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猫のボランティアさんには、助けたいと思った最初の猫がいて、活動を始めたという人が多いのではないかと思います。
私達の場合は最初と言われると何だっただろうかと考えます。
住宅街のなまりちゃん親子だったか
地域猫公園の地域猫達だったか
あるいは我が家の銀だったか
母は銀がその鍵しっぽに猫にまつわるものを引っ掛けてやってきたと言います。
真夏の暑い時期に照り返しのキツいアスファルトだらけの施設の敷地に捨てられていた子猫、銀。
血尿に不治の耳の炎症を患い、可哀想だったと言います。
保護されるまで不憫な身上にあった銀のせいで黒猫が目につくようになったと母は言って、地域猫公園のクロちゃんやら住宅街のなまりちゃん、そして小鐡の母猫やらが気になるようになりました。
銀、小鐡、モコと立て続け我が家に迎えて、もうこれ以上うちには…となった時、里親探しを考えるようになりました。
今みたいに保護活動に詳しくなく、仲間もなく、取り敢えず踏み出してみたものでしたから、今ならこんなことはしなかったのにとか、もっとこうしてたのに、などと思うことがあります。
決して順風満帆ではなく、かわいそうな思いをさせてしまった猫達も、どうしようもしてあげられない猫達もいました。
この記事を読んでいると、多分多くのボランティアさんにそんな苦い経験があるのだろうなと感じました。
かわいそうで悲しくて苦い思い出
当の猫達にも私達にも辛い出来事
こうした積み重ねがあるから、私達は遺棄や虐待、無責任な飼育を絶対に許せません。
彼らに触れて来たからこそ、その凄絶さを、凄惨さを知り得ました。
彼らの犠牲の分だけ少しは世の中マシになっているのでしょうか。