連載短編小説『それでも人生に』 10 | あなたのココロ、治します。

連載短編小説『それでも人生に』 10

三ヶ月間に及ぶ研修が終わり、講師が飲み会を開いた。その夜に死ぬことを決めていた私はまたやけくそになって飲んだ。夜遅くなるので紀子のマンションに泊まることになっていた。彼女のマンションの最寄駅に着くと私は「さあ、何処で死んでやろうか」と町をフラフラと歩いた。外は小雨が降っていて悲壮感が一層増した。私は締めていたネクタイを解いて手に持った。それで首を吊るために公園へ向かった。

公園は予想以上に明るく人がちらほらいたので、イメージしていた木の太い枝にネクタイを縛って首を吊るということができなかった。そこでトイレの個室に入ってみた。ドアの内側には荷物を掛ける為のフックがあった。それにネクタイを掛けることにした。ネクタイを環状に結んで首に掛け、もう一端を高い位置にあるフックに掛けるべくドアの上端をつかんで体を上方に持っていった。ドアの上端を掴む両腕が激しく震えた。「ほう、これから死のうとする人間でも死が怖いのか」と思った。ネクタイをフックに掛け終え、両腕を少しずつ伸ばしていった。痛く、苦しかったが両腕を伸ばし続け、全体重をフックに掛けた。フックはそこで折れた。

上がった息を整えながらトイレを出た。疲れたし、何だかしらけてしまった。自殺ごっこをしている様に思えてきたので自殺企図は止めることにした。紀子のマンションに行きたくなったので携帯に掛けてみると

「今、カラオケ屋でお姉ちゃんと大悟さんの三人で歌ってるの。良かったら来ない?」誘われるままにフラフラと歩いて向かった。そして「今さっき首を吊ってきました」などとばれない様にただの酔っ払いのふりをして楽しそうに大声で歌った。本来きちんと音程と声質を合わせて歌うのだが、この夜は自分でも珍しいくらいやけくそになって下品に歌った。

 紀子の部屋に着いてベッドに仰向けになった。紀子に隠し事はしないし、話を聞いて欲しかったので少し前にして来たことを話した。紀子がそれを聞いてどう反応したかは覚えていないが、心配性の彼女は取り乱していたかも知れない。隣の部屋にいる姉カップルに聞こえていたかも知れないがそんなことはどうでも良くなっていた。紀子と姉は二DKのマンションに住んでいて隣の部屋とはドア一枚で仕切られているだけだった。紀子と姉はとても仲が良かったが私はいい年をして親の仕送りで遊び回っている姉の生き方には共感できなかった。だから交流も少なく、ましてや大悟については二人とも人付き合いが下手だったので話すことはほとんどなかった。

彼女の部屋に泊まった翌日はちょうど二週間に一度の外来通院の日だった。私は精神科に大学一年生の時に一年半と、四年生からその時までの一年三ヶ月間通っていた。医者の田中に前日したことを話した。田中の診療を受けるのは初めてだったが患者の話をきちんと聞いてくれる感じのいい医者だった。

「お医者さんに患者の命を保証してもらうほどの責任はないとは思うんですが」

「うん、確かに私もそう思いますよ。だから無理矢理生きろなんて言えないし。ただ、このままではいけない。私は入院するか薬を替えることを勧めます」

「以前他の病院で入院して特に良くなった感じもしなかったので薬を替える方向でお願いします」また、私がまだ自殺する意思を持っていることと家に百錠ほどの睡眠薬を持っていることを話したので、田中は私の母親に

「息子さんが自殺する意志がある様なので睡眠薬を没収して下さい」と電話をした。没収されなかったら睡眠薬を飲んでいたかどうかは分からない。前回は向精神薬二百錠で死ねなかった訳だし、現在の睡眠薬は何錠飲んでも死ねないと聞いている。それに「自殺する意思を持っている」と話したが自殺企図する気力はもうなかった。「お先真暗で死にたいくらい辛いです、私を救って下さい」そんな気分だった。

家に帰ると母親が心配そうな顔で出迎えた。

「死のうなんて考えるな」と兄は厳しい口調で窘めた。父親が二年前に死んでからは兄の発言は絶対的だった。普段は優しく明るく人の為になる行動ができ、常に前向きな考え方ができるといった、私とは百八十度正反対な性格を持っている人だ。母親に似ている為に頭の悪さも受け継いでいた。私は父親の暗さと神経質、母親の頭の悪さという両親の悪いところばかりを受け継いでしまった。兄も私も頭は悪かったが兄は物事をいい方向に考えられたのでなけなしの能力をきちんと引き出せていた。

月曜日は体調不良を理由に会社を休んだ。火曜日に母親と話し合い、やはり入院することになった。