今、私は59歳です。
実は20歳の時に卵巣腫瘍で手術をしたことがあります。
1982年(昭和57年)の出来事です。
当時の私は銀行員3年目で日本橋で働いていました。
先月まで普通に生理があったのに、突然生理ではないチョコレート色の出血があり、変だなと思いながらも婦人科にはなかなか行けずにいました。
そんな不正出血が半年続いて、ようやく意を決して、姉が出産した産婦人科へ行ってみることに。
そこでは「卵巣はなんでもないけど、お腹が膨らんでいるから
内科へ行ってみた方がいい」と言われました。
姉に相談したら、どうせ行くなら大きな病院がいいんじゃないと言うので、中学からの友達が慶應の看護学校へ行っているので、そこで診てもらおうと連絡したら、「日本橋に勤めているんだから、通いやすいように御茶ノ水の東京医科歯科がいいんじゃない」と言われたので行ってみることにしました。当時は紹介状がなくても、行けば誰でも診てくれました。
当時は改装前で手前の古い建物でした↓↓↓
術前は、巨大卵巣囊腫という診断で、腹水も溜まっているとのことでしたが、手術して開けてみたら腫瘍の一部がガン化していることがわかり、術後家族は小部屋に呼ばれて「余命3年」と告げられたそうです。
当時は「ガンは本人には隠す」時代でした。
術後、抗がん剤をやりましたが まだ若いので予防のための治療としか告げられず 当時の抗がん剤は髪の毛が抜けることもなかったので、言われたことを信じていました。
(同じような点滴をしている人はいましたが髪の毛が抜けてる人は当時はいなかったです)
週に一度、火曜日に点滴を6本 尿道カテーテルをしながらです。
朝9時から点滴が始まり、1時間に点滴500mlを一本落とす速さで入れていきます。
午前中は尿道カテーテルの違和感で鳥肌が立つほど気持ち悪くて、お昼くらいになるとマヒしてくるのですが、今度は恐ろしいほどの吐き気が襲って来ました。当時は吐き気止めなどないので大変でした。空腹での吐き気、胃液を吐くのはとても辛いし、吐いた後使ったティッシュの匂いもメーカーごとに違いが分かってしまうほどで、余計吐き気がしてしまうメーカーのものや匂いがそれほどキツくなくなんとか大丈夫なものもあったり、当時自分にはクリネックスが一番良かったです。
今のようにステージとか抗がん剤何クールなんて言葉のない時代です。
抗がん剤4回やって、その副作用で肝機能の数値が爆上がりしてしまい
2週間休んで
今度は、1日6本の点滴を二回に分けて 3本ずつを4回やって、抗がん剤の治療は終わりになりました。
(抗がん剤後半からしばらく数年経っても点滴台を見るだけで吐き気がしてました。)
主治医が女医さんだったということもあり、この若さで卵巣も子宮も取ってしまったら相当なショックを受けると言って、右の卵巣の一部と子宮を残してくれました。
なので、子供に恵まれることが出来ましたが
意外にも妊娠しやすくて、出来やすいタイプなのかなと思うほどで、とてもびっくりです。
とはいえ
手術して結婚するまでは、電車で子供も抱っこしてるお母さんを見ると、私はこんな風になれないかもと、悲しい気持ちになったりもして
心がざわざわして辛かったです。
今、乳ガンになってみて、今時の治療の仕方を思うと
その当時の私が今なら、もっと治療大変だったように思います。
卵巣と子宮どころか、隣接する腸や大網なども切除されていたかもしれないと思うし、抗がん剤ももっとたくさんやったのではないかと。
というのは、卵巣腫瘍と腹水含め取ったものが12キロもあったんです。
当時54kgの体重が術後歩けるようになって測ったら41kgになってました。
三つ子が入ってたお腹のようで、そんなに大きなガンだったのですから。
そんなことがあったけど、
幸い転移も再発もなく今に至ります。
不幸中の幸いだったのかもしれません。
でもまた
今度は乳ガンになってしまって 幸いとも言えませんね。