首を絞めなきゃならないんだ? 世間の人はよく平気でいられると思う。いつか僕が仕事を選ぶとしたら絶対にスーツを着なくていい仕事にする。
その会社は古くさく、人と人が机を向かい合わせて仕事をする会社だった。ノートパソコンしか目の前にないから、目の前の直属の部長を常に意識しなければならない。これは対人恐怖症の僕にとってはものすごくつらいことだった。常に部長の顔色をうかがっているので仕事にならない。部長はとても人柄のいい人だったが、それでも僕はだめだった。
暗いヤツだと思われたくなくて変な人、面白い人を演出した。同期入社が二○人いて、そのうち一七人が女性だったことも大きい。やはり女性に嫌われたくないと言うのはある。だから白シャツはおやじ臭いからほとんど着なかった。イエロー、ブルー、ピンク、カフスまでして「おしゃれ」を演出した。その背伸びが疲れた。ストレスになった。
朝起きるのが嫌で嫌で仕方がなかった。完全にうつ状態だった。入社して三カ月は仮採用期間で、絶対に遅刻や欠勤はしてはならないとされていたが、それぞれ二回ずつくらいした。それくらい会社に行きたくなかったのだ。
特許法に関する研修も延々と続く。国際出願だの、中間アクションだの、どうでも良い話ばかりだった。だからよく寝ていた。注意こそされていなかったが、こんな人間雇わなくてよかったと思っていただろう。
一般の研修の他に、技術者には技術研修というものがたんまりあった。技術者は特許を申請したいと思う企業の権利範囲をできるだけ広くとってあげるための、特殊な「技術明細書」というものを書けないといけない。これがまたどうでも良いことを延々とA四に三○枚くらい書き連ねる退屈な作業だ。当然僕はやる気が全くなかった。同期五人中一番できが悪く、やる気がなかった。研修員にもそのことはしっかり把握されていた。
技術明細書の書き方というのは大まかなフォーマットがあるだけで、一○○人いたら一○○通りの明細書ができるくらいの曖昧な仕事だった。だから僕が書いた明細書を部長や研修員に読ませると、真っ赤に赤ペン添削されて返ってくる。「なぜ自分の表現じゃいけないのか」それは「添削する側の長年の経験に基づいたフィーリングにあっていないからである」と言うわけである。こんなんじゃやる気出る分けないでしょ?
何が正しくて何が間違っているのかわからないんだから。よく明細書は職人的仕事と言われる。つまり陶芸なんかといっしょで「どうしてその茶碗の風合いはよくて、これはよくないのか」明確じゃないんです。要するに何年も会社に勤めてその「フィーリング」を体で覚えろと言うことらしいんですよ。やる気出ますか?
技術者は六○歳の退職まで延々とワードを打ち続けることになります。しかも目の前に部長や課長がいる席で。魅力的なお仕事ですか? 僕がここに決めたのはワードでの文書作成というところが楽で良いかなと言う理由だったんですが、さすがにこれを三五年間も続けろっていわれたら死にたくなりません? じゃあなにがやりたいのかっていったら特にないのですが、これはサラリーマンの息子であり、大学受験を人生の目標に掲げてしまった人間の定めですね。
僕、人生の時間計算をしたんですよ。まず、最低週四○時間は会社で人生を過ごすことになるわけです。さらに出勤時間が往復三時間。朝の身だしなみや帰りのつきあいなんかで、二時間はとられるでしょ? そうすると一日に
一三時間=(最低労働時間八h)+(通勤三h)+(出社支度時間他二h)
もとられるわけです。それで一日ぐったり疲れて八時間睡眠じゃとても足りないけれど、それ以上寝てられないから、一日二四時間中八時間は寝る。すると、
一六時間=(一日二四h)ー(睡眠八h)
が行動時間な訳です。その中の一三時間を労働にとられる。つまり、
一三h÷一六h=八一%
何と、人生の八○%以上を労働にとられているわけです。これが人間の本来生きるべき人生なんですか? そんな人生に生きる価値があるのですか? 人生をお金に換金しているだけなんじゃないんですか? これが僕がサラリーマンをやりたくない、できない理由です。
うちの課は六人いましたけど、二六歳の人が平、三八歳の人が主任、あとはみんな課長でした。技術課長だの、専門課長だの、冴えないおじさんばかり。退職まで勤め上げても行く末があんなんじゃ死にたくなりますわ。
そううつ病だから体力が持たないということは大きかったです。普通の人ができることがつらくてつらくて仕方ない。そもそもサラリーマンって体力がいりますよ。普通のようでいて彼らはすごい。僕もそううつ病じゃなかったら普通のサラリーマンをやれていたのかな。
同い年で弁理士試験に受かった人がいました。在学中から勉強していたらしいですが、片方はただの平社員、もう片方は弁理士。社内組織的には「部長補佐」です。二五歳の若さで。そして彼はかっこよく、給料にも弁理士手当なるものがつく。これは一生彼には追いつけない。この時点でももうやめようと思っていました。
この不況の中、新入社員を二○人もとる中小企業ってあるんですか? そして僕を筆頭に同期が知っている限りで三人やめました。そういうものなんですか? どうも労働条件が悪いせいでやめていく人が多い気がします。中途で入った人三人が三人ともやめてますからね。他の職場を知っている人がやめると言うことは労働条件の悪さを感じたからなのではないでしょうか。だから大量補充せざるを得ないと。
仮採用の三カ月間中に自殺未遂をして入院してしまったので、本採用は取り消しになりました。本部長は僕の体調を気遣って、「仮採用期間をのばしてあげようか?」などと言ってくれていました。だから僕は入院した日、七階建ての最上階の病室の窓からすがすがしい景色を見ながら、「これで公に休める。しばらく入院したらまた働けるだろう」と思っていたんです。
ところが母が人事部の人から「他の仕事を探されてはいかがか?」と言われたのを僕に伝えてきた。そんなバカな。と言っても会社もわざわざ病人を雇うわけはないのですが、すっかり復職できるものだと思っていました。さすがにショックでしたね。
よくわからないんですけど、社会保険証を使って病院にかかれば、その情報は会社にも行くのですか? 入社してすぐ社会保険証で病院に通っていたので、入院は関係なく不採用が決定していたのかもしれません。
ほんと、毎日スーツ来て、朝早く起きて、満員電車に揺られ、三○年も先のことが想像ついてしまうような環境で、よく毎日会社に通えるなあと思います。でも僕もほんとうはそれがしたかったんです。普通の人生を歩みたかったんです。だから皆さんをうらやましく思っています。サラリーマンはすごい!
障害者年金をもらっているくらいですから、労働は多分免除されるのでしょう。経済的には人並みの幸福は諦めなければなりません。ただ、義務的労働をしなくて済むので、軽いアルバイトをしたり、ボランティアをしたり、趣味に生きたり、やりたくないことは回避できると思います。
成績だけはよかったので、「こりゃもったいない、あんたにいいところを探してあげよう」って職員の人がいってくれて、特許事務所を紹介された。特許なんて興味なかったし、仕事も難しそうだったのであまり気乗りはしなかったけど、職員の顔を立てるつもりで行ったらすんなり受かった。もうひとつ受かっていた小売業の仕事よりは体力的に楽かな、ということで特許事務所に行くことにした。
特許については何も知らなかったし、興味もなかったけど、内定がでてからは指定された本を読んでレポートを送れとか、直の上司となる人から勉強ビデオと宿題が送られてきたりして。卒研のクライマックスの時と重なったけど、一生懸命課題をこなしました。液晶ディスプレイの仕組みを理解しなさいとか、工業所有権法の概略を理解しなさいとか、全然興味のわかない内容でした。でも世の中の皆さんは自分の興味と関係ない仕事をしている人がほとんどでしょうね。
この会社を選んだ理由として「転勤がない」ということが大きいです。大学の推薦枠を使えば、なんせ成績優秀だったんで大きな会社に入ることはできたと思います。でも大企業は必ず地方転勤がある。かれこれ七年も一人暮らしをしていたのでもう嫌だったんです。精神的にも落ち込むし。父が生きていたらどっちを選んだかわかりませんが、大学三年の時に他界していたので実家で居心地よく暮らしたいという想いがありました。だから小さい会社、転勤のない会社を選んだわけです。
しかし、実家から通えるといってもかなりしんどい。行きも帰りも立ちっぱなし。世の中そんなのは当たり前なのだろうが、なんせ僕は体力がない。病気だからすごく疲れやすいのだ。僕の場合、往復三時間の通勤は「通勤範囲」とか「自宅から通える」とは呼べない。通勤だけで既に疲れ切っているのだから、仕事のクオリティーも上がるはずもなく、モチベーションもとびきり低い。要は仕事にならないのである。
就職活動の時に買ったのはスーツだけ。ネクタイとシャツは兄に借りた。この辺で既にやる気の無さが伺える。シャツの首周りがきつく、肩と首がすごくこった。これ自身がストレスになってやっぱり仕事にならなかった。仕事の最中にしょっちゅう首周りを気にしていた。ネクタイも大嫌いだった。なんで首を絞めなきゃならないんだ? 世間の人はよく平気でいられると思う。いつか僕が仕事を選ぶとしたら絶対にスーツを着なくていい仕事にする。
その会社は古くさく、人と人が机を向かい合わせて仕事をする会社だった。ノートパソコンしか目の前にないから、目の前の直属の部長を常に意識しなければならない。これは対人恐怖症の僕にとってはものすごくつらいことだった。常に部長の顔色をうかがっているので仕事にならない。部長はとても人柄のいい人だったが、それでも僕はだめだった。
暗いヤツだと思われたくなくて変な人、面白い人を演出した。同期入社が二○人いて、そのうち一七人が女性だったことも大きい。やはり女性に嫌われたくないと言うのはある。だから白シャツはおやじ臭いからほとんど着なかった。イエロー、ブルー、ピンク、カフスまでして「おしゃれ」を演出した。その背伸びが疲れた。ストレスになった。
朝起きるのが嫌で嫌で仕方がなかった。完全にうつ状態だった。入社して三カ月は仮採用期間で、絶対に遅刻や欠勤はしてはならないとされていたが、それぞれ二回ずつくらいした。それくらい会社に行きたくなかったのだ。
特許法に関する研修も延々と続く。国際出願だの、中間アクションだの、どうでも良い話ばかりだった。だからよく寝ていた。注意こそされていなかったが、こんな人間雇わなくてよかったと思っていただろう。
一般の研修の他に、技術者には技術研修というものがたんまりあった。技術者は特許を申請したいと思う企業の権利範囲をできるだけ広くとってあげるための、特殊な「技術明細書」というものを書けないといけない。これがまたどうでも良いことを延々とA四に三○枚くらい書き連ねる退屈な作業だ。当然僕はやる気が全くなかった。同期五人中一番できが悪く、やる気がなかった。研修員にもそのことはしっかり把握されていた。
技術明細書の書き方というのは大まかなフォーマットがあるだけで、一○○人いたら一○○通りの明細書ができるくらいの曖昧な仕事だった。だから僕が書いた明細書を部長や研修員に読ませると、真っ赤に赤ペン添削されて返ってくる。「なぜ自分の表現じゃいけないのか」それは「添削する側の長年の経験に基づいたフィーリングにあっていないからである」と言うわけである。こんなんじゃやる気出る分けないでしょ?
何が正しくて何が間違っているのかわからないんだから。よく明細書は職人的仕事と言われる。つまり陶芸なんかといっしょで「どうしてその茶碗の風合いはよくて、これはよくないのか」明確じゃないんです。要するに何年も会社に勤めてその「フィーリング」を体で覚えろと言うことらしいんですよ。やる気出ますか?
技術者は六○歳の退職まで延々とワードを打ち続けることになります。しかも目の前に部長や課長がいる席で。魅力的なお仕事ですか? 僕がここに決めたのはワードでの文書作成というところが楽で良いかなと言う理由だったんですが、さすがにこれを三五年間も続けろっていわれたら死にたくなりません? じゃあなにがやりたいのかっていったら特にないのですが、これはサラリーマンの息子であり、大学受験を人生の目標に掲げてしまった人間の定めですね。
僕、人生の時間計算をしたんですよ。まず、最低週四○時間は会社で人生を過ごすことになるわけです。さらに出勤時間が往復三時間。朝の身だしなみや帰りのつきあいなんかで、二時間はとられるでしょ? そうすると一日に
一三時間=(最低労働時間八h)+(通勤三h)+(出社支度時間他二h)
もとられるわけです。それで一日ぐったり疲れて八時間睡眠じゃとても足りないけれど、それ以上寝てられないから、一日二四時間中八時間は寝る。すると、
一六時間=(一日二四h)ー(睡眠八h)
が行動時間な訳です。その中の一三時間を労働にとられる。つまり、
一三h÷一六h=八一%
何と、人生の八○%以上を労働にとられているわけです。これが人間の本来生きるべき人生なんですか? そんな人生に生きる価値があるのですか? 人生をお金に換金しているだけなんじゃないんですか? これが僕がサラリーマンをやりたくない、できない理由です。
うちの課は六人いましたけど、二六歳の人が平、三八歳の人が主任、あとはみんな課長でした。技術課長だの、専門課長だの、冴えないおじさんばかり。退職まで勤め上げても行く末があんなんじゃ死にたくなりますわ。
そううつ病だから体力が持たないということは大きかったです。普通の人ができることがつらくてつらくて仕方ない。そもそもサラリーマンって体力がいりますよ。普通のようでいて彼らはすごい。僕もそううつ病じゃなかったら普通のサラリーマンをやれていたのかな。
同い年で弁理士試験に受かった人がいました。在学中から勉強していたらしいですが、片方はただの平社員、もう片方は弁理士。社内組織的には「部長補佐」です。二五歳の若さで。そして彼はかっこよく、給料にも弁理士手当なるものがつく。これは一生彼には追いつけない。この時点でももうやめようと思っていました。
この不況の中、新入社員を二○人もとる中小企業ってあるんですか? そして僕を筆頭に同期が知っている限りで三人やめました。そういうものなんですか? どうも労働条件が悪いせいでやめていく人が多い気がします。中途で入った人三人が三人ともやめてますからね。他の職場を知っている人がやめると言うことは労働条件の悪さを感じたからなのではないでしょうか。だから大量補充せざるを得ないと。
仮採用の三カ月間中に自殺未遂をして入院してしまったので、本採用は取り消しになりました。本部長は僕の体調を気遣って、「仮採用期間をのばしてあげようか?」などと言ってくれていました。だから僕は入院した日、七階建ての最上階の病室の窓からすがすがしい景色を見ながら、「これで公に休める。しばらく入院したらまた働けるだろう」と思っていたんです。
ところが母が人事部の人から「他の仕事を探されてはいかがか?」と言われたのを僕に伝えてきた。そんなバカな。と言っても会社もわざわざ病人を雇うわけはないのですが、すっかり復職できるものだと思っていました。さすがにショックでしたね。
よくわからないんですけど、社会保険証を使って病院にかかれば、その情報は会社にも行くのですか? 入社してすぐ社会保険証で病院に通っていたので、入院は関係なく不採用が決定していたのかもしれません。
ほんと、毎日スーツ来て、朝早く起きて、満員電車に揺られ、三○年も先のことが想像ついてしまうような環境で、よく毎日会社に通えるなあと思います。でも僕もほんとうはそれがしたかったんです。普通の人生を歩みたかったんです。だから皆さんをうらやましく思っています。サラリーマンはすごい!
障害者年金をもらっているくらいですから、労働は多分免除されるのでしょう。経済的には人並みの幸福は諦めなければなりません。ただ、義務的労働をしなくて済むので、軽いアルバイトをしたり、ボランティアをしたり、趣味に生きたり、やりたくないことは回避できると思います。