エッセイ156「バイクのレーサー」 | あなたのココロ、治します。

エッセイ156「バイクのレーサー」

 高校は進学校だった。誰もが何も疑わずに勉強を熱心にしていた。落ちこぼれの遠吠えなのだろうが、僕はそういった姿勢に懐疑的だった。大学へ行こうとも思っていなかった。バイクのレーサーになる、と親に話したことがある。

父はひどく怒った。なぜバイクのレーサーだったのかよくわからない。免許も持っていない、バイクに乗ったこともない僕がレーサーになると言い出した。

結局、大学へ行ってからやってみようということになった。兄が一足早く大学生になり、バイクを買ってもらっていた。一台目は夏休みの北海道ツーリングの途中で事故に遭い、お釈迦になった。二台目を買ってもらっていた。兄がバイクに飽きて僕がそのお下がりをもらった。それがひどいハズレバイクだった。

フレームが歪んでいて、バッテリーがしょっちゅうだめになって、エンジンをかけるのにキックスターターを五十回は蹴らなければならなかった。バイクのレーサーなんてなりたいなどとはもう思わなくなっていた。バイクをあまり好きになれなかった。

 そんな僕も半ば親の強制で大学一年の時に北海道一周ツーリングをさせられた。富良野あたりを走っているとき、事故にあった。僕が直進車で、相手が右折する二トントラックだった。直進車を待ってくれているのかと思ったら急に右折し出した。急ブレーキをかけるも止まらずに時速八十キロでトラックと正面衝突した。僕は右膝を強打し、痛さのあまりもんどり打った。救急車が駆けつけ、病院に入院した。診断は靱帯を伸ばしたとのことだった。

東京から父が飛行機に乗ってやってきた。びしっとスーツを着てきた。相手に舐められないようにとでも思ったのだろう。結局、僕はたったの三日間入院しただけで父と東京に帰ってきた。バイクはフロントのサスペンションが折れるほどのダメージを受けていた。行き帰りの飛行機代、バイクの修理費などをすべて相手に負担させた。農家の人らしくあまり危機感を感じていないようだった。

 夏休みは北海道に住んでいる人にとってはいい迷惑だろう。全国からツーリングライダーが集まってきて、経済効果はあるのかもしれないが、交通事故が絶えないのである。

 その後、僕はバイクに乗るのが恐くなってしまってあまり乗らなくなった。しかし彼女がバイクの後ろに乗るのが好きで、その時住んでいた成城から吉祥寺までバイクでおいしいラーメン屋に食べにいったりしていた。そんなバイクも引っ越しと同時に売却することになった。電話帳で買い取り業者を調べて電話した。電話では十四万円で買い取ってくれるといっていたのだが、実車を見て、三万円ほどにしかならないといわれた。バイクがうっとおしかったので買い取ってもらった。

バイクに未練はない。レーサーなどにはなれなかっただろうし、なれたとしても事故を起こしてけがをしたり死んでしまったりしていただろう。運転が下手だった。教習所では試験の時にバイクを倒してしまい、一発合格はできなかった。ヘルメットをかぶるのも窮屈でいやだった。親のいうことは聞いてみるものである。