2023.7.7

 

義母は腹水を抜いてから、

20日後にまた腹水が4リットル溜まってしまい、7月4日に抜いてもらいに病院へ行きました。

前回もそうですが病院へ行ってすぐ処置してもらえず、一泊入院になってしまい5日に退院

 

腹水はガン性腹水といって、血液の中のがん細胞が血液中の水分とともに血管から少しずつ漏れ出すそうです。

 

 

 

そして昨日の7日は婦人科の外来予約が入っているので、また病院へ

特に診察はなく、今の状態、そして今後のことを 義母、夫、私の3人で先生のお話を聞きました。

 

3年くらい前に建て直されたがんセンター 綺麗です

 

 

「子宮体がん再発の腹膜播種

治療としては抗がん剤になりますが、ご年齢もあり(87歳)  ご本人様からそれはやらないという希望で、今後は辛い症状が出たらそれを取り除いていく症状緩和をするということになりました」

 

女性の主治医は優しい笑顔で柔らかい口調で「腹膜播種」というので、大したことはない病気に聞こえます。

でもそれがどんなに怖い病気か。お腹の中に小さい種を撒くようにがんが広がる病気です。

 

血液検査でカリウム値とクレアチニン値が高いので、血管内が脱水症状になっていると思われるそうで、本来なら点滴で脱水症状を治すのだけど、その水分が血管から漏れ出し腹水となってしまうので、それらの値を下げる治療はせず経過を見ていくそうです。

 

腎臓機能も低下していて、尿の出が悪く、トイレに行ってもタラタラしか出ないと義母は言ってました。

水分が腹水にとられてしまうからだと義母は言うけど、実際は腎臓が悪くなっているせいかもしれないし、どうなのかわかりません。

 

腹水を抜く治療も回を重ねると、ものすごく疲れが出て動けなくなってしまったり、体が弱っていくので、義母の年齢だとそう何回も出来ないそうで、今後はモルヒネなど強いお薬を使って、腹水の苦しさをあまり感じないようにしていく、というようなお話もありました。

 

えつ!痛み緩和でなくてもモルヒネを使うって・・・と

驚いたけど、優しい笑顔、柔らかい口調で言われると、またもや大したことないように聞こえてしまう。義母もそんな風に聞こえるのか「はいはい」と、うなづきながら説明を聞いているようでした。

 

次回の外来からは、婦人科から緩和科に変わるそうなので

今後は緩和科の先生と相談して症状緩和を行っていきますと言うことです。

 

余命の宣告はされていませんが、

義母はもう終末期になのかなと改めて思いました。

 

 

義母の家から、がんセンターまで車で40分

スープの冷めない距離に住んでいる義弟夫婦がいるので

3ヵ月に一度の外来日には義弟のお嫁ちゃんが義母を病院へ連れて行ってくれてました。とてもよくやってくれるお嫁ちゃんで頭が下がります。

 

でもこう、がんセンターに行く機会が増えると、お嫁ちゃんに頼ってばかりはいられず、みんなの協力が必要になります。皆んな仕事をしているので調整が必要で、正直結構大変です。

 

 

私は、義父が肝臓がんに罹患して亡くなるまでの3年間、

義父が最期の日まで、義父に気遣いなどなく自分中心で冷たかった義母が忘れられません。

 

義父が元気な頃、よく義父と夫と私で旅行しました。

義母は「お金を積まれても行きたくない。家でテレビ見てた方がいい」の一点張り。

 

なので、私は80歳を過ぎていた義父のお世話役で同行。

義父はアジアの寺院を見るのが好きで、タイ、ベトナム、カンボジア、アンコールワット、台湾などへ行きたがり、お供しました。

綺麗な景色を見ると、義父は「お母さん(義母)にも観せてやりたいなぁ」とよく言ってました。

 

私は、そんな義父が義母を思いやる、良いところしか見てなかったのかもしれない。

義父と義母の間に何かあったのかもしれないけど。。。

 

 

入退院を繰り返していた義父が、入院すると

義父は義母に来て欲しくて「お母さん家から病院までタクシーでいいから来てよ」とよく言ってました。

 

でも義母はたまに義弟がお見舞いに来る時に一緒に車に乗ってくることはあっても、一人で見舞うことは一度もなかったです。

 

術後辛い時や、せん妄がが出てしまった時、看護師さんから個室は泊まれるので付き添ってほしいとお願いされても

「いくらお金かかってもいいから付き添いの人頼んでください」と言い、泊まることはなく、見兼ねた、私や夫、義弟が泊まることになったり。

 

義父が危篤、もう危ないと病院から呼び出しがあった時も

個室の隅に座り、ほとんど義父のそばに行かなかったし、

飼い犬にご飯をあげに急いで行って戻ってくるから、という義弟夫婦に義母もついて行ってしまうし。

 

いくらなんでも

 それはないんじゃない気づき

 

と思うことばかりでした。

 

 

私にも意地悪だったし、

だから私は義母に対して心底からの同情心や優しさを持つことは難しいです。