4歳からピアノを習っていた。

自分からやりたい、と言ったらしい。
覚えていないが。

その後、小学校を卒業するまで、
約8年、習い続けていた。
続いたものである。

好きだから続いた

・・・わけではない。


やめさせてもらえなかったからである。


ピアノを習い始めてから、
祖母がスタンドアップピアノをプレゼントしてくれた。

それからというもの
母から以下のことを義務付けられた

「毎日、最低15分はピアノの練習をすること」

たかが15分。
されど15分。

毎日、である。


この毎日の練習が苦痛で仕方なかった。

やらないと怒られる。
だらだら弾いていても怒鳴られる。
嫌々やっていると、15分は途方もなく長い。

ただ、本当に毎日やっていたおかげで、
上達は周りより早かった。
先生にもほめられた。

けれど、私は苦痛だった。

物心ついた頃には
「ピアノをやめたい」
それしか考えていなかった。

しかし母は、何度やめたいと言っても
「自分でやりたいと言ってはじめたのだから
責任持ってやりなさい」
とやめさせてくれなかった。

4歳児の発言に責任持てっつったって・・・・

と思いつつ、
やめさせてももらえず
毎日の練習も続けさせられ。



しかし、毎週のレッスン自体はきちんと通っていた。
今にして思うと、
ピアノ自体は嫌いではなかった。
毎日の練習・義務が嫌なだけで。


それが中学にあがるとき
「部活とかで忙しくなるだろうから」ということで
ようやく、ピアノをやめることにOKが出た。

もう、その解放感といったら!
長年「やめたい」
それしか考えていなかったのだから。


母は「本当はやめてほしくないけれど」と言っていた。


そしてまた、今にして思う。

私も本当は、やめたいわけではなかったのだ。
義務から逃れたかっただけで。

ピアノを、まったく楽しいと思えなかった。
もったいなかったなあと思う。

妥協案として
「ピアノは続けたい。けれど毎日の練習は無理。
自分のペースで続けたい」
と言えなかったものかと、今は思う。
練習せずにレッスンにいって恥かくのは自分だし、
いいかげん、自分の意思で練習する年齢。

たしか、中学でやめるときも、
親から上のような提案はあったと思う。

けれど自分の中で
もうピアノ=義務、という公式が成り立っていて、
義務から逃れるためには
やめるしかない、と思い込んでいたのだ。


その後も母はなにかにつけ
「大人になるまで続けていてほしかった」
という。

実は自分でもそう思ったりするのだが、
口には出せない。

なぜなら、
母の強制で続けるのではなく
自分の意思で続けたかったからだ。

ここで母に同意することは
母の強制を私が受け入れているように思え、
どうしても口に出せない。



炊事洗濯など、
生活にどうしても必要な物事以外で、
長く続けようと思うものは、
強制ではない。
好きで続けるものだ。


あ、習い事関連でもうひとつ思い出した。


小学校に入ってから、水泳教室に通っていた。
水泳は純粋に好きだった。

小学校高学年になる頃、
周囲で塾に通い始める子が多くなり、
私も通いたい、と母に話した。
母も、そろそろそういう時期だと思っていたらしい。

当時、習い事はピアノと水泳。
さらに塾を追加するのは、日程的にも難しい。

どちらかをやめよう、という話になった。

私は「ピアノをやめて塾に行きたい」といった。

けれど、それは受け入れてもらえず
結局、水泳をやめて塾に通うことになった。

私は、水泳をやめたくなかった。
それは親にも言ったが、
母の中では、もう水泳は必要ない、という考えで、
結局却下されたのだ。

そもそも水泳を始めたのは、
当時からだが弱く、入院を繰り返す弟が
病院の先生から「丈夫になるから」と水泳を勧められたのがきっかけらしい。
私はそのついで。
それが水泳をやめる頃には、
もう弟はじゅうぶん健康になっていた。

母としては、目的を達成したから、
「もういい」という判断だったのだろう。




・・・私の意志は???





小学校に入る前くらいから。
というより多分、それより小さい頃からずっと。
かなり気の強い子供だった。
気が強く、プライドも高い。
かわいげのない子供(笑)

小学校にあがったくらいからだと思う。

しょっちゅうケンカしていた。

女の子ともだけど、
男の子も平気で泣かせていた。
かなり。

その頃は、学年の中では背も高く、
男の子はかなわなかったらしい。

で、
私には、ひとつ下に弟がいる。

2年生になると、
弟が新入生として入ってきた。

私にかなわない同級生の男の子たちは
その腹いせに、弟をいじめたらしい。

帽子をとったり、上履きを隠したり。。。


つい先日、家族たちと話をしているときに、
この当時の話になった。

母が
「そういえばあんた(私)の同級生の子達が、●○(弟)をいじめて・・・云々」
弟は
「そんなことあったっけ」
といった。
母は
「覚えてないの?!こんなことがあって~あんなことがあって~」
としつこい。
弟は
「覚えてない」
とだけ、言った。


覚えていないわけがない。
いじめられた記憶なんて、忘れたくても忘れられないだろう。
多分、私を恨んでいるとも思う。

けれど、覚えていない、と言ったのは
きっと、思い出したくないのと、

私へのきづかい、があったように思う。



こういった家族で話す場面で、
母は私をほめることは、まずない。
弟のことはよくほめる。
今回も『あんたのせいでかわいい息子がいじめられた』ということを
暗に言っているのだ。

弟も、きっとそれをわかっている。
ここで『そうだね』と母に同調することは
母と一緒に私を責めることになるのだということを
彼はわかっている。

弟の私に対する感情は、
察するに複雑なものがあると思う。
私のせいでいじめられたし、
常に私と比べられてきた。
(といっても、弟のほうが優秀なんだけど)
けれど、今は過去の嫌な感情をおくびにも出さない。


優しい弟だと思う。

母と、電話で少し話す程度ならなんともないのだけど
面と向かってきちんと話すと
どうも嫌な思いをすることが多い。

基本的に彼女は、ダメだしが多い。
そう、あまり褒められた記憶がない。

彼女なりに「こういう娘に育てたい」という理想があって、
私はそこから、かなり外れているのだろう。
「子育てに失敗した」と面と向かって言われるくらいだから。

心配しているからこその
だめだしなんだと、わかってはいるけれど。

ということもあって、
私は母と二人きりで話しをするのが嫌いだ。
嫌な思いをするのが目に見えているから。


結局私は、母に受け入れてほしいんだと思う。
私を。


学生時代、私は結構成績優秀なほうだった。

が。

母からは
「お父さんもお母さんも頭はいいんだから、
あなたが頭いいのは当たり前」的な話を何度も聞かされた。

まあそうなんだけど。

つか、それだけか?
私の努力はないのか?
褒めるに値するほどのことはしてないのか?
っていう。


多分、まったく褒められていなかったわけではないと思う。
覚えてないだけで。


けれど、
毎日しかられて
毎日のように叩かれて
その記憶は、しっかりと残っている。

やなことだけ覚えてるね。。


今回も、久々に会ったと思ったら
「母親失格だ」と言われた。
実際言われたのは「母親としての適性に欠けている」なんだけど、
つまりは、母親失格、だ。



すみませんね、あなたの思うような大人になってなくて。

まあ失敗作だから、仕方ないんじゃない?



・・・などと言えるはずもなく。



しかし、娘がいてくれて、
本当に私は救われている。
「母親失格」と言われるような私を
必要としてくれる。
「ママがいなくなったらどうしよう」と
泣きながら心配してくれる。


私は、もし娘がいなかったら。
もし、この歳まで今も独身だったら。
きっと母との関係で、
精神的につぶれていただろうと本気で思う。



なんかねえ。



自分でも「反抗期の延長か?」みたいに思うことは多々あるんだけど。
どうなんでしょう。
自分でもよくわからない。

母と距離を置くことができる今が
安心できるというのは、
反抗期ではないような気もするけれど。