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今日は天気が良く行楽日和
ですが〜コロナ感染者増えてる

結局家の近所のお出かけへ
阿倍野神社⛩
阿部野神社(あべのじんじゃ)は、大阪市阿倍野区北畠にある神社。南朝方について各地を転戦した北畠顕家と、その父の北畠親房を祀る。建武中興十五社の一社で、旧社格は別格官幣社、現在は別表神社となっている。
北畠 顕家(きたばたけ あきいえ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代の南朝公卿・武将。『神皇正統記』を著した准三后北畠親房の長男。主著に『北畠顕家上奏文』。南朝従二位権中納言兼陸奥大介鎮守府大将軍、贈従一位右大臣。
後醍醐天皇側近「後の三房」のひとり北畠親房の子として、前例のない数え14歳(満12歳)で参議に任じられて公卿に登り、建武の新政では、鎮守府大将軍として義良親王(後の後村上天皇)を奉じて陸奥国に下向した(陸奥将軍府)。のち足利尊氏との戦い建武の乱が起こると、西上し、第一次京都合戦で新田義貞や楠木正成らと協力してこれを京で破り、九州に追いやった。やがて任地に戻るも、尊氏が再挙して南北朝の内乱が開始するに及び、再びこれを討とうとして西上し、鎌倉を陥落させ、上洛しようと進撃した。青野原の戦いで幕将土岐頼遠を破るが、義貞との連携に失敗し直進を遮られたため、転進。伊勢経由で迂回して大和などを中心に北朝軍相手に果敢に挑むも遂に和泉国堺浦・石津に追い詰められ、石津の戦いで奮戦の末に幕府執事高師直の軍に討ち取られて戦死した。享年数え21歳(満20歳)
本殿
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