独白などという大層なタイトルですが、『独白』=『一人言』です😅
しかも長いです💧
さらに『LUNA SEA』の話題、出てきません💦
さらにさらに・・
とてつもなく暗く、ちょっとやそっとじゃ救いようのないお話なので。
目にしたくない方はスルーでお願いします🙇
今日は一日中、調子が悪くて家でおとなしくしてました。
朝食だけ夫と一緒にファミレスで済ませましたが、そのあと私は帰宅。
夫は遊びに出かけてゆきました。
一昨日の夜から花粉症のような症状が強くなってきて・・
昨日、今日とクシャミやら鼻水やら鼻詰まりやら・・💦
症状がマックスです😱
世間ではそろそろ花粉のシーズンは終わると言われているのに、なぜにこのタイミング?💧
さらに昨日の夕方からは症状が追加され・・💦
動悸がひどくなるわ、今朝からは下痢が続くわ、熱っぽいわ(測ると36.8くらいしかない)、喉が痛いわ、鼻の奥が痛いわ、かすかに頭は痛いわで・・😵
明日は仕事なのに大丈夫なのだろうかと思いつつ・・
とりあえず下痢を止めたいので、昼食と夕食は抜きました。
ちゃんと水分は補給しています。
明日は出勤できる人が少いらしく、10連休に入る前日まで出勤できる人を募っていたくらいなので、恐らく人手が足りないと思われます。
下痢さえ止まってくれれば、なんとでもなるんですけど。
今日になって花粉症の症状ではなく、もしや風邪?と思うようになりました。
この時期、風邪だか花粉症の症状だかなかなか判断できないんですよね💧
なので下手に薬も飲めないという・・
このわけの分からない不調。
たまたまだとは思いますが、一昨日の夕方、母からかかってきた一本の電話。
その電話の最中から、くしゃみと鼻水、動悸が出てき始めました。
1時間以上に渡ったその電話。
内容が・・😢
あまりにもマイナス志向になるような話ばかりで・・
しかも多岐に渡り・・
4月20日(頃)、私の弟のところに新たな『命』が誕生しました。
でも・・
その一週間後(4/27頃)、天国へと旅立ちました。
生まれてすぐに、お医者様から「生まれてきたこと自体が奇跡。そう、長くは生きられないでしょう」と告げられたそうです。
一昨日(5/1)の夕方、実家の母から連絡があって知りました。
詳しいことは聞けていないそうで・・
最近よく耳にする『染色体の異常』が関係しているとか。
生まれてわずか一週間で、旅立ってしまったということがあまりにもショック過ぎて・・
しばらくは、ぼーっと母の話を聞いていました。
『染色体異常』という言葉で我に反って・・
私自身は赤ちゃんを授かったことがないので詳しいことは分かりませんが、一つだけ素朴な疑問が・・
「今って、妊娠何週とかで検査があったりするんじゃなかったっけ? 先生の方から検査を受けることを希望するかどうか確認されるのか、自分たちから検査を受けたいと希望をするのか分からないけれど」と。
「あの子たちはそういうことを事前に調べるのがイヤだったみたいで、生まれてくるまで分からなかったらしい」と母が言っていました。
今回のお子さんは2人めでしたが、そういえば1人めの時も、弟たち2人の意思で、妊娠中に男の子か女の子かは調べたくない。生まれてくるまでは知らずにいたいという考え方だったことを思い出しました。
私の父親は、母から話を聞いて「そんなことは生まれる前に分からなかったのか?」という反応だったそうです。
母は「生まれる前に分かっていたら、どうするつもりだったっていうの? 生むのを諦めれば良かったとでも言いたいわけ?」と・・
少々やり合ったようです💧
でも・・
生まれる前に異常があると分かったとしても、生むのか諦めるのかは本人たちが決めることだし・・
これって人それぞれ考え方が違って当たり前で、父親と母親でさえ意見が真っ二つに別れるかも知れないのに😖
そこへきて、弟たちの両親までもが口出しするのは・・
たとえ心の中では思うところがあったとしても、口に出して本人たちに伝えるべきことではないと思います。
生まれてすぐに、もう長くはもたないということが分かったので、お医者様や看護師さんからのアドバイスもあり・・
弟夫婦とそのお子さん(3歳)と、私の母親とお嫁さんのご両親とで、生まれてきてくれた赤ちゃんと一緒に、記念写真を撮ったり、みんなで抱っこをしたり、話しかけたりしたのだそうです。
その中に私の父親は入っていません。
父の体調が悪いということは、お嫁さんも先方のご両親も知っていらっしゃることだけれど・・
体調が悪いと言っても入院しているわけでもなく、寝たきりというわけでもなく、歩けないというわけでもなく・・
せめて一目だけでも会ってあげて欲しかったです。
私がそう思うくらいだから、弟夫婦も先方のご両親も私の母もそう思ったはずです。
とにかく・・
せっかくこの世に生を授かって奇跡的に生まれてきてくれたのに、たった一週間で天国へと旅立ってしまった大切な一つの命。
絶対に忘れてはいけないし、その子の分まで周りの人たちは精一杯生きなければいけないと思いました。
こんなにも考え方が違うのかと、考えさせられた記事。
この問題だけでも大変なことなのに。
それなのに・・
私の両親と私の弟の間で、また両親の間でも、新たな問題が勃発しています😢
お恥ずかしいことに、私の弟は来月で43歳という年齢になるのにも関わらず、きちんとした定職に就いていません💦
高校を中退した後、アルバイトを転々とし、自動車の運転免許を取りたいからと言って、20歳を過ぎてから親にお金を出してもらい・・
それでも免許を取ってくれればまだ良かったのですが、教官(指導員)と馬が合わないと言って教習所も途中で辞めてしまい・・💧
さらにその数年後・・
やっぱり自動車の運転免許は必要だと気づいたらしく、またまた親にお金を出してもらって教習所通い💧
今度は無事に免許も取れて、やれやれと思っていたら。
中古とはいえ、スポーツカー(トヨタの二人乗りマークなんとかって車種💦)を購入。
そのローンも最初は自分で働いて払っていくと言っていたのに、アルバイトでそんなに稼げるはずもなく・・
結局は支払いが難しくなって親頼み。
そこへ来て1年も乗ったか乗らないかの内に、日光の『いろは坂』でスピードを出しすぎてカーブを曲がりきれず、崖に激突して車は大破💦
人様を巻き込まなかったことと、崖下に転落とはならなくて、命拾いしたことがせめてもの救いで・・
何百万もの車を大破させて自走が不可能となってしまったので、JAFさんのお世話になりレッカーで車は移動。
帰りの足が無くなってしまったと言うので、父が弟を迎えに日光まで車を走らせ・・
車の処分費用や残りのローンまで親が肩代わり💧
さすがに懲りて新しく自動車を買うことはなくなりましたが、今度は父親の車を好き勝手に乗りまくり。
もちろんガソリン代は払わず・・
父がいざ仕事で乗ろうとすると、ガソリンの残量の警告が出ていたり。
とどめは、35歳を過ぎてからの専門学校通いです。
いきなり「どうしても調理師になりたい。調理師の専門学校に行きたいので、授業料を工面して欲しい。必ず返すから」と言って、頭を下げに来たのだそうです。
この時、父親は猛反対!
父は断固として拒否。
結局は必ず弟から費用は返してもらうということで、母が折れたようです。
さらに当初は1年間で和食を学ぶという話だったのに「もう1年、フランスやイタリア料理にも通わせて欲しい」と言い出し・・
またまた仕方なく母が費用を工面。
貸付型の奨学金制度を使用したとか。
本来であれば卒業後に本人が働きながら毎月返済するものですが、どうやら母がパートで稼いだ微々たるお金を、その支払いに充てていたようです。
(辻調理師専門学校グループで年間約約200万円、2年で400万ほどかかっていたとか)
ようやく2年間の専門学校が終わるというときのこと。
せっかく学校の先生が就職先を斡旋してくれると言うのに・・
というか、就職先まで面倒を見てくれるのが売りの学校だったらしいです。
それなのに今度は先生と考え方が合わないと対立したらしく、紹介して貰わずに卒業。
自分で働き口のお店を探すのかと思いきや、またアルバイト。
しかも喫茶店でのバリスタ💦
(調理の専門学校へ通った意味ないじゃん😱)
さすがにこれには母親も怒り心頭。
実はこの時の学費の支払いが毎月6万円で、今年の9月まで払ってようやく終わるのだそうです。
(一昨日の電話で知りました)
ところが弟は、いまだに母親へは一円たりともお金を返していません💦
挙げ句の果てに、まだ調理師の専門学校へ通っていた最中に結婚すると言い出しました💦
お相手のご両親はどう思っているのかと弟に尋ねたところ「反対はされていなくて、むしろ喜んでくれている」と💦
(弟は私と違い、社交性に長けていて外面が凄く良いのです。いわゆる世渡り上手ってやつです)
結婚については結局は本人たちが決めることだし、ましてやお嫁さんになる方のご両親が賛成してくれているというのであれば、反対するわけにもいかなくなり・・
先に母が認めることになり、残るは私の父だけとなり・・
やがて『勝手にしろ!』ということで、結婚となりました。
そして弟たちは結婚。
結婚して家庭を持ったら当然お金がかかる。
母は仕方なく専門学校の費用は、結婚のお祝い金だと考えてあきらめたようです。
とまあ、こんないきさつがあるものですから、私の父親は弟のことには口は出さない、無関心で・・
結婚式のスピーチも父親は体調不良を理由に辞退💧
母親が、新郎の父親のスピーチを代読しました。
この頃から父親は耳鳴りが酷くなってきていたらしく、騒がしい所へ出かけることを拒否するようになりました。
と同時に、どんどん頑固でかたくなになっていったようです。
私が結婚をして実家を出るときには、そこまで夫婦仲は悪くありませんでした。
でも弟の一連の問題絡みで、少しずつ歯車が噛み合わなくなり・・
父親は耳鳴りが年々ひどくなり。
しかもある一定の周波数に対しては、頭の中でガンガン響くのだそうです。
そして人によっては、話声も聞こえなかったり・・
母の声も聞き取り辛いらしく、最近は筆談してるとか・・
病院には行ったらしいのですが、『加齢から来るもの』で片付けられたらしく、他の病院でも診てもらうようにいくらお願いしても聞き入れず。
何年か前には母親から頼まれて、私が説得を試みたのですがダメでした。
まあこんな状態なので、父親は母親や弟のことに関しては本当に冷たいです。
でも私自身も体調不良があり、この辛さは本人にしか分からないので、父親の気持ちも100%理解できないわけではないです。
自分の具合が悪いところに次から次へと問題をもってこられて・・
頭の中はパンクしそうというか。
私がまさにそうなので・・
母親は母親で仕事で無理をし過ぎて腰を痛め、70歳にしてシルバーカーのお世話にならないと歩けないし・・
さらにもう一つ。
問題を複雑にしてしまっている要因があります。
私が高校を卒業して社会人2~3年生の頃・・
母から打ち明けられました。
父が仕事をもらっている大切な取引先の方の、借金の保証人になってしまったと・・😱
当然ですが母は猛反対!
借金の保証人になるのなら離婚も考えると・・
それでも父はまったく耳を貸さず。
保証人を断れば仕事がもらえなくなる
。そうなればうちだって困ると。
もちろん保証人になって欲しいと頼んできた方は「絶対に迷惑をかけたりしない」と言ってきたようですが。
その後、母の許しを得ることもなく、勝手に印鑑を持ち出し借金の保証人になってしまったようです。
数年後・・
案の定、父に保証人を頼んできた方は借金が返せなくなり、一家で姿を消してしまい、一時期、完全に消息不明となりました。
そして予想通りの展開・・
暴力団とまではいかないけれど、その手前くらいでしょうか。
私の父親に借金の返済をせまってくるようになりました。
父はもともと借金をされていた方と、なんとか連絡を取り、最初の数年間は少しずつですが毎月、うちの口座へ振り込んでくれていました。
ところがある時から振込みが途絶えました。
父が何度も連絡を試みたところ、ご本人が病気で入院中と判明。
父は入院中のところにまで押しかけるのをためらったようですが、母は「病気だろうが関係ない」と言って一歩も譲らず。
父は約1年間ほど毎月、病院へ行ってお金を返してもらいに行っていました。
自動車でしか行かれないような不便な場所だったので、母はガソリン代も払って欲しいくらいだとぼやいていました。
そしてとうとう、その方がお亡くなりに・・
ご家族は奥さんとお子さんが2人いらっしゃったようですが、まったくの音信不通。
一家で姿を消した時に、離婚していたようです。
そうなると、借金の返済は100%父親の肩に・・
この時にも母は離婚を考えたけれど、どうしても振っきれず、一緒に借金を背負うしかないと結論を出したそうです。
毎月少しずつ返済をしても利子の支払いだけでいっぱいで、元本はなかなか減らず・・
この頃になって、母が私にだけだと言ってこの一連の話を打ち明けてきました。
当時私は、一応正社員で会社勤めで事務をしていましたが、手取り額だけではどうにもならず。
会社に事情を話し(詳しいことは伏せましたが)、仕事があれば残業をさせてもらいたいと願い出ました。
上司も社長もとてもよくして下さって、定時が17時だった私に、毎日20時までの3時間、途中15分の休憩を入れて、残業ができるようにしてくれました。
それまでに私が家に入れていた金額に、残業代をすべて足して入れるようになったわけですが・・
そんなことでは追いつかなかったようで・・
詳しいことは分かりませんが、いわゆる『サラ金』というところから借金をしていて、法外な利子を払っていたようです。
そして私が結婚をして実家を出ることになり・・
母からはこの借金の件は、絶対に夫や義父母に話してはダメだと言われ、家にお金を入れるのも止めて欲しいと言われました。
どこへ相談に行ったのかは分かりませんが銀行からの借り換えに成功したらしく、いったん銀行から全額を借り入れ、『サラ金』まがいのところに一括で全額返済。
ようやく『サラ金』からは開放されて、あとはまともな金利を支払いながら、少しずつ銀行へ返済。
元本が減っていき始めたようです。
とまあ、私の実家ははっきり言って貧乏でした。
それなのに・・
弟は今回生まれたばかりの赤ちゃんが亡くなってしまったことがきっかけとなり、お墓はどうなっているの?とか、遺産相続はどうなっているのかとか・・
そんな話を持ち出したらしく、私は母の話を聞いていて、だんだんイライラしてきました。
と同時に動悸がひどくなってしまい💦
ずっと気になっていたことを聞いてみました。
「弟には借金の保証人になったこととか、お金に困っていたこととか話してないの?」と。
「話してないかも知れない・・」という言葉が返ってきました。
それを聞いて、あ~、弟には一切話していないんだなと・・
親が金銭面で困っていることを知れば、まっとうに職に就いたかも知れないし、専門学校の費用を親任せにしたりしなかっただろうし。
というか、普通ならできないと思います。
そして今回の一件です。
両親のお墓や遺産について聞いてきたという・・
母は「うちにそんなお金があるわけないのに!」と私に打ち明けてきました。
父に至っては「そういう話は俺が死んだあとにしてくれ‼ 縁起でもない!」という反応だったそうです。
もちろん、将来親が亡くなったときのことを決めておくのは大切なことです。
本当はもっと早い時期に家族で話し合いをするべきでした。
でもよりによって、このタイミングですから💦
この件で父と母はかなりやり合い、父と弟でもやり合ったようです。
とりあえず父は抜きにして、母と私と弟の3人で会ってきちんと話をしようということになったそうです。
いずれこの件で弟から私のところへ連絡がいくはずだから、その前に私に事情をを説明しておいた方がいいと思ってと・・
そんな思いから、私のところへ電話をかけてきたようです。
義父母の件が何となくだけれど、ようやく落ち着いたと思ったら・・
今度は実家の方で問題です💦
父と母、弟、3人がどの程度ヒートアップしているのかは分かりませんが・・
今、いちばん大事なのは弟の奥さんだろうと思うわけで😢
そして弟も我が子を亡くしてしまったのだから、やっぱり悲しんでいるはずだろうし。
でも自分が奥さんを支えなくてはという思いがあるから、自分はしっかりしないと、という思いもあるだろうし・・
それを思うと、父も弟に対しては言いたいことがたくさんあるだろうけれど、今このタイミングでお互いに本音をぶつけ合うのは良くないと思うわけで・・
母は母でやっぱり女性だからか、弟のことよりも奥さんのことをいちばん心配しているようですが、父の態度には相当困り果てているようです。
「こんなこと、あなたにしか話せない。もう、どうしたらいいのか・・」と、私に訴えてきました。
正直私にも何をどうしたら良いのかなんて分かりません💧
少し時間を置かなくてはダメだろうとは思います。
令和元年を迎えて世の中お祝いムードの真っ只中、5月1日にこんな話を耳にすることになるとは・・
残念です😢
そろそろ明日の仕事に備えて眠らなくては💦
この風邪(?)っぽい症状が軽くなっていますように🌃
今回のブログは、私のただの一人言なのでコメントの受付は無しで登録しました。
近々、LUNA SEAの話題でブログをあげようと思っています❤
今朝4時40分
明け方の空です✨