エッセイ105「働かざるものの長い一日」
今朝の三時から今日は始まりました。エキサイトのチャットにはまりましたね。やってる最中は面白かった。結局九時まで、六時間もやってたのかな。恋の相談室という部屋に入って大阪の二二歳の女の子の話を聞いていたときは楽しかった。しかし途中で口論が始まりそうになったので部屋を出て、別の相談室に入った。ここで僕は「精神病で働いていないけど彼女が欲しいです」といった。そうすると「精神病だなんて甘えだ」とか、「働け」とかいわれて、部屋を追い出された。別の部屋でそのことを話すと「逃げるのもアリだ」という僕の主張を支持してくれる人もいて、罵声を浴びせる人たちは去っていった。ここであつくなったら負けだなと思って冷静さを保った。「あんた、芯強いね」とお褒めの言葉を支持者からもらった。でも僕の考え方はやはりマイノリティーらしい。自分でも片寄っているのはわかってるけど正論でこちこちの人も多い。あと、朝の七時八時にチャットやってる人ってちゃんと社会生活おくってんのかいなと思った。結構いるのだ、朝までチャット、朝からチャット。結局口論には勝ったけど、もともと僕は口論・議論・喧嘩が大嫌いで、後味は悪かった。なんて人間って醜いんだろうって、人間嫌いに拍車がかかってしまった。しばらくチャットはしたくないと思う。恋愛モードも何だか醒めてしまった。もともと漠然と恋愛したいんじゃなくて、cさんと付き合いたいっていう話だったのだ。cさん問題が解決したので恋愛問題ももうどうでもいいのだ。せっかくエキサイトとヤフーのチャットをお気に入りに入れたのに削除しそうな勢い。でもまたやるかも。時間潰れるし。眠れない夜はチャットがいいのかも。あと、ヤフーパーソナルズで相変わらずメールを一通もいただいてないんですけど。三○人くらいには出したと思うんだけど。写真が悪いのかな。写真出すのやめようかな。
今日は一日が長い。そのあと一○時くらいから庭仕事をはじめた。外で働いていない分、庭仕事をすることで家族にお詫びしているつもり。いつもは気持ちいいのに今日は嫌々だった。「労働っていやだな」と思った。働かざるもの食うべからずっていうから僕は食わない。餓死する。そこまでぎりぎりにならないとたぶん働かない。そこでも働かなくてほんとに餓死するかも。実際、年金もらってるから餓死はあり得ないんだけど、新宿中央公園のダンボールハウスの中で餓死する自分をよく想像する。その生き方で良いと思う。
なんでこんなに労働嫌いなんだろ。対人恐怖症があるからかな。小説家になる才能があったらそれでしか食っていけないと思う。SOHOとかしかできない。SOHOすらできない。年金がきれたら僕マジでやばいかも。そうしたら兄ちゃんがきっと助けてくれちゃうんだな。でもやっぱり兄ちゃん夫婦には迷惑かけたくないよね。まあ六五歳まで病人でいれば年金が下りるし。そのためにはいい診断書を書いてくれる今の医者が大切になってくる。幸か不幸か遺伝的要素が強く、再発率も高い病気だから一生なおんないかも。それが幸せかな。健康になっちゃったら働かなきゃいけないもんね。
結局午前中で仕事が嫌になってやめたんだけど、午後になってやることがないし、母も働いていたからやることにした。細かい仕事はダメですね。庭の木の枝切りをやったんだけど切るのはいい。でも切った落ち葉を拾って捨てるということがうつになる。適当にすませてひとりで上がってシャワー浴びちゃいました。特許事務所に勤めていた頃もうつになってたなあ。どーでもいい仕事にしか思えなくて。対人恐怖のストレスも大きかった。あのときの強いイメージがあるから労働に変に反応するのかも。
お風呂に入りながら考えました。結婚しないで子供も作らない僕の生活は恐ろしいほど退屈で長く感じられるんだろうなあと。無期懲役みたいなもので。飼い殺し。普通の人なら人生に各ステージがあるから忙しく過ごして気がついたら老後になっているんだろうけど、僕の人生はこのままずっと後五○年ですからね。ある意味地獄ですよ。長い一日でした。今日も充実していて幸せです。