2月26日 №374
彼らは、ヨセフが彼らの近くに来ないうちに、はるかかなたに、彼を見て、彼を殺そうとたくらんだ。
創世記37章18節
兄たちを心配して様子を見に来たヨセフを、兄たちは殺そうと企みます。それは、神に罪を裁かれる前に、神を葬り、罪を隠そうとする人間の姿でもあります。
神は、エリコの城壁内の者を聖絶せよ(ヨシュア6章参照)と命じられました。神の聖絶とは、人を裁き殺すことではなく、人から罪を分離することでした。それは、人の罪を御自身が引き受け、身代りに死ぬ十字架の出来事そのものでした。
神に罪を告発されるのを隠すことは、ヨセフを殺し、罪を隠す兄たちの行為です。「自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者は憐みを受ける」(箴28章13節)。主イエスは、私たちを聖絶するために来られました。
友よ。エリコがイスラエルの軍隊に城壁を堅く閉ざしたように、聖絶の主に心を閉ざし、罪を隠してはなりません。エリコで救われたのは遊女ラハブと彼女の家族だけでした。なぜなら、彼女だけが、赤い紐を窓に下げたからです。「赤い紐」こそ、「主の十字架・聖絶」を受け入れたしるしでした。