マイストーリー

 

1、両親のこと:セルフイメージ地下女の母もまた地下女だった件

 

2、幼少期の頃:セルフイメージ地下女ができるまで →今ここ

 

 

 

”ノミでゴミでクズ”のこどもとして育った件 

 

 

 

前の項では、

父親がいかにクズ男だったか、について

 

ありのままに書きましたが、一応父の名誉のため書いておくと

 

機嫌のいい時の父は、とっても優しい人でしたチュー

 

子どもより子どもみたいで、無邪気な可愛い面もありましたグラサン

 

 

父はよく、自分のことを語る時には

 

「おれは、町のノミでゴミでクズやから〇〇なんや」

 

と、満面の笑みとセットでこの3拍子をつけてから

 

自分のことをよく話してくれましたニヒヒ

 

 

元々チンピラだった父の右肩には

 

立派な龍と金太郎さんの絵がありました。

 

刺青があると、一緒にプールに行けなかったので

 

幼いながらに、

 

「みきが消しゴムで消したるわ」

 

意気込んで、父親の肩の桜吹雪を消そうとしたこともありましたデレデレ

 

 

母親からは

 

「人に笑われるから、刺青のことは言ったらあかんで」

 

と言われ、

 

自分のお父さんは

 

周りのお父さんとはちょっと違うんだってことは

 

理解していました。

 

 

小さなころから、人には言えない秘密があると

 

人は弱くなるらしいと言うことを

 

心理学を学んで知った時には驚愕でしたポーン

 

 

 

 

”町のノミでゴミでくず”で、

 

人様には言えない

 

刺青まで入れてしまった父親でしたが

 

心優しい父のことが私は大好きでした

 

(まだまだ甘えたい盛りの1歳の私)

 

 

でも、大人になってから

 

 

”町のノミでごみでくず”出身の私は

 

陽の当たる場所なんて歩いては行けない

 

人様よりも劣っているんだ

 

 

そんな風にいつしか、

 

自分のセルフイメージを地下に押し込めて

 

生きていくようになったのかもしれません笑い泣き

 

 

 

産まれてから4歳まで尼崎のアパートで

 

産まれ育ちました。

 

2歳の時に妹ができ、それからは

 

母に甘えることも、あまり上手にできない日々が

 

スタートし、

 

より一層

 

”自分が頑張らなきゃ”真顔

 

 

”母に迷惑をかけないように我慢しなきゃ”真顔

 

強化していくのでした。

 

 

こうして、セルフイメージ地下女の下地がじわじわ出来上がっていったのでした笑い泣き

 

 

 

 

 

続く