2月22日 №370
イスラエルはヨセフに言った。「お前の兄さん達…のところに使いに行ってもらいたい」
創世記37章13節
かつて争ったシェケム(34章)で、兄たちが羊を飼っていました。ヤコブは兄たちを案じてヨセフを使いに出します。父の愛は、すべての息子たちに等しく注がれていました。
親子の問題は、子の人生を一番左右します。子は親に完全な愛を求め、求められる親は不完全で罪人です。また、たとい親が完全でも、子自身が原罪を持つ不完全な者です。兄たちは、自分の不幸が親にあると考え憎みますが、自分の罪には気づいていません。
人は、不幸の責任を、出来事に、次に他者や社会に、さらに親に、最後は神に問いますが、自分の罪は隠して問いません。また、自分が受けた傷に目を注ぎ、その人を憎む自分の罪に気づきません。そこに、解放はありません。
父ヤコブ(神)はどの子も愛しているのに、兄弟たち(私たち)は憎しみ合っています。「怒りは、相手に飲ませる毒を自分で飲み、自分を毒するだけだ」と言われます。
友よ。「私には愛がありません」、「神よ。私にきよい心を造り、揺るがない霊を…」(詩51・10)と求めよう。そして、あの人も私も等しく愛している父の目を見つめよう。