昨夜から

日舞のDVDを見ながら

家事をこなしています

本当はナガラは嫌いなんですが

別にお時間を割いて見直すと言うことが

中な出来ていないから

考えを変えて見ました

 

日舞や新舞踊をご覧になっていて

何故綺麗

上手下手が区別がつくのか

考えて見比べてことは御座いますか?

 

日舞の先生はお一人お一人が生徒さんですから

余分な事は仰いません

ですが

岡橋先生がご自分で曲や詩を書いたり

踊りを踊られるだけあって

ハッキリお教えくださいます

一つ

踊りは決まった動きがあるのか?

二つ

踊りは目線はどうするのか?

三つ

踊りの仕草は記憶の再現動作か?

 

等です

 

一番目で仰った事は泣くと言う事は

どんな動きになるのか?

同じ曲を数人で踊っていて

振りは同じはずなのに泣いている様に

見えない

 

当然

振りが同じ様に出来ていると言うのであれば

綾を取れていないと言う事でしょうね?

動きが近道をしている

同じ先生が一緒の授業でです

 

それに関する流れとして

目線の移動がある

物凄く大事です

振りの中では1番大事かもしれない

泣いて追いかける目線

泣いて悔しがる目線

泣いて崩れ落ちる目線

同じ様に流れ

同じところを見ている訳がない

 

そして

最後の記憶の再現動作

人は経験した事は記憶に残っています

経験していなくても

多くの映画を見たり

多くの本を読み

多くの人を見て来られた方は

その其々をイメージとして

記憶に持っています

 

人との関わり

人の心との関わり

 

多ければ多いほど

記憶の再現は容易なはず

そして、一つ大事なことをお教え頂いたのが

筆の運び

沙羅たちの年代であれば

筆文字を書くのは

小学校でほんの少しのお時間経験しただけ

 

ですが

昔の方の便りとしての筆運びは

毛筆の筆運びをイメージ出来てこそ

絵になると言う

沙羅の経験にも

物語の中の暑さにもあまり現れて来ない

仕草

 

沙羅にとっては

衝撃的で、とても新鮮な気持ちで素直に

はい!と修正できた所作です

 

先の記事で

踊りにはその人が出ると

書きましたが

上手下手、綺麗な体躯

動きの品、向上心

それらも、必要なことではあるのですが

何よりも大事で有り

1番の素質は

教えを素直な心で受け入れると言う

人間の心

それ以外の物は

あれば良いと言うだけの物

 

おさらい会の全体踊りなどを見ていると

常の

お教室での物言いがそのまま出ているのが

何とも

 

そして、それは、美しいとも品良くとも

ズレた位置にある

耳のお悪い方も居る

振りではずれることもあるが

基本は追い掛けている

 

厳しい見方かな?

 

沙羅より