ずいぶん前からこのブログの下書きはしていました。

時々、ふとしたきっかけでこのイジメという壁に出くわします。

『Cosmosphere』の達也さんのブログを見て・・
やっぱり色々と考えてしまうわけです。
達也さんのこのブログを読んで・・
私とすっごく似てると思いました。
両親に対する考え方は少し違うけれど、なんだか私が言いたいこと、全部言ってくれてるみたいな・・

これまでにも何度か自分が子供の頃に受けたイジメについて、こちらのブログに書いています。

だから改めて書こうとすると、内容がダブることもあると思いますが。

まずイジメられている人がよく言われること。
しかも良識ある大人や、どこぞの著名人が、さも偉そうに・・

◾イジメられる側にも原因がある
◾何も言い返さないのが悪い
◾いつまでも(大人になっても)、過去      にとらわれるな

これ絶対に禁句だと・・
個人的には思います。
とくに酷いイジメを受けていた人ほど、これらの言葉に苦しめられます。

イジメられる側にある原因?
小中学生がイジメる原因なんて、容姿がほとんどに決まっています。
自分の努力でどうにかなる問題ではありません。

目が小さいだとか、鼻の穴が大きいだとか、ほくろが多いだとか、髪の毛の色が違うとか、天然パーマだとか、唇が分厚いだとか・・
デブだとか・・
女の子だったらブスとか・・
男の子だったらブタとか・・

例を挙げたらキリがありません。

私の場合は・・
記憶に残っているいちばん最初の記憶は幼稚園の時

送迎バスで通園していたのですが、ある日突然、靴を隠されました。
帰りのバスの時刻に間に合わず、近所の子たちと一緒のバスに乗ることができませんでした。

私の年令は、いわゆる団塊ジュニアと言われる世代にギリギリで入っています。
だからかも知れないけれど、近所には同級生が6~7人もいました。
みんな徒歩10分もかからないようなご近所さんです。

ほぼみんな同じ幼稚園に通園していて・・
だからバスが園児を乗り降りさせる場所には、それぞれの親御さんたちが集まっていたのですが・・

いつものバスに私だけが乗っていなかったわけです。
当時、携帯電話などもなく、
いつものバスが到着した時に、母親は別のルートを回るバスに乗ってくると聞かされたらしいです。

でも、たぶん理由は聞かされていなかったと思います。

肝心の靴は保育士さんたちが探しだしてくれました。
女子トイレの個室の中に隠されていました。

今だったら問題視されるのかも知れませんが、当時は幼稚園の先生からも親からも何事もなかったようにスルーされました。
 
たぶん母親はこんなこと、覚えていません。
私は何十年経っても忘れられません。

小学校に上がり・・
まずは近所の同級生たちからイジメのターゲットにされました。

原因はいまひとつ覚えていません。
しいて言うなら、犬が苦手だったことくらいです。

私が犬が嫌いなことを知っている同級生が、飼い犬だったのか野良犬(当時は野良犬がいました)だったのか・・
犬をわざと私に押しつけたり、私が逃げると犬をけしかけて追いかけさせたり・・

そんなことから始まり・・
小学校1年生の時に、受けたイジメは今でも鮮明に覚えています。

下校時に近所の同級生たちが、どぶ川(いわゆる用水路?排水路?)に突き落とそうとしてきたり・・

ランドセルを石でガリガリ引っ掻いて、傷つけられたり・・

この原因は私が本皮製のランドセルだったから・・
まわりの同級生たちはほとんどの子が、当時流行していた「クラリーノ」という合成皮革でできたランドセルでした。

本皮と合成皮革では質感はもちろん、ツヤ感などの見た目がまるで違います。
たぶんかなり目立ったのだと思います。

親は良かれと思って高いランドセルを買ってくれたのかも知れませんが・・
私にとっては苦痛以外の何物でもありませんでした。

しかも本皮は引っ掻き傷が簡単につきました。
下校時、毎日のようにランドセルを石で引っ掻かれ・・

1週間も絶つか経たないかの内に、赤かったランドセルは真っ白になっていました。

さすがに当時のランドセルは無いので、似たような画像を探しました。

まさにこれに近い・・
いや、もっと真っ白になるまで傷つけられました。
_20190516_045806.JPG
_20190516_045845.JPG
当時、母親は一度だけ「どうしたの?」と聞いてくれた記憶がありますが、私は話せませんでした。

イジメのリーダーが、私の家の向かいの女の子だったのです。

小学校1年生の1学期。
周りの子たちはみんな、まだまだピカピカのランドセル✨

それなのに・・
私のランドセルは無惨に皮を剥がされ・・

誰がどう見ても『変』なことは明らかです。

だけど、先生は誰も聞いてこなかったし、母親も一度聞いたきただけでした。

私は自分が惨めに思えて仕方がなかったです。
どうして私の親はみんなと同じような丈夫なランドセルを買ってくれなかったのだろう・・
そんなことばかり考えていました。

やがて削るところはなくなり・・
今度は消しゴムを盗られるようになりました。

消しゴムを盗んでいた子も、私の家の向かいの家の子でした。
最初の1~2回は分からなかったけれど、さすがに4回、5回と続けば分かります。

朝、登校して教室の中へ入り自分の席へ。
ランドセルの中身を机の中にしまい、ランドセルは教室の後ろにあったロッカーへ。
その時、いつも私のすぐそばにいた子が向かいの家の子でした。

のちにその子の家へ上がった時に、私の消しゴムが大量に入っているクッキーの缶を見つけてしまいました💦

この時の母親も、酷かったです。
初めて消しゴムを盗まれた日のこと。
「消しゴムをなくした」という私の話を信じて、新しい消しゴムを用意してくれました。

ところがこれが何日も、毎日続くのです。
母親は最初の2~3回は「また、無くしたの?」と言いながら、新しい消しゴムを用意してくれました。

でも・・
これが3回、4回、5回・・
と連日のように続き・・
最終的に盗まれた消しゴムの数、
最低でも20個は盗まれたと思います。

それなのに・・
母親は私を責めるようになりました。
「また無くしたの!」
「いったい、どうしてそんなに無くすの?」

今思うと、母は本当に無くしたと思っていたのだろうかと・・
不思議に思えて仕方がありません。
常識で考えて、毎日のように消しゴムを無くすなんてあり得ません!

最終的に母は、消しゴムを半分に切って渡すようになりました。
「どうせなくすのだから半分でじゅうぶんだ」と言うのです。
小学一年生の私には、かなりショックな言葉でした。

でも消しゴムを半分に切って持って行くようになったら、毎日のように盗んでいた子が飽きてきました。
(半分の消しゴムに興味がなかったからでしょう)
やがて消しゴムは盗まれなくなりました。

その後も5・6年生の時には、クラス中の男子から『カバ』と呼ばれ・・
私は男性が嫌いになりました。

この男性嫌い(苦手意識)が解消されたのは、なんと25歳になってからです。
きっかけをくれたのはLUNA SEAですが、そこまで書き始めると長くなるので止めておきます。

そして中学校へ
中学生になったからといって、何が変わるわけでもなく・・
むしろ、さらに生きづらくなりました。

地元の子供たちが小学校から中学校に上がるのだから、当たり前といえば当たり前の話です。

小学校で私をイジメていた男子は、ほぼ私と同じ中学校へ上がりました。
すると今度は男子だけではなく、女子からも無視されるようになりました。

小学生の時は数は少ないけれど、同じクラスの中には、私の味方をしてくれる女子がいました。

ところが中学生ともなると、男女間で恋愛感情なども絡み始め・・
気がつけば、 クラスの全員から無視されるようになりました。

学校生活を送っていると、グループ分けをしなければいけないと言う場面に度々出くわします。
何をするにもグループ分け。
体育祭、文化祭でのグループ分け。
遠足、修学旅行、給食の時間。
その度に私は最後の一人になります。

すると教師は無情なことをやってくれます。
なかなか私が入るグループが決まらないと、なんとそれぞれのグループの代表者にジャンケンをさせて、負けたところのグループに私を入れなさいと言うのです。

給食の時間になると、周りのみんなはグループごとに机を並べ始め・・
私はといえば、一人前を見ての食事。
私がたまたま教卓の正面の席の時もあったりして・・
担任の教師と向い合わせで給食!

こんな情況を担任の教師が気づかないわけがありません!
それでもやっぱり教師は気づかない振りをする・・

そんなこんなで、小・中学校をなんとか卒業。
(中学生の頃から、死にたいと思うようになりました)

高校は中学の担任教師の薦めで、敢えて遠方の高校へ。
これもまたある意味理不尽なことだと思います。
なぜイジメられていた側の人間が、追いやられなければならないのか。
イジメていた側の人間には何も不利益なことがないという現実。

高校生活・・
もう既に、時遅しといったところでしょうか。
小学校、中学校で上手くやってこれなかった人間が知らない人だらけの高校へ来たところでなんの解決にもなりません。

そもそも友達が作れないんですから。
高校の3年間はイジメられることはなかったけれど、その代わりなんの楽しみもない、勉強も身に入らない・・
ただ通っていただけ

そして社会人へ・・
人見知りで、人間不信で、コミュニケーション能力が低く、超ネガティブ人間の完成。

このあと、まだまだ負の連鎖は止まらず・・
本当に書き出したらキリがありません。

どうしても無性に書きたかっただけです。
下書きはずぅ~と前から温めていたので、そんなに加筆する必要はありませんでした。

こんなブログを書いたところで、なんの役にも立ちませんが・・

なぜ私が物事を悲観的に捉えてしまうのか、なぜこんなにもひねくれ者なのか・・
知ってもらいたい方たちが、現れたからです。

知ってもらってどうこうということはありません。
ただ私が勝手に知ってもらいたかった、ただそれだけです。