2月27日 №375

「…彼を殺しどこかの穴に投げ込んで…、あれの夢がどうなるかを見ようではないか。」

創世記37章20節

 兄たちはヨセフの夢のことで憤っていますが、その夢は彼らの救いの啓示でした。しかし、彼らは救いの前に置かれた、「ヨセフに頭を下げる」方法が気に入りません。

 人間同士の最悪の関係は無視です。夫婦でも、表立ってけんか出来る限りなお望みがありますが、無視は絶望の印です。同じく、神に正面から反対する人には救いの余地が残されますが、直接問いただすことも文句も言わず、神の手段であるヨセフを取り除き、「あれの夢がどうなるか…」ということは最悪です。

 他者の言葉、牧師・教師、教会論・聖霊論・終末論などの教理の違い、預言・異言・癒しなど神が用いる賜物の理解、などが自分にとって気に入らず捨てることは、ヨセフを殺して神の御心を見ようとすることと同じです。

 友よ。神が御心を成就する手段(ヨセフ)を退ける前に、直接神に確かめてください。確認の一つの方法は、「穴に投げ込まず」、「どうなるかを見る」ために時間をかけて待つことです。主イエスこそ、ダメな私を捨てず、三年待って、さらに一年待ってくださるぶどう園の番人です(ルカ13章6~9節参照)。