こんにちは、こがね母です。
12月18日
その日も寒い朝でした。
朝の給餌トップバッターのシロが食べ終えるのを待っていると携帯が鳴りました。
Mさんからです。
なんでもユキちゃんの様子がおかしいと言います。
ハウスの中にいて、ちゅ〜るを食べないと。
そう言えば先日もOさんがシロが2日間食べていないと言っていたっけ。
Mさんが保護して病院に連れて行きたいから手伝って欲しいと言うので、私も二つ返事でユキちゃんの元へ自転車を走らせました。
ハウスの中にいるユキちゃんを引き摺り出した時、ユキちゃんは鳴いていました。
急いでネットに入れてユキちゃんを落ち着かせようと抱きしめます。
ユキちゃん、ごめんね。
怖かったね、もう大丈夫だからね。
抱きしめたユキちゃんは痩せてもおらず、ユキちゃんの温もりが私に伝わって来ました。
Mさんにキャリーに入れたユキちゃんをお願いして私は給餌に戻りました。
Mさんはユキちゃんを病院に連れて行き、そのまま自宅で保護して下さる事になりました。
私は夜の給餌の前にユキちゃんの様子を見に行きました。
私を見たユキちゃんの目はつり上がり、ピンク色のはずの鼻は白く、耳は黄色味を帯びています。
まずい。
私はユキちゃんの様子に動揺していました。
Mさんは言います。
お水は飲むけど食べないのよ。
先生が胃がからっぽだって言ってね、補液と胃腸の働きを助ける注射をしてくれたのに…
それに薄いけれど血尿が出て
どうしたら良い?
そうは言われても、ちゃんと病院にも連れて行き、処置もしてもらっています。
少なくとも水は口にしたと言うし…
このまま様子を見るしかないと私はMさんに告げました。
夏にユキちゃんを保護した時、熱中症でその時もMさん宅で療養させて頂きました。
嘘の様に眠った後、ユキちゃんはちゃんと食べてくれました。
だけど…
今回はその時とは違う。
私はそう感じました。
次の日医師に電話し、ユキちゃんの様子を伝え先生の診断を仰ぎました。
聞けば夏に保護した時より腎臓の数値の悪化が著しく、片方の腎臓は委縮、もう片方も働きがすこぶる悪いと言います。
夏の時も肝臓の数値が悪かったけれど、食べることで改善されたので、今回も食べられる様になってくれればと処置をしたとの事でした。
食べるということは生きるということそのものです。
食べなければ支障をきたします。
貧血、黄疸もその一端です。
これから先の治療はただ生かす為に行う延命治療だと私は思いました。
とは言え、医師に補液はしてあげた方が楽になるでしょうと言われ、私はユキちゃんの待つMさん宅に補液に通うことを決めました。
今のユキちゃんにとって通院は過剰なストレスになると思いました。
Mさんは看取ることになること含めて承知して下さいました。
ユキちゃんは補液中も動かず目を閉じ静かでした。
12月18日に保護し、21日にはユキちゃんは昏睡状態に入った様でした。
この時にはもう、ユキちゃんの身体は輸液を吸収出来ていませんでした。
Mさんに多分今日明日が峠ではないかと伝えました。
そして私とMさん、Oさんと3人で最期の最後までユキちゃんが苦しまず逝ける様に願いました。
命は永遠ではありません。
キジ猫ミコちゃんから生まれた白猫のユキちゃん。
推定年齢は14歳です。
頑張って頑張って生きた14年間です。
保護してからのユキちゃんはあまり動かず、目を閉じ、本当に穏やかな優しい顔をしていました。
この世に何の未練もなく、ただその命が尽きるのを待っている様でした。
12月22日
昼過ぎにMさんからラインが入りました。
ユキちゃんが亡くなりました。
穏やかなでした、と。
夜に娘と一緒にユキちゃんにお別れをしに行きました。
たくさんのお花の中で眠る様なユキちゃんがいました。
分かってはいても涙が後から後から零れます。
白猫のユキちゃんは暗闇の中でも目立つんですよね。
給餌の為に通る道に待ってたユキちゃん。
泣きながら追いかけて来てたユキちゃん。
野良猫を嫌う住宅街にあっても
たくさんの人に愛され、
たくさんの人の心に色んな思いを残して、
ユキちゃんは逝きました。
ユキちゃんの訃報を私共のブログで知った方がいつもユキちゃんが居た場所にお花とお手紙を手向けて下さっていました。
仕事帰りで疲れていてもユキちゃんがそこに居てくれて私は癒され家路につけていました、と。
ユキちゃん。
お疲れ様でした。
ありがとうね。
私達の可愛い可愛い白雪姫のユキちゃん。
ユキちゃんに出会えて本当に良かった。