2年半ぶりの日本にいます。

今日は鑑定士ではなく
ひとりの人間として

6月29日に父が
食道癌により帰らぬ人となりました。
65歳。
以下記録も含め。

癌が見つかったのは
5月1日

2ヶ月経たずに
亡くなりました。

癌関連の動画をみていても
中々2ヶ月で亡くなったという
コメントを目にすることはありません。

でも
癌発覚後から
毎日電話をして
顔を見ていましたが
ほとんど喋れない、食べられない
痛い、とにかく痛みがなくならない
という代理の母の話から

薄らとこれは
結構やばいのかもしれないと
感じていたと思います。

私は
心に穴が空きそうな気持ちで
最初から
癌終末期の動画をあれこれ
見ることに決めました。
諦めた訳ではなかったけれど
向き合え
涙が溢れても
見ておけと、
心の声が聞こえたからです。

帰国もすぐ頭をよぎりながらも
息子の誕生日やら卒園式やら
そもそも飛行機代は高く
ワクチン3回接種していない人は
1週間の自宅待機だの
色々と悩ましい事項があり
宙ぶらりんにしていました。

そんな中、
親戚たちが
遠方から父の面会に来ることになったと
母から聞いて

私のスイッチは突如オンになり
決めてから4日後にチケットを取りました。
息子の誕生日の2日後
来月に控えた卒園式は手放しました。

日本に着いたらまず必要なことは
全部義母や義父が手助けしてくれて
3歳の娘のPCR検査嫌がりで
2日ばかりロスはしたものの
実家入り出来たのは6月25日

母以外の
面会の許可は降りなかったため
30日から在宅介護を予定していました。



実家に来てからは

めちゃくちゃ気候が素晴らしくて






透き通るような青空と
暑いけれど乾燥した空気
梅雨とは思えない
気持ちよく過ごせる日々で

そんな中
少し様体が良くないからと
ようやく子ども(私)の面会の
許可が出たのは29日で

その日も真っ青な空だったので
病院から見下ろせる海は
青々と穏やかに輝き
裏に広がる山は緑深く
心地の良い風が吹き

その昼に帰って来れた兄と
私は2人で
父のいる病室に行きました。

父は酸素マスクをして
既に呼びかけても
声は返って来ませんでした。

孫は面会不可能だったので
大声で歌ったベトナム語の曲を録音で
耳元で流してあげました。
一瞬身体がビクっと動いた気がしました。



亡くなった日は新月で

通夜が終わった空には月





葬儀の日は
忘れられないような濃い青空でした。

全て終わったその夜から
雲が出てきて雨になり
台風が来たので
数日ひっそりと。

なんてベストな
タイミングを選んで
あの世へ向かったんだと
上から見ている私は思ったのでした。


お父さん
ありがとね
またいつか